拾玖
「よくぞ、お戻りになりました」
京に帰ると、みなが驚いて出迎えてくれた。
彼らは次々に二人を賞賛した。よく帰ってきた、よくぞ鬼を倒したと。
人が鬼を倒した。その一報は、暗くなりつつあった京に光をもたらしたのだった。
酒呑童子を倒したからか、京の空を覆っていた暗雲も晴れていた。京士郎は息をすることの心地よさを思い出していた。
いま、京士郎と志乃がいるのは、姫の前だった。屋敷に迎えられ、疲れをとった二人は彼女に呼び出されていたのだった。
「京士郎様、大儀でした。かの酒呑童子を倒し生きて帰られたのは、まさに英雄と呼ぶに相応しい所業。本当であれば、褒美をさしあげたいところなのですけれど……」
「いや、いらん」
そもそも、貴族でもなんでもない京士郎は、褒美を得たところでどうすればいいのかわからない。土地をもらったところで、耕し方の一つもわからなければ、治めるということすら思いつかない。
人の上に立てるような者ではない、そう京士郎は思っている。
「志乃も、お疲れ様でした。大江山に攫われて苦しかったでしょう。よくぞ耐えました。活躍も聞いてますよ」
「い、いえ。私は……京士郎ほどの活躍はできておりません。不甲斐ない姿も見せてしまいましたし」
「胸を張りなさい。貴女は京を救ったの」
志乃は顔を伏せた。それは嬉しく思っていて、照れ隠しをしているのだと京士郎は知っている。
京士郎はふっと笑った。志乃がきっと睨んでくる。姫が声をこらえて笑った。
笑って、そして時間が流れる。
京士郎はこの日に出立することにしていた。志乃もまた、そうだった。
「行かれるのですか?」
「ああ、行かなくちゃな」
「早いのですね……もう少し、お話をしたかったのですけれど」
残念そうに、姫は言った。京士郎もまた申し訳なく思った。
しかし、ここで足を止めるわけにはいかないのだ。こうしている間に、鬼たちは人を食っているかもしれないのだから。
「姫様、陛下と末長くお幸せになってください」
「あら、今生の別れのようね?」
「……お戯れを」
志乃はそう言った。京士郎は首を傾げる。
陛下、とはいったいなんのことなのだろうか、と。
「京士郎様には言ってなかったわね。私、陛下と婚約している間柄でして」
「婚約? ああ、婚姻はまだということか」
「ええ、まだ陛下は……五つですから」
「は、は?」
姫は、志乃の二つ上であるはずだから歳は十七か十八であるはず。それに対して、婚約の相手が十二も下というのは複雑である。
しかし姫が幸せそうに笑っている。それはそれで、いいのかもな、と京士郎は思った。
「ですから、くすくす」
姫は悪戯をする子どものように笑って言った。
「この前の晩のことは、内緒でお願いしますね」
それをここで言ったら意味がないんじゃないか。そう京士郎が言おうとしたが、手遅れだった。
隣にいる志乃が、困惑した顔で京士郎と姫を見ている。そして顔を真っ赤にすると、京士郎に掴みかかった。
「ちょっと! ねえ、ちょっと!」
「言葉で言え!」
「姫様にまで手を出すだなんて、何考えてるの!? 一発ひっぱたいてやる!」
「違う! あれはだな」
「あらあら、内緒って言ったはずですよ、京士郎?」
かちん、という音が聞こえたような気がした。京士郎は志乃の顔を見るのも怖かった。いや、むしろ目に入れないように必死に顔を逸らした。
それでも目に入ってしまう志乃の顔は、酒呑童子よりもずっとおっかない顔をしていた。
「……話してもらいます」
「い、いや、その」
「話してもらいます」
「ゆ、許せ!」
京士郎はそう言って、志乃を置いて部屋を飛び出した。それを見咎められて、三条の当主に三人揃って怒られ、出発が一日遅れたのはまた別の話。
* * *
京を出た京士郎と志乃は、海を目指して川を下っていた。
京士郎は、大江山に向かうときの装備を一式、もらっていた。星兜と外套はこの先もきっと役立つものだろう。
泰明は星兜について「くれてやる」とだけ言って、船も用意してくれていた。一方で、精山は京士郎と志乃に挨拶もなく、また姿をくらましたらしい。
彼らしい、と二人で話しながら船に揺られる。京士郎は初めて船というものに乗ったが、この揺れがなかなかに快適だった。川を下った先でもっと大きな船に乗るらしく、それがまた楽しみだった。
目指すははるか西にある鬼ヶ島。
京士郎は日の沈む方を眺めた。
別れ際というのは、いろんなものがあるのだと知った。いままで京士郎が去っていくばかりであったが、それを意識するのは、これもまた初めてだった。
酒呑童子と別れて流した涙。それを忘れはしない。頬の傷を撫でる。その傷よりもずっとずっと深く、刻まれたものに触れたくて。




