拾
社に戻った京士郎たちは、その体を休めた。その日のうちは周囲からの反対もあって特訓はなかったが、その翌日から何事もなかったように笛の特訓を始めた。
笛の腕は、瞬く間に上がっていく。それこそ、天賦の才としか言いようのない速さで。
京士郎が奏でる音色は社の巫女たちの間でも話題になっていた。
そして、それは清の評価へとつながっていってもいた。
彼女は目下のものに、とても熱心である。面倒見の良さもさることながら、人に教えるのが上手いのだ。
褒めるところは褒め、直すところは直す。それも、的確な解決方法を提示し、本人に気づかせるようにしながら。
だが、今回は一際熱心であると言われている。
理由は、相手が京士郎だからとも。
言われるたびに否定していた京士郎であったが、本人の意思はいざ知らず。
志乃や巫女たちと話しながら、清の元で訓練を積むこと二週間。
じきに神楽を行うという達しが、伊月から届いたのだった。
* * *
一室に、京士郎と志乃、清の三人は集まっていた。訓練を始める前は三人で談笑するのが通例になっていた。
しかしこのときの空気は重苦しいものになっていた。それは伊月からの達しからだった。
「そんな、早過ぎるわ……」
そう言ったのは清だった。京士郎の腕は確かに上がっているが、果たして神楽の奏手を務めるに値するかと言われればそうではない。それは京士郎自身が誰よりもわかっていた。
志乃はと言えば、神妙な面持ちだった。今までと比べれば共にいる時間は少なくなっているものの、彼女とは毎日顔を合わせて話している。しかし、こんな志乃を見るのは初めてだった。
「前例にないことよ、伊月様は何を考えておられるのかしら」
「いままでも何回か、神楽を?」
志乃が聞く。清は頷いた。
「うん。と言っても、私たちの舞や楽器の腕を見るためのもの……だったんだけど。今回の神楽は違うわ。神懸かりを行うものだって聞いてる。だったら余計に早過ぎるわ。私たちだってこんなに早くはなかったもの……」
清がぶつぶつと言う。京士郎は、清の様子が少し怖かった。まるで自分一人で考えているかのような感覚があったのだ。
そんな清に志乃は話しかける。清と比較して志乃は落ち着いていた。こういう時、志乃の方が慌てるものだと思っていた京士郎は拍子抜けした反面、頼もしく思えた。
「わかるわ。私もまだまだ、実力不足よ。でもね、私たちだって急いでるし、万全の腕を身につけるころには間に合わなくなってるかもしれない」
「それは……」
「お願い、わかって清。私たちには為さなければならないことがあるの」
友として、志乃は言う。彼女のまっすぐさに、清は言葉が詰まっているようだった。
視線を彷徨わせて、頷く。元から拒否することなどできないのだから、諦めがついたとでも言うべきか。
京士郎はため息を吐く。これで一件落着、あとは当日まで自分の腕を磨き続けるしかない。
自分自身でもわかっている。神楽を行うには、まだ足りない。
音を奏でるだけでは足りないのだ。もっと大事なものがあるはずなのだ。
それが掴めないでいる。しっくりこないのだ。
綺麗な音か、力強さか。
わからないが、自分の未熟さを感じさせるには十分だった。わからないことが特にそう思わせていた。
「……神楽の舞台の準備を、指示してくるわ」
そう言って、清は部屋から去っていく。京士郎と志乃はその背中を見ることしかできなかった。
「あっという間ね」
志乃がぼそりと言った。京士郎は頷く。
「そうだな。だけど、一箇所にこんな長くいたのも初めてだ」
「ええ、そうね。みんな優しくしてくれるし、仲良くしてくれるし、浅間の髪飾りがなくても、来て良かったなって思えるわ」
「弱気になってるのか?」
「強気になれる方がすごいわよ」
志乃は笑う。どうしてか、余裕すら感じられた。
京士郎はその、わずかな志乃の変化にも敏感だった。明らかに変わった、と感じるほどに。
「でも、やるしかないわ。今日までだってできることをずっとしてきたのだし」
「そうだな」
京士郎は頷いた。
そうだった。いままでできることをしてきた。できないことはしてこなかった。
何もかもができたわけではない。土蜘蛛のときだって人の子を助けることができなかった。鬼無里でも、大江山でも、無力さを感じ続けてきた。
それでもできる限りをする。変わらないことだった。
「さあ、その日まで私たちも練習を重ねるわよ」
「当然だ。舞の途中ですっ転んだりするなよ?」
「するわけないでしょう!」
「どうだろうな、肝心なときに少し抜けるから」
「もう! 知らない!」
志乃はそう言って、そっぽを向く。京士郎はそれを見て、くすくすと笑った。
ふと、他所を向いて考える。神楽を舞うということは、ここを発つということ。ようやく、なのか、もう、なのか。
そして少しの執着を覚えている自分に、違和感を覚えながら。




