表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第七章 心のうちに 燃えつつぞ居る
78/109

拾壱

 神楽を予定している、前日になる。

 その日は夜まで京士郎の練習は続いた。

 夜に笛を奏でたり、歌うと魔が出てしまうから、訓練は打ち切りになった。

 しかし、京士郎はまだまだ物足りなかった。清に教えを請い、自分に足りぬところを見直していく。

 清は逐一丁寧に教えてくれる。その指導に従って、京士郎は直していく。

 だが、それでも。まだ足りなかった。

 自分の奏でる音には何かがない。その何かが、京士郎を悩ませる。

 いままで聞いてきた音、それも自分が心を躍らせた音。

 それは何も誰かが奏でた音色だけではない。

 木々のさざめきもそうだ。川のせせらぎもそうだ。

 あるいは誰かの話し声、ささやきあい。志乃の声、姫の声、清の声。

 それらにあって、自分にはないもの。

 京士郎はずぶずぶと、思考の海に沈んでいく。


「京士郎」


 声にはっとして顔を上げると、清がじっと京士郎を見ていた。

 その瞳はどこかうろん気であり、京士郎はごくりと息を飲んだ。


「悪いな、ぼうっとしていた」

「京士郎」

「……?」


 京士郎は訝しむ。清はまるで、自分の声を聞いていないようだった。

 彼女はずいっと、京士郎に近づく。顔が近い。潤んだ瞳に自分が映っているのが見える。

 清は、京士郎の胸に手を当てた。心臓の鼓動を確かめるように。

 そして清は京士郎の胸に飛び込んだ。

 そのとき、むんっと匂いが待った。いつかの香の匂いではない、もっと強く、京士郎の頭を揺さぶる匂いだった。

 戸惑い、目を白黒させ、京士郎は清の肩に手を当てる。清は腕を京士郎の背中にまで回して離さない。


「おい、おい!」

「静かに。誰かに気づかれるから」


 清は短くそう言った。ぞっとするほどの色気があった。

 一体なんなのか、京士郎は状況を解するのに頭が追いついてなかった。

 思えば、あの霊に襲われてから少しだけ様子がおかしかった。


「どういうつもりだ」

「京士郎、私、もうだめみたい」

「だめってどういうことだ。さっぱりわからないぞ」

「……鈍感」


 清は顔を上げる。上目に京士郎の顔を見ていた。息が詰まる。

 どうしたっていうのか。お前は何をしたいんだ。

 言いたいのに、言葉は喉で止まる。


「京士郎、私はあなたが……好きです。好きで好きで、どうしようもなくなってる自分がいる。あなたと出会ったときから、ずっとそれは大きくなって」

「なっ……」


 京士郎はがつんと頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

 清の告白は京士郎からしてみれば、あまりにも突然であった。


「もちろん、異性として好き。あなたに側にいてほしい」

「だが、お前は巫女だ。それもこの社にいる巫女たちを取りまとめる」

「そんなの関係ない」


 静かに、力強く。清は言った。


「ねえ京士郎。私をここから連れ出して。私はずっとあなたを見てるから。ううん、私はあなたしかもう、見えないの」


 ぶるりと、清は体を震わせる。それが京士郎にはくすぐったく感じた。

 これ以上はだめだ。声が耳を侵し、香は鼻を犯す。京士郎の脳がかき乱される。


「俺は……でもあいつが……」

「志乃のことが好き?」


 そう聞かれて、すぐに答えることができなかった。

 清はぐっと、顔を近づけてくる。


「俺はあいつについて行ってるだけだ。だから、俺が勝手に」

「嘘。京士郎はもう、一人でも歩いていける。それに、志乃の気持ちなんて関係ないよ。私とあなたの問題なんだから」


 そう言われると、そうかもしれない。京士郎は清の勢いに呑まれつつあった。

 鬼の陰気にさえ呑まれたことのない京士郎であったが、清のような普通の少女には敵わないでいた。


「それに、志乃はここに残った方がいい」

「……どういうことだ」


 京士郎は低い声で言った。清は臆することなく、答える。

 その内容に自信があるかのように。


「志乃は、伊月様の子です」


 京士郎は一瞬、思考が彼方へと飛んで行った。

 それがどういう意味を持つのか、どうしてそんなことが言えるのか、わからなかった。


「志乃に舞を教えているのは、巫女たちの誰かだとずっと思ってた。でも違った。伊月様がずっと付きっ切りで、志乃に舞を教えてたの。そして志乃には……私たちでは到底及ぶことのない才を持っている。当たり前よ。だって、あの伊月様の子なのだもの」

「何を言って……」

「初めて見たときからずっと思ってた。二人が纏う雰囲気が、とてもよく似ているの。京士郎は気づかなかったみたいだけど、私にはわかる。伊月様がふと見せる笑顔が、そっくり」


 京士郎は何も言えなかった。あえて考えていなかったことを、清の口で語られてしまった。

 それはそうだ。志乃にも自分にも、父がおり母がいる。そして志乃の父が生きているのだから、母が生きていたとしてもおかしくはない。

 いいや、それが当たり前なのだ。


「二人を一緒にいさせてあげたい。その代わりに、私が行く。それでいいじゃない」

「言っていることがめちゃくちゃだ」


 だって、清がきたところで何になると言うのか。あの霊ごときに遅れをとる清が京士郎とともに戦えるというのか。

 そんなことを言ったって、通用はしないだろう。

 京士郎は少し身を引いた。清は力を抜いた。京士郎が支えなければ倒れてしまうほどに。

 服ははだけて、肩と胸を覗かせた。真っ白な肌と、彼女の肌からさらに立ち上る香りが、京士郎を誘う。

 京士郎は立ち上がる。しなだれかかる清を振り払って。

 驚いた顔を浮かべる清。


「京士郎……どうして」

「わからない。何も、わからない。俺には何もない」


 そう言って、京士郎は部屋を飛び出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ