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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第六章 夢と知りせば さめざらましを
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 京士郎と志乃は川を下ってたどり着いたのは、須磨だった。

 ここから先、瀬戸内海に出るには大きな船が必要とのことだったが、それについては京からお触れが出てすでに用意されているそうで、二人は安心して港へ向かった。


「これが海か」


 京士郎は海を見たのは初めてだった。

 無限に広がるような青に、恐れすら抱いた。

 鼻に香ってくる潮がどうも痒いが、それすらもこの海の広大さを示しているようにすら思えた。

 ふう、と隣からため息が聞こえた。志乃が隣に立っていた。


「お前も海は初めてなのか」

「ええ。修行していた頃はずっと京にいたし、旅も山間をずっと歩いてたし。瀬戸内の海は風光明媚で有名なのだけれど……うん、とても綺麗」


 うっとりとしたように、志乃は言った。京士郎は再び、海に目を移した。

 確かに美しい。背後から昇る日の光を波が写して、美しい石が散らばっているようにすら思えた。

 しかし、これからのことを考えると、目の前のことに感心してばかりもいられない。

 今からこの先にある鬼ヶ島へ向かうのだが、そこには問題がいくつかあった。

 その一つがこの海である。潮の流れがはやく、船で進むのも困難なのだと聞いていた。

 京士郎たちはまず、この海に挑まなければならない。

 そのことに震えるが、だがここで止まるわけにはいかない。この海に挑むなど、序の口なのだから。


「ねえ、あの島を見て」


 志乃が指差したのは、他の島と比べてもずっと大きな島だった。


「あの島は、伊邪那岐命と伊邪那美命、国を造った二人の神様が最初に産んだ島なのだそうよ。あそこを最初に作り、次に伊予、その次に隠岐、筑紫……ってね」

「ふうん……」


 あの島は、二人の神が最初に産んだ島。試しに作って、その試みからいまの陸地が生まれた。

 ある意味で始まりの場所である。そう思うと、感慨深く感じた。

 ずっと前に天狗が語ったことを思い出した。『この国は色恋から生まれたんだ』などと。そのときは、いつもの説教かと思って聞き流していたが、いまは少しだけ知りたいと思った。


(いったいどんな色恋をすれば、こんな美しい景色を生めるのだろうか)


 そう思って、酒呑童子と茨木童子の顔を思い浮かべる。国を作ると言った彼の野望、そこにはどんな景色があったのだろう。

 次いで志乃の顔を思い浮かべて、悪戯っぽく笑う姫を思い出す。

 もはや呪いだな、と京士郎は思った。別れも出会いもずっと付いて回る。


「行きましょう、日が暮れた海は恐いわ」

「そうだ。それに、そろそろ出発の頃合いだろう」


 時刻は朝方。日が昇って間もない頃。出発の頃である。

 二人は港に泊めてあった、自分たちが川を下ったものよりも大きな船に乗り込んだ。

 寝泊まりまでできる間まであり、充実していた。

 いよいよ船出である。ゆっくりと、けれども前のものよりずっと快適な出発だった。

 二人で語らいながらも進んでいくこと幾ばくか。落ち着いたらしい船乗りが、話しかけてくる。


「お二人さん、この先にある渦潮について知ってるかい?」

「渦潮?」


 京士郎は首を傾げた。志乃は知っているようで頷いた。


「ええ。とりわけ狭い、鳴門の渦潮のことね」

「そうだ。どうも、最近そいつがよく暴れているらしくてな。油断しちまえば船がひっくり返ることだってある」

「それは……」

「おおっと、不安にさせちまったか。大丈夫だ、大きく避けていくつもりだからな。ただ揺れるから恨まないでくれよって話だ」


 元気のそう言った船乗り。京士郎はふと、海を眺めた。

 渦潮と関係あるかわからないが、海の底に何かがいるような気がしているのだ。その大きな気配に飲み込まれるような感覚さえしている。

 しかしそれは不思議と、嫌な感じではない。むしろ温かさも感じるが、はたしてそんなものなのだろうかという疑念もある。


「その渦潮の底には何があるんだろうな」


 京士郎はぼそりとそう言った。

 船乗りは京士郎の言葉に驚いて、苦笑いをしながら答える。


「はは……大きな魚たちに食われるのが積の山ですぜ」

「そうか」


 京士郎は短く、そう答えた。

 さらに時が進み、船が揺れ始めた。潮の流れに捕まったのだろう。縦への揺れは、川を下った際に比にならないほどに激しかった。

 その時点で二人はまったく動じることはなかったが、どんどん揺れが大きくなっていき、そこで不安になって甲板に出たのだった。

 船乗りたちが櫂で漕ぎ、あるいは帆を操り、船をどうにかして動かそうとしている。

 ただならない様子だった。先ほどの船乗りの口ぶりだと、渦潮があっても平気なようであったが。

 これが彼らの考えうる以上に事態なのかもしれない。京士郎は海を見るべく、縁まで向かった。


「見て!」


 志乃が指差した先を京士郎は見た。

 そこにあったのは船ごと呑みこまんとしている巨大な渦潮だった。

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