拾弐
鬼の速度は、いつもの京士郎からすれば大したものではない。
では志乃はどうか。あるいは犬は。
避けれなくはない。だが圧倒的に速い。その差は歴然としている。
京士郎は迷わず、志乃の頭の上から飛び降りた。それを合図に、志乃と犬も散開する。
鬼の突進を避けた三人は、それぞれ戦う構えを見せた。
「唵————」
志乃の詠唱が響く。事前に用意していたのか、大掛かりな術だった。
犬が志乃の前に立ち、鬼から庇う。
滔々とした響きが、空間を満たしていった。
「不空なる御方、空に座す御方、偉大なる印を持ちし御方、宝珠よ、蓮華よ、光明で包み給え————急急如律令!」
志乃の指から光が放たれた。それは熱を持った光で、鬼を焼かんとしていた。
京士郎の目からもわかる。あれは鬼への致命的な一撃になるはずだった。
しかし、鬼もそう簡単にはやられてくれない。
打出の小槌が振るわれた。鬼は眼前に壁を呼び出して、光を防いでみせた。
「危ないじゃないか」
「狙ったのよ……!」
志乃がそう言っている間に、京士郎は鬼の足元にまで迫った。
体か小さくたって、できることはたくさんある。致命的な一撃を与えられずとも、どうすれば相手の体を崩せるかを知っている。
刀を引き抜いて、切ったのは足の腱だった。獣も人も、ここを断たれれば弱い。
「うぐっ、貴様」
「浅いか!」
鬼は変な声をあげた。しかし、京士郎は手応えのなさを感じていた。
効いてはいるだろうが、致命にはならない。その歯痒さが、京士郎にはたまらなく嫌だった。
足が大きく上げられ、落とされる。京士郎は慌てて飛びのいた。
このまま長くに渡って戦うのは危険だ。そう判断した京士郎は志乃に声をかけた。
「おい、茨木を討った術は使えないのか!」
「だめよ。威力が大きすぎて、ここだとみんなを巻き込んじゃう!」
そう言うが否や、京士郎目掛けて槍が飛んできた。打出の小槌によって生み出された武器を、手当たり次第に投げているのだろう。
雨あられと降ってくるうち、京士郎に当たるのは三本。一本は体を翻して避け、もう一本は犬が空中で掴み、へし折る。
残る一本を、一か八か刀で受け止めた。あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになるも、刃を逸らして弾いた。
一寸しかない体だったが、京士郎は器用に操ってみせた。鬼の攻めのことごとくを防いでいく。
「その体でよくあがく!」
「誰のせいで!」
京士郎はそう言った。
刀を振るい、降ってくる剣や槍を弾きながら、鬼へと迫る。
「急急如律令!」
志乃の第二撃。鬼は再び、壁を生み出して防いだ。
やはり、この鬼の戦いは打出の小槌が中心だった。京士郎は鬼の動きで、攻撃が行われる機会を測っていた。
そして鬼の眼前に躍り出る。鬼は忌々しそうに、京士郎を見下ろした。
「ずっと考えていたんだ」
「何をだ」
「お前がどんなやつかを、だ」
京士郎はそう言った。隣に犬が並ぶ。
二人は、自分たちからは巨大な鬼を見上げる。
片や復讐を誓って。片や哀れみの目で。
「お前が生み出してきたものを見てきた。ここにいる犬、そして猿に雉……小鬼たちに、数々の財宝を」
「それがどうした。ぶひひ、あんな失敗作どもがなんなんだと言うんだ」
失敗作、そう言われて犬が喉を震わせた。
いますぐにでも噛みついてやる、そう言いたげに。
京士郎は少し視線を犬にやって、落ち着くように諭した。
「失敗作……って言ったか?」
「ああ、そうだ。せっかく生み出してやったというのに、どいつもこいつも上手くできていない」
まるで、他人事のように言った。
京士郎はそれを聞いて、納得した。
「ようやくわかった。お前は打出の小槌を使えていないんだな」
「何を! 僕はこの通り、打出の小槌を使えている!」
「いいや、違う。打出の小槌はお前が想像したものを生み出すものだ。だが、想像の限りを尽くさないお前には、満足のいくものが作れないんだ」
「うるさい、うるさいうるさい!」
打出の小槌が振るわれた。刀が現れ、京士郎に振り下ろされた。
京士郎はそれに対し、避けてみせる。刃が床に食い込んだ。
まるで坂のようになった刀を、京士郎は駆け上がる。鬼の体に肉薄した。
「お前はわからないんだ。井の中の蛙だ! 島の外には大きな海があるのに、見えないふりをして、こんな小さな島で踏ん反り返ってる!」
「いいや、それは違うぞ。僕は気づいたんだ。どれだけ足掻いたところで、所詮はその井を広げることしかできない。どうあったって、何かに捕らわれ続ける」
「だったら教えてやる。見つけるには、生みだすためには、それでも飛び出そうとしなけりゃいけねえんだ。こんな狭いところで閉じこもっているなんて、ごめんだな!」
京士郎は鬼の顔まで迫った。刀を振るう。狙いは眼だ。小さな針であろうと、そこを狙えば命にまで刃を届かせることができる。
「京士郎! 危ない!」
京士郎はここにきて鬼を侮っていた。
打出の小槌が振るわれる。床から湧いて出てきたのは炎だった。
京士郎を炎が包む。おおよその炎を京士郎が纏っている星兜が防いだが、その衝撃までを逃すことはできなかった。
煙を上げて、京士郎は落下した。




