拾
京士郎たちは次に、物見櫓までやってきた。
前のように犬を下に置いて、志乃は梯子を上った。京士郎は変わらず、志乃の頭の上である。
上りきった場所に、雉はいた。前と変わらず、ずっと海を眺めている。
志乃たちが現れたことに気づいた雉は、首を傾けた。
雄の体でありながら、雌の心を持った、風変わりな雉。その瞳が向けられると、少し笑った……気がした。
「いい顔をするようになったわね」
そう言った雉は、志乃の元に寄ってくる。志乃もしゃがみこんで、なるべく雉の視線と合わせようとしていた。
雉は京士郎を見ると、あら、と言った。
「あなたもいたの。いつも一緒なのね」
「ほっとけ」
「不機嫌ね。何かあったの?」
雉に言われて、先ほどの志乃の暴力を思いだした。
あれは自分が悪いのだ、そういうことにした。
「いいだろ、別に。それに、今回は俺が話しにきたわけじゃねえ」
「そうなの? 話してみたいと思ってみたのだけれど」
そう言って雉は笑った。京士郎はこういった女が苦手なのだとつくづく理解した。
志乃の頭をぽんぽんと叩くと、志乃は咳払いをして、話を戻した。
「貴女と取引をしに来たわ」
「……呆れたわ。女なのだから狡くなりなさいと言ったのだけれど、もう忘れたのかしら。鶏だってもっと覚えてるわよ」
「いいえ、私は女ではなく、一人の人として、貴女の前に立っているの。私、女の振る舞い方が苦手みたいだから、そっちの方が楽でいいわ」
「へえ?」
雉が感心したように声を出した。京士郎は、内心でひやひやとした。
何せ、さっきの猿との会話で、志乃は女として振舞ったのだ。しかし雉の前では人であると言う。
矛盾している。そんな都合よく使い分けられるものなのだろうか、と京士郎は思った。
しかし、その疑問は次の雉の言葉で理解させられる。
「女の狡さ、わかってきたじゃない」
「何のことよ」
京士郎は、その言葉にぞわりとする。
何も聞かなかったことにした方が、良さそうだ。少なくとも男の自分は出る幕はない。
「それで、取引って?」
「さっきも話した通り、私は貴女に協力してほしいの。でも、貴女に与えられるものは私たちにはない」
志乃は握りこぶしを胸の前に持ってきて、握る。力がこもっているのだろう。
「だから教えてほしいの、貴女のことを」
「教えられることなんてないわ」
「いいえ、あるはず。例えば、どうしてこの物見櫓にいるのか、とか」
そう志乃が言うと、雉は顔を逸らした。
話したくない、という意思表示なのだろう。志乃は追求の言葉をやめない。
「教えてくれませんか、お願い」
「……ふん、いいわ。教えてあげる」
雉はそう言うと、不機嫌そうに言った。
「女の心に男の体、なんて中途半端に作ったくせに、雉の体についてきちんと作ったのよ、打出の小槌の主人は。だから私は、飛ぶことが苦手なの。そういう風に作られた」
諦めている風に言った。けれども、言葉には諦めきれない気持ちが入っていた。
「ちょっと頑張ってね、ここまで来てみたのよ。それで遠くまで見える場所に来て、満足しちゃった。どうせ降りることもできないし、ここにいてもいいかなって思っちゃったのよ」
「なるほど」
京士郎は少しずつ、この雉のことを理解してきた。
いや、もっと言えば、犬と猿のこともわかってきた。
この三匹は同じところがある。似通った部分を京士郎は感じている。
そしてそれは、彼らを生み出した者にも言えることなのだろう。
輪郭ではあるものの、京士郎を襲った鬼の正体がつかめてきた気がした。
「わかったわ」
志乃はそう言った。そして雉の目を見て、言った。
「私がここから、連れ出してあげる」
「は? わかってないわね、私はここで良いって」
「本当に、本当にいいの?」
志乃はなおもそう言った。雉は首を振る。
「しつこいわ。私はね、貴女たちと違うの。歩ける人は良いわ。飛べない鳥の気持ちなんて、考えたことないでしょう?」
「ええ、ないわ。私にわかるのは、目の前の貴女が、本当は飛びたいってことだけよ」
そう言って志乃は雉を抱える。立ち上がると、梯子を下り始めた。
一歩ずつ降りていき、地面へと立つ。
そして雉を放すと、言い放った。
「できない者にやれってことが、どれだけ残酷かわかる?」
「不恰好でもやりたいならやるべきよ。だって、あそこまで飛べたのでしょう?」
「それとこれとは違うわ。私だって、飛べるのは知ってる。けれども、もっと高く飛びたいのに飛べないなんて。だったら飛ばない方がましよ。美しくないじゃない」
「そうやって、飛ばない理由ばっかり見つけて! できない、できないって、できることも探さないのに言わないでよ!」
志乃は強く言った。京士郎はふと、姫から聞いた言葉を思い出した。
自分にはできない、そういう思いが志乃には常にあったのだという。必要とされるために、必死になったのだという。
今の志乃はどうだろう。自分のできることを見つけたのだろうか。
志乃は雉に自分の姿を重ねたのだろうか。
真相はわからない。けれども思いを馳せることはできた。
「私、待ってる。貴女が来てくれることを。見つけられないなら、一緒に来て。探しましょう。大丈夫、私たちがいるわ」
志乃はそう言って、立ち上がった。
行きましょう、と犬に言って。京士郎は振り返って雉を見た。彼女はじっと、志乃の後ろ姿を見ていた。




