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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 志乃の言ってた不破関とは、東国から賊などの侵入を防ぐために作られた関所であった。

 京で天変地異、あるいは帝が崩御した際に、それに乗じ、よからぬ輩や謀反の意思のある貴族や武士が簡単に京へとやって来れないようにするためのものらしい。

 しかし、近頃では鬼の侵入を度々許してしまっている。もちろん、関としての役割はきちんと果たしているのだが、それ以上に一つの関では目が行き届かず、鬼の強大な力に抗うのは難しい。


「開けてくれないみたいね」


 志乃は弱った声でそう言った。

 視線の先にはくだんの不破関があった。

 厳重に閉ざされている門。その前には何人かの槍を持った兵士がいるが、恐らく小屋の中にはもっといるはずだ。


「何かあったのか」

「この先の村で、鬼が出たそうよ。それで一時的に門を閉めてるんだって」

「お前でも通してもらえないのか」

「……無理。私はあくまで、内密に精山様を追っているのだもの」


 悔しそうに志乃は言った。

 ここまで来て、関も越えることができず引き返すわけにもいかないのだろう。かと言って、関を通らずに越えたのが見つかってしまえば、ただでは済まない。

 京士郎は関所から視線を外す。広がってるのは草木の生い茂る山々だ。


「だったら、山を越える他ないな」

「山って……関所を通らずに越えるってこと!? そんなこと、許してもらえるわけがないでしょう!?」


 志乃は声を荒げる。しかし京士郎は動じない。


「許す許さないもあるかよ。だいたい、道は一つじゃない。わざわざここに拘ることなんてないんだ」

「見つかったらどうするつもりよ。矢を射かけられて終わりよ」

「見つかるもんか。山の俺は敵なしだ。怖いものはない」

「どこからそんな自信が出てくるのよ……はぁ」


 ため息を志乃は漏らした。未だ納得はしていないらしい。


「ほら、ここでぼうっとしているうちに精山とやらがどこかへ行ってしまうぞ」

「……行くしかないのね」


 ようやく志乃は決心したようだ。

 京士郎たちは関所から離れ、見えない場所まで行くと、道を外れていった。




   *   *   *




「もう、やっぱりやめておくべきだった!」


 志乃が叫ぶ。

 山道は整っておらず、獣が通った道を辿るのがやっとであった。

 京士郎はと言うと、志乃よりもだいぶ先に進んでは立ち止まるを繰り返していた。


「なんだ、京の者はみんな腰が弱いのか」

「普段はこんな山道上ったりしないし! だいたい! 京は! 道が整ってるのよ!」

「そこ、穴空いてるからな。気をつけろよ」

「え、きゃあっ!」


 足を躓かせ、志乃は前のめりに倒れる。

 京士郎が手を伸ばすが、時すでに遅し。怪我はなさそうだが、服がいくらか汚れてしまっている。


「大丈夫か?」

「……大丈夫よ!」


 そう言うなり志乃は袴の裾を大きく持ち上げると、端を結んで、短くする。

 大きく脚を露出する格好となり、志乃は気合十分といった顔をする。

 京士郎は、志乃の脚から視線を外す。


「怪我するぞ」

「いいのよ、かすり傷くらい、すぐ治るし。薬だっていくらかあるわ。あと、本当に方角はこっちであってるの? どんどん登っていくけど」

「間違いない。こっちに進めばさっきの関とやらに見つからず越えられる。人や獣の気配もないしな」

「うん、なら進みましょう。野宿するにもここは嫌よ」


 そう言うなり、大股で志乃は歩き出した。

 京士郎は不安に思いながら志乃を見て、次いで山道の先を見た。

 自分の知らない山である。遠出をしたことのない京士郎にとって、自分の生きて来た場所から離れたこの山は、やはり異質な雰囲気を感じている。

 何が違うのかと言われれば、気配が大きく違う。

 匂いも、住む生き物も、流れる水も、何もかもが違うのだとわかる。

 この山が辿った時を濃く京士郎は感じていた。


「なあ、鬼ってのは、どういうもんなんだ?」

「……鬼、ね」


 京士郎がふと思った疑問。志乃は少し思案げな顔をする。

 よっ、と言って志乃が木の根を乗り越えた。京士郎は志乃の腕を引っ張って上るのを支える。


「ありがと。それで、鬼のことね」

「ああ、教えてくれ」


 志乃はごほん、と息をついた。


「……”陰気”というものがあるの。この世に流れ込む、”あの世”の気……それは本当は見えないはずなのだけれど、この世にある魂を支配して、形を表す。それが鬼だと言われてるわね」

「陰気……?」

「そう、陰気。簡単に言えば、嫌な気持ち、感覚、死ぬということ。私にもよくわからくて、師匠がそう言ってるだけなんだけど、陰陽寮ではいま一番有力視されてるの」

「ふうん、なるほどな」


 嫌な気持ち、感覚。死。

 それらに支配されたときに、魂は鬼になる。頭では理解できないが、京士郎には実感があった。

 鬼と対峙した、あのときの感じた気配が、まさにそれだ。

 身体の伸し掛かる重圧と、腹の底から湧いてくる不快な感覚。

 これこそが、鬼なのだろうと、京士郎はぼんやりと思った。


「待て」


 道なき道を歩いているとき、京士郎は志乃を止めた。


「なに?」

「これは……」


 それこそが、先ほど話した感覚。

 刀の柄に手をかけた。京士郎はゆっくりと、刀を抜いた。


「ちょっと!」


 がさり、と草が揺れる。

 空は暗くなっていた。辺り一帯に、気配が満ちた。

 志乃はようやく、その気配を察したようで、表情を変える。


「もう、貴方って! 自分勝手!」

「なんだよ、いきなり」

「きちんと言いなさいって言ってるの!」


 符を握りしめ、志乃は京士郎に背中を合わせる。

 辺りから現れたのは、蜘蛛。黒い手足。子どもほどの大きさがある。頭からは角が生えていた。

 それも一匹や二匹ではない。数えるのも嫌なほど湧いて出てくる。

 蜘蛛の赤い眼が、二人を見ている。間違いなく敵意を持っている。京士郎は刀を握る手に力を込めた。


「なんだよ、鬼ってのは人以外の形もしてるのか」

「みたいね。私も会ったのは初めて」

「離れるなよ」

「誰に言ってるのよ」


 二人の顔は険しかった。

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