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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第七章 心のうちに 燃えつつぞ居る
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 それからしばらく経った。

 京士郎と志乃ははるか東へと進んで行く。京を越え、はるばるやってきたのは、富士。

 向こうに見えるのは、白い冠を被った大きな山。

 その前に広がるのは樹の海。それさえも白に染まっている。

 京士郎はそれを眺めて、息を漏らした。

 どうにも、この森の気配は恐ろしかった。たくさんのものが彷徨っているようで、そしてそれが見ているようで。

 志乃もまた、顔を強張らせている。


「ここから先は神域よ」

「神域?」

「神様がいる場所ってこと」

「あの綿津見がうようよいるってことか」

「ええと……」


 志乃は少し言い淀む。京士郎が首をかしげると、言った。


「古き時代、朝廷が生まれる前……天より瓊瓊杵命ににぎのみことが降りられるまで、この世は国つ神のものだった」

「国つ神?」

「そう、遍くこの世に偏在していた神たち。そしてこの森は、彼らが住まう場所」


 重々しく、志乃はそう言った。

 国つ神。かつてこの地上を支配していた者たち。

 人が見出す前よりずっと存在し、恐れられていた者たち。

 そして理解する。ここは酒呑童子のいた大江山に近いのだ。鬼ヶ島が鬼無里であったように、この森は大江山なのである。

 自分の中にある血が騒いでいる。沸騰しているようだった。高揚している、と言えば聞こえはいいだろうか。

 京士郎は己の中にあるものを抑え込んだ。


「この先に浅間神社の、秘殿があるんだな」

「そうよ。私たちの目的地。でも、ここからは彼らの領域よ」

「安心しろ、俺にはこの星兜がある。お前も打出の小槌は持ってるな?」


 志乃は腰に提げた小槌を手に取った。神器に匹敵する力を持つ打出の小槌は志乃をきっと、神域の気配から守ってくれるだろう。

 京士郎とて、星兜があれば他者の領域を侵しても影響を免れることができる。

 二人は森の中へ入っていった。

 気の遠くなる森。奥まで続く木々。

 京士郎でさえ、方向の感覚が狂いそうだった。

 地上まで届かない日が虚しく、しかし降り積もった雪は眩しい。

 その雪に足をとられ、思うように進むことができない。

 いいや、それだけじゃない。溢れる神威が、京士郎たちの体を蝕んでいるのだ。

 志乃は早々に息を切らした。京士郎が何度か声をかけ、手を引くことでどうにか意識を保っている。


「京士郎、京士郎」

「意識はあるか?」

「違うわ! 貴方、気づいてないの!?」


 志乃は京士郎の腕を掴んだ。その掌には、鱗があった。

 蛇の鱗だ。雪と同じく白い鱗だった。

 気づいたときには痛みがあった。腕の感覚が、違うものに支配されているかのようだった。

 

「そうか、この空気は人を追い出すものじゃない。こうして戻してしまう力なのよ」

「戻す……?」

「貴方の中にある血が、こうさせているように。きっとこの森は、人も、ものも、こうして戻してしまう。在りし日の姿か、自分の中にあるものに……。ああもう、こんなことを言ってる場合じゃないのに!」


 そう言って志乃は、水筒を取り出して中にある水を京士郎にかけようとした。

 しかし、その水も凍ってしまっている。残っている量もわずかだったからだ。

 志乃は今度は符を取り出した。そして京士郎の手に貼って、指を這わせた。符が力を持つ。腕の痛みが引いていったのがわかった。

 だが、これは気休めだった。治癒には至っていない。

 京士郎の手を握って、志乃は歩いた。京士郎もまた、志乃の手を引いていった。


「くそっ」


 自分の情けなさに、思わず言葉が漏れた。志乃と目が合う。そこで心が落ち着いた。

 こんな雪の中では傷を癒す清浄な水もなかなか探せない。

 京士郎の意識が少しずつ遠のいていく。体力は志乃よりもあったが、精神においては京士郎の方が衰弱していた。

 すると、新たな気配があった。いいや、元あった気配がますます大きくなったのだった。


「こんなところに、珍しい客人だ」


 そう言ったのは、ある者。綿津見の遣いと名乗った者によく似ていたが、異なるものだった。

 白い衣をまとった者。雪の中にあって消えてしまいそうだが、確かにそこにいた。


「……地に連なる者よ、我が血の者よ。どうして迷うのか」

「それは」


 京士郎はもはや、言葉を語ることもできないほどに消耗していた。

 代わりに、志乃が答える。


「この雪の中では見つけることは適いません」

「いいや、わかるはずだ。なにせ、ここはお前の故郷なのだからな」


 志乃は、え、と驚く。京士郎は、この者は最初から志乃に語りかけていたのだと思った。

 そう言ったっきり、語った者は消えていった。

 だが、不思議なことに志乃の迷いはなくなったようで、まっすぐ歩き出した。

 森の奥にある洞窟まで。

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