拾捌
8/5 18時にも更新しております。
清の歌に覆いかぶさるように、志乃の歌が響いた。
京士郎はそれを聞きながら、刀を振るっていく。伸びてくる腕を逸らし、弾いていく。
まったく足を動かさずに、志乃を守ることに専念した。
志乃がやると言ったのだから、京士郎はそれを信じると決めている。とうに限界を迎えた手足も、ただ信念によってのみ動いていた。
いいや、京士郎にできることはそれしかなかった。いまや戦いは武力によるものではない。
歌と歌、神楽と神楽、世界と世界のぶつかり合いだった。
京士郎は剣戟によって、音を添えることしかできない。
ことここにおいて、最も力を持つはずの京士郎は無力である。
――――玉の緒も 染まるおもひは ほのかみの
志乃の歌だった。清に負けないほどの、力のある声だった。
どれほどの力を込めているのだろう。どれほどの苦しみに耐えているのだろう。
清もまた歌う。もはや、骨の骸こそが本体であり、清は音を奏でる楽器である。
京士郎はただただ、恐ろしかった。たった一人で世界を生み出してしまう清が、清にそうさせてしまう何かが。
そして、それと真っ向から立ち向かっていく志乃を思うと胸が苦しくなる。
京士郎のように、身体を前にして戦っているわけではない。志乃は心を前にして戦っているのだ。それはまさに、己そのものを剥き出しにして戦っているということだった。
せめて志乃を守ろう、それしかできないのならば、やりきるしかないのだ、と。
それと共に、京士郎は嫌な予感があった。そして自分の嫌な予感というものは、外れることはないことも知っていた。それは自分が、父から受け継いだ守護であるから。
(志乃は、己もろとも薙ぎ払おうとしているのではないか)
背に感じている力。志乃の内に閉じ込められ、解き放たれるのを今か今かと待っている。
では、そのときがきたら、志乃は無事でいられるのか。
ぞわりとした。この勘が当たっているという何よりの証左だった。
だが振り向くことは許されない。そんなことをしてしまえば、京士郎も志乃も覚悟が鈍る。清の手によって潰される。
京士郎は震える。
どのみち志乃は死ぬ。
自分はその介添えをしている。
そのことに気づいたとき、もはや力が尽きるかと思った。だが、負けるわけにはいかなかった。
志乃は、その生の限りを尽くそうと言うのだ。ならば京士郎もまた、応えるのみだった。
――――立つを見ること 我は視ずとも
京士郎はその身を引いた。とっさのことだった。
志乃と京士郎が演じた神楽が完成する。
代わりに前へ出た志乃。その身はさながら、戦姫が如く。
神風を背負い、燃え上がっていく。
手を伸ばす。だがもう届かない。
声を絞り出すも、届かない。
志乃は炎を纏っている。小さくも眩しい炎は、吹雪をものともせずに燃え盛る。
「ふざ……けるな! 一緒に行くんじゃねえのかよ!」
京士郎は叫ぶ。届いているのか、いないのか。
だが、言わずにはいられない。
「最後まで一緒にいろって言ったよな!? なんで、なんで先に行こうとしてるんだよ! 俺を……俺を置いていかないでくれ!」
弱音が口をついて出る。京士郎はそのことに気づかない。
「お前だけは、お前だけは、一緒にいてほしいんだ! お前に導いてもらいたい! お前と共に景色が見たい! なのに!」
涙を流す暇などない。
引き留めなければならない。京士郎は、いまそうしなければ後悔するとわかっていた。無駄であるとわかっていても。
そして一番大きく、一番力をこめて。
思いっきり、思いの限り。
「……志乃!」
京士郎の叫びが、届いたのかどうか。
わからないが、志乃は京士郎の方へと振り返った。ちょっとだけ驚いた顔をするが、京士郎の顔を正面から捉えたとき。
志乃は笑っていた。
京士郎は言葉を止めてしまった。
どうしてそんな風に笑えるのか。
どうしてそんな風に綺麗なのか。
わからなかった。これから死ぬんだぞ、と京士郎は思わずにいられなかった。
けれども、そんな笑顔を見せられてしまえば、言葉を挟むことはできなかった。
「京士郎」
志乃が声を発する。吹雪のせいか、それとももはや音を発することができないのか。京士郎の耳に届いていない。
けれども唇の動きから何を言っているかはわかる。
震えている。志乃は、震えていた。
これから自分の身に待ち受けているものが恐ろしいのか。いや、志乃はそんなことを恐れたりはしない。己の天命を全うすることを選ぶようなやつだと京士郎は知っている。
では何故か。京士郎の理解は届かない。
志乃の身を骸の腕が捕らえた。あの痛みに志乃が耐えられるはずがない。そうわかっていたのに、京士郎は駆け出せなかった。
だが志乃は最後に、京士郎へ何かを言っていた。一言一句逃すまいと京士郎は目を見開いた。
確かに、こう言っていたように見えた。
「今日を生きなさい」
世界が光に包まれた。




