玖
京士郎たちは再び、牢屋を訪れた。
その一番奥に、やはり猿はいた。彼はあいも変わらず丸まっており、震えているように見えた。
志乃はゆっくりと、猿に近づく。彼女の言葉しかきっと届かないだろうから、と京士郎と犬は考えていたから、二人は黙っていることにした。
「ねえ、話を聞いてくれる?」
志乃が話しかける。猿はちらり、と志乃を見た。
その瞳は敵意がこもっていたが、同時に何かの期待も感じられた。
「なんだ、また来たのか人の女。だがおれは、一人で来いって言ったはずだが」
「どうしても二人と一緒に話したくて。大丈夫、私だけよ、話すのは。だめかな」
「……だめとは言っていない」
猿はそう言うと、格子まで寄ってきた。そして志乃の眼を見つめている。
「それで、なんだ?」
「どうしてここから出ないのかなって思って」
「どうして、とは?」
「自分からここに入ったのだから、自分から出ることだってできるでしょう?」
志乃がそう言うと、猿は顔を下げた。何を言おうか考えているのだ、と京士郎は思った。
しばらく時間が経った。京士郎は焦れったくなったが、志乃はずっと待っていた。
やがて觀念したように、猿は語り始める。
「外が怖いのだ」
「怖い?」
志乃が聞き返す。猿は頷いて、言った。
「ああ、怖い。この海が自分を飲み込むんじゃないのかと、思ってしまう。空が自分を飲み込んでしまうのではないか、と。いや、あの雲は何だ? 眩しいあれは? わからないのだ、不安で仕方ないのだ……」
猿はそう言った。
それは、猿にしかわからない感覚ではない。京士郎はそう思った。
里にいた頃、京士郎は何も知らなかった。里の外がどうなっているか、わからない。山と里さえあればよかったあの頃は想像さえしなかった。しかし、外を思うと、ぶるりと震えるものがあったのは確かである。
「なるほど、そういうことなのね」
納得して、志乃は言った。
そして京士郎をつまんで手のひらに乗せると、猿の前に差し出した。
ちょこんと、京士郎は猿を目の前にすることになり、仏頂面を浮かべた。
「この京士郎は……昔、里に住んでいたの。私のために、そこから飛び出して見せたわ。最初は反対だったのだけれど。たくさんのものを見て、たくさんの困難があって、でも戦った。それってとっても立派なことよ」
志乃の言葉を、京士郎は驚いて聞いていた。まさかそう思われているだなんて、思いもしなかったのだ。
猿はまじまじと、京士郎を見た。しかし再び、よそを向いた。
「だが、今はこんな姿だ。それに、みんながみんなそんな風にできるわけではない。強い者の理屈だ、それは。おれには関係がない。関係がないんだ」
「いいえ、大丈夫。京士郎はきっと、この困難を乗り越える。私もいるし、この犬も一緒。それだけのものを彼は積んできたし、私たちを動かすだけの言葉を持ってるわ。それにね」
志乃はすっと息を吸った。そして、いつもより低く、腹に響く声で言った。
「私、度胸のある男が好みなの。だから、貴方にその気概があるなら、見せてみなさい」
それじゃあね、と言って志乃は立ち上がった。手で運ばれて、京士郎は志乃の頭に乗らされた。
はっきり言って、今の志乃の言葉に京士郎は震えた。恐かったと言ってもいい。声音に底冷えするようなものがあったのだ。
犬も平静を装っているが、尻尾にいつもの元気さがない。あれは明らかに怯えている。
振り返って猿を見たが、彼もまた呆然としていた。
そして見えなくなったあたりで、志乃はふうとため息を吐いた。
「なかなか、難しいのね」
「あ、ああ」
京士郎は恐る恐るといった様子で、志乃の頭を叩いた。
「なに?」
「あそこまで言うとは思わなかった」
ははは、と志乃は笑う。その笑い方から、本当は言うつもりがなかったのだとわかった。
照れてる志乃に、京士郎は言葉をかける。
「こういうことを聞くのもなんだが」
そこまで言って、これは本当に言っていいのか迷った。言ったら怒らせるのではないかと思ったのだ。
それなりの付き合いの中で、徐々に志乃のことを掴んできた京士郎は、なにを言えば怒るかだいたいわかってきた。が、これは聞かなければいけないような気がしたのだ。
「なによ、言いなさいよ」
「怒らないで聞いてほしいのだが」
そう前置きをして言った。
「お前、猿が相手でもいいのか? ……おい、その手は何だ。待て、やめろ、早まるな! 投げるんじゃない! 落ちつけ、冗談だ、落ちつけって!」
京士郎の悲鳴が響いた。




