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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第七章 心のうちに 燃えつつぞ居る
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拾弐

 社の中を京士郎は歩く。部屋に帰るまでに身体についた清の残り香を払いたかった。そうでもしなければどうにかしてしまいそうだった。

 外の空気は、京士郎を刺すかように冷たい。星兜を身につけていない今では、なかなかに堪える。

 吐いた息が白い。ぼうっとそれを眺める。

 清の告白。なぜ今なのか、わからない京士郎ではなかった。

 彼女は賢い。いま、このときを逃せば二度と言う機会がなくなると知っているのだ。そして京士郎の思いを揺らせるということを……。

 また白い息。今度はため息。

 心の整理がつかないまま、京士郎は歩き続ける。すれ違う巫女たちに声をかけられるも、上の空だった。

 そうして歩いていると、気づけば一番奥の間にまでやってきてしまった。ここには伊月の部屋しかなく、彼女の部屋に近づくのは気が引けた。

 引き返そうと踵を返すと、中からさめざめと泣く声が聞こえてきた。

 悪いことだと思いながら、京士郎は部屋を覗きこむ。

 そこでは伊月が泣いていた。京士郎ががらんどうだと思っていた瞳から、涙が流れていた。

 清に言われたことを思い出す。志乃は伊月の子であるということ……。京士郎は、少しの寂しさを覚えた。


「こそこそせずとも、良いのですよ」


 伊月が言った。京士郎はぎくりと、動きを止める。

 どうやら見つかっていたらしい。京士郎は部屋へと、足を踏み入れた。


「悪い、覗くつもりはなかった」

「いいえ、このような失態を見せた私の落ち度。気にすることはありません」


 気丈に、しかし赤くなった瞼を隠さずに伊月は言った。

 京士郎は迷った挙げ句、伊月と向かい合うように座る。


「……泣いてた理由を聞いていいか?」


 京士郎が言うと、伊月はふうと息を吐く。


「明日の神楽を終えれば、どのみち貴方がたには去っていただきます。そこに一抹の寂しさを覚えずにいられましょうか」

「それは本当に、俺たち……いいや、俺のことなのか」


 伊月は顔をあげた。無表情であったが、目は大きく開かれている。


「知っていたのですか」

「俺はわからなかった。だけど、わかったやつがいた。そいつから聞いた」


 清の名前はあえて出さなかった。しかし、伊月には見透かされているだろうとも思った。

 何せ、この社で一番聡いのは彼女なのだから。


「お気づきの通り、志乃は私の娘。ある殿方との間に生まれた子……許されぬ子なのです」

「許されないなんてことは」

「ええ。ですので許されぬのはこの私。彼女は責められる謂れはないのです」


 伊月はそう言う。京士郎はがらんどうだったはずの瞳を見た。


「よければ、話を聞いてもらえませぬか?」

「俺でよければ」


 好奇心に負ける。いや、それ以上に伊月に話させてしまった負い目から、最後まで付き合おうと思ったのだった。


「私が京で、宮廷の巫女として舞手を務めていたころ、私はある男と恋に落ちたのです。逢瀬を重ねて、あの子が生まれました。けれども、時機が悪かった。彼女は、神楽の後に生まれた子なのです」

「と言うと?」

「神憑り。神をこの身に降ろした際に産んだ子なのです。……遥か西方には、意図して神の子を産む術もあったと言いますが。ともあれ、私たちは産んでしまったのです、神の子を」


 京士郎は息を飲む。絶句だった。

 志乃は京士郎の目から見て、ごくありふれた少女のようにしか見えない。

 だが、彼女を見ている者は違う。志乃には才がある。志乃には力がある。そう言われ続けてきた。

 確かに思い当たる節はある。大江山、茨木童子を討ったあのとき。

 なぜ、陰気満ちる大江山で彼女は平然としていられたのか?

 なぜ、あれほどの術を放つことができたのか?

 神懸かりと言われるのは、何も身体が強いだとか、そういうことだけではない。京士郎はそのことを失念していた。


「あの子は私と離されました。私はここへ、志乃は……どこへ行ったかはわかりませんでした。少しずつ、舞の鍛練の中で少しずつ、語っていただきました」


 胸の布地を掴む伊月。その声音から、その言葉から、思いが溢れている。

 彼女の喜び。彼女の笑い。彼女の悲しみ。

 伊月の持つ虚ろの正体。失ったはずの子が帰ってきたら……。

 京士郎の胸が痛む。志乃には、父と母がいる。それらに気づいた今、彼女を幸せから離しているのは自分なのではないか。


「貴方が悲しむことはありません」


 伊月が言った。


「むしろ、貴方はあの子をここまで連れてきてくれました。そのことに、深い感謝を」


 彼女はそうは言うが、ここまで言われれば伊月が泣いていた理由もわかる。

 京士郎と志乃は、明日の神楽を終えればここを去る。否応なく、二人を引き裂いてしまう。それは許されることなのだろうか。

 そしてその寂しさは、清の顔を思い浮かばせた。

 志乃を置いて、自分を連れていけと言った清。どうにもそれが、現実味を帯びてきた。


「ふふっ」


 伊月が笑っていた。彼女の見せる、初めての笑顔だった。

 京士郎は首を傾げる。


「とても強い目ね。人を魅了する力がある。……ご立派な父だったのでしょう」

「なぜ、それを」

「これでも巫女ですから」


 京士郎は言葉を失う。

 魅了する、などと言われて戸惑う。


「魔は、人を惹き付けます。社の巫女たちも貴方を敬愛しております。くれぐれも、大事にしてくださいませ」

「あ、ああ……」

「それと」


 伊月は居直る。京士郎の瞳を強く見た。もはやがらんどうなどではない、力強い火が宿っていた。


「志乃をお願いいたします。不肖ながら、私は彼女の母。思うところはありますので……」


 奇しくも、それはかつて京で、姫から言われた言葉とよく似ていた。

 瞳を通してわかる、本心。それは志乃と共にいたいというもの。それを必死に、抑えていること。

 京士郎の心の裡は揺れるばかりだった。


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