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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
53/109

拾玖

「よくぞ、お戻りになりました」


 京に帰ると、みなが驚いて出迎えてくれた。

 彼らは次々に二人を賞賛した。よく帰ってきた、よくぞ鬼を倒したと。

 人が鬼を倒した。その一報は、暗くなりつつあった京に光をもたらしたのだった。

 酒呑童子を倒したからか、京の空を覆っていた暗雲も晴れていた。京士郎は息をすることの心地よさを思い出していた。

 いま、京士郎と志乃がいるのは、姫の前だった。屋敷に迎えられ、疲れをとった二人は彼女に呼び出されていたのだった。


「京士郎様、大儀でした。かの酒呑童子を倒し生きて帰られたのは、まさに英雄と呼ぶに相応しい所業。本当であれば、褒美をさしあげたいところなのですけれど……」

「いや、いらん」


 そもそも、貴族でもなんでもない京士郎は、褒美を得たところでどうすればいいのかわからない。土地をもらったところで、耕し方の一つもわからなければ、治めるということすら思いつかない。

 人の上に立てるような者ではない、そう京士郎は思っている。


「志乃も、お疲れ様でした。大江山に攫われて苦しかったでしょう。よくぞ耐えました。活躍も聞いてますよ」

「い、いえ。私は……京士郎ほどの活躍はできておりません。不甲斐ない姿も見せてしまいましたし」

「胸を張りなさい。貴女は京を救ったの」


 志乃は顔を伏せた。それは嬉しく思っていて、照れ隠しをしているのだと京士郎は知っている。

 京士郎はふっと笑った。志乃がきっと睨んでくる。姫が声をこらえて笑った。

 笑って、そして時間が流れる。

 京士郎はこの日に出立することにしていた。志乃もまた、そうだった。


「行かれるのですか?」

「ああ、行かなくちゃな」

「早いのですね……もう少し、お話をしたかったのですけれど」


 残念そうに、姫は言った。京士郎もまた申し訳なく思った。

 しかし、ここで足を止めるわけにはいかないのだ。こうしている間に、鬼たちは人を食っているかもしれないのだから。


「姫様、陛下と末長くお幸せになってください」

「あら、今生の別れのようね?」

「……お戯れを」


 志乃はそう言った。京士郎は首を傾げる。

 陛下、とはいったいなんのことなのだろうか、と。


「京士郎様には言ってなかったわね。私、陛下と婚約している間柄でして」

「婚約? ああ、婚姻はまだということか」

「ええ、まだ陛下は……五つですから」

「は、は?」


 姫は、志乃の二つ上であるはずだから歳は十七か十八であるはず。それに対して、婚約の相手が十二も下というのは複雑である。

 しかし姫が幸せそうに笑っている。それはそれで、いいのかもな、と京士郎は思った。


「ですから、くすくす」


 姫は悪戯をする子どものように笑って言った。


「この前の晩のことは、内緒でお願いしますね」


 それをここで言ったら意味がないんじゃないか。そう京士郎が言おうとしたが、手遅れだった。

 隣にいる志乃が、困惑した顔で京士郎と姫を見ている。そして顔を真っ赤にすると、京士郎に掴みかかった。


「ちょっと! ねえ、ちょっと!」

「言葉で言え!」

「姫様にまで手を出すだなんて、何考えてるの!? 一発ひっぱたいてやる!」

「違う! あれはだな」

「あらあら、内緒って言ったはずですよ、?」


 かちん、という音が聞こえたような気がした。京士郎は志乃の顔を見るのも怖かった。いや、むしろ目に入れないように必死に顔を逸らした。

 それでも目に入ってしまう志乃の顔は、酒呑童子よりもずっとおっかない顔をしていた。


「……話してもらいます」

「い、いや、その」

「話してもらいます」

「ゆ、許せ!」


 京士郎はそう言って、志乃を置いて部屋を飛び出した。それを見咎められて、三条の当主に三人揃って怒られ、出発が一日遅れたのはまた別の話。




   *   *   *




 京を出た京士郎と志乃は、海を目指して川を下っていた。

 京士郎は、大江山に向かうときの装備を一式、もらっていた。星兜と外套はこの先もきっと役立つものだろう。

 泰明は星兜について「くれてやる」とだけ言って、船も用意してくれていた。一方で、精山は京士郎と志乃に挨拶もなく、また姿をくらましたらしい。

 彼らしい、と二人で話しながら船に揺られる。京士郎は初めて船というものに乗ったが、この揺れがなかなかに快適だった。川を下った先でもっと大きな船に乗るらしく、それがまた楽しみだった。

 目指すははるか西にある鬼ヶ島。

 京士郎は日の沈む方を眺めた。

 別れ際というのは、いろんなものがあるのだと知った。いままで京士郎が去っていくばかりであったが、それを意識するのは、これもまた初めてだった。

 酒呑童子と別れて流した涙。それを忘れはしない。頬の傷を撫でる。その傷よりもずっとずっと深く、刻まれたものに触れたくて。

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