弐
洞窟の中に入ると、そこは雪の中にあって暖かかった。
風が遮られているか、それとも熱が残っているのかわからない。
志乃に導かれたままたどり着いた場所だったが、ここなら一息つくことができそうだ。
京士郎は壁に背を預けて座り込む。志乃は術を使って、灯りをともした。
明るくなった洞窟で、志乃は京士郎の手を見た。
痛みは軽くなっているものの、鱗はなくなっていない。それどころか、少しばかり大きくなっているようにも見える。
「待ってて、いま治すから」
「わかるのか?」
「勉強したのよ。京にいたときにね」
そう言って志乃は、清潔な布を取り出した。
辺りを見渡す。さっきのように水を探しているのだとわかった。光が弱く、遠くまでは見えないでいる。
京士郎はじっと耳を澄ませた。目に見えないのならば、耳が頼りだろう。
「向こうだ。流れてはないけど、滴る音がする」
「わかったわ。ここにいてね!」
洞窟の奥へと志乃は消えていく。京士郎はその後ろ姿を、ひやひやしながら見ていた。
乗り越えたはずの血の呪いもこうして蘇ってくると、むしろ自然のことのように思えてきた。だが、不甲斐ないことには変わりない。
ため息を吐いて、呼吸を整える。少し落ち着いた気がした。
志乃が慌てて帰ってきた。そして京士郎の手を取ると、濡らした布を当てる。
肉の焼けるような音がした。ついで、臭い。
がっしりと志乃は腕を押さえる。京士郎は暴れる隙もなかった。
志乃は呪文を唱えながら、京士郎の鱗を一つずつ剥がしていく。痛みが走るたびに歯を食いしばった。
「我慢して」
「わかってる!」
京士郎は思わず叫んだ。
鱗がすべて剥がされたとき、ようやく苦痛は終わった。
志乃も相当に体力を使ったようで、顔が汗で濡れていた。
肩で息している志乃。その手はまだ、京士郎の手からは離れていない。
「ありがとう」
「いいのよ。前みたいに、打つ手なしなんてことにならなくてよかったわ」
志乃は酒呑童子の襲われたときのことを言っているのだろう。
京士郎はふっと、笑った。
治った腕を見た。もう痛みはない。志乃の治癒が効いているのだ。握ることもできる。これなら刀もつかむことができるだろう。
「大丈夫だ。しばらくすれば力が入るようになる」
「そう」
志乃はすとんと、京士郎の隣に座った。
風も雪も遮るこの洞窟なら、しばらく休めそうだった。志乃は灯りの術を解く。
外は雪は止んでいるが、これから暗くなるだろう。今日はここに止まった方が良さそうだ。
しばらく、黙って体力を回復する。心臓の音がやけに大きく感じられた。
隣に志乃がいることが、余計にそうさせていた。
「……水、とってくるね」
志乃は洞窟の奥へと向かった。水筒に水が溜まるまで、相当の時間を有するだろう。
時間はいくらあってもいい。いまは、まだ。
京士郎はさっき出会った者について思いを馳せた。
志乃の故郷がここだと言っていた。だが、志乃は京で育ったはずだ。何がここを、彼女の故郷とさせているのかわからない。
そしてそれは、少しの嫌な予感をさせていた。
知っていいことなのか、どうか。知らない方がいいのではないか、とすら思う。
「案じていても仕方ない」
自分に言い聞かせるように呟いた。
そのときだった。外から雪を踏む音が聞こえた。人の足音だった。それも複数も。
こんな森の奥に人が?
京士郎はのろのろと立ち上がって、洞窟から出ようとする。刀の柄に手をかける。いつでも斬れるように。
そして近づいてきた者たちを見て、それは杞憂だったと知る。
白と赤の装束を身に纏った女たちであった。それは巫女の衣装だ。
「本当に、こんなところにいるなんて」
先頭の女が言った。京士郎は顔をしかめる。
「もしかして、白いやつに言われたのか」
「貴方も見られたのですね。ええ、そしてここに来るようにと。二人の男女が、助けを求めていると……もう一方は?」
「いま奥にいる。呼んでこよう」
洞窟に行こうとして、よろめく。すかさず、女が京士郎を支えた。
どうやら体力は戻ってないらしい。ざまあないと、ごちる。
「大丈夫です、私どもでやりますから……」
女に指示され、もう一人の巫女が奥へと向かった。
そうして出てきた志乃は、安心した顔をしたかと思えば急に顔が険しくなる。
「京士郎、何してるの?」
「何って、これは、その」
「また女の人を誑かしたの!? 答えなさい!」
「そんなわけあるか!」
そんな言い合いを、周りの者は笑いながら見ていた。
しかし、京士郎を支えている女は、志乃の顔を見て驚いている。
「ええと、どうかされましたか?」
「いえ……」
口ごもる女。顔を引き締めて、二人に言った。
「ひとまず、向かいましょう。この先に浅間の秘殿があります」




