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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
52/109

拾捌

 京士郎にしなだれかかる酒呑童子。まだ息はあるが、もはや動くことはできず、じきに死ぬだろう。

 いいや、鬼に死ぬという言葉は合わない。しかし、京士郎はあえて死ぬと言いたかった。

 抱きかかえたまま、京士郎は声をかける。


「どうして」


 それは問いだった。


「どうして、とっとと殺さなかった。酒を飲まなければ、勝っていただろう。お前が飲むから、俺も飲んだ。飲まなければ、お前は」

「ふ、ふふ、はははは」


 京士郎の腕の中で、酒呑童子は笑った。もはや動くことも厳しいはずなのに、途方もない苦痛であるはずなのに、笑っている。


「どうして、か。いろいろ理由はある」

「いろいろ?」

「俺の気が済まないのだ。確かに俺はお前を殺すと決めた。だが、お前は同時に俺の弟である。父は山を食らう蛇。七人の娘を喰らい、八人目を喰わんとし敗北した我らが父。その子の俺は、一度知りたかったのだ。果たして、兄弟と飲む酒の味は如何や、と」


 ははっ、と自嘲するように酒呑童子は笑った。京士郎は笑えなかった。


「要は納得の問題だ。我ら兄弟が死ぬならば、それは酔うときでなければならない。父に倣い、父のように。酒に酔って、逝きたかった」

「最初から負けるつもりだったのか」

「いいや、どの道、勝ってしまうということを知ってしまったのだ」


 酒呑童子はそう言う。いよいよ、京士郎は理解することができない。

 勝つ、とはどういうことなのだろう。酒呑童子にとっての勝利とは、鬼女たちとともに京士郎を倒すことではないのか。

 そう思っていると、酒呑童子は口を開いた。


「俺はな、人が憎かった……少し違うというだけで、除け者にする人が憎かった。確かに、俺には力があった。どうしてそれだけで、と。俺は寺に預けられていた。周りがよくならないからと、遠く離されていたのだ。だが、そこの僧が、外法の使い手であったとは誰も思わなかった。俺はそこで、鬼に目覚めたのだ」


 京士郎は、酒呑童子の言葉を黙って聞いていた。それ以外に何もないのであった。


「俺は復讐をしたかったのか、それとも居場所が欲しかったのか……わからないが、そうだな。国が欲しかった。俺たちのような奴らが、平和に暮らせる国が」


 その果てにこれじゃあ、ざまあない。

 酒呑童子はそう言った。京士郎にはそれが悪いことのように思えなかった。


「答えになってない」

「そうだったな。それは、我がお前に勝ったら、という話だ」


 少しだけ黙って、酒呑童子は続けた。


「お前を見たときに、俺は驚いた。お前は……人に必要とされていた。俺たちと同じ力で人を守っていた。そのときに、羨ましく思ってしまったのだ。だから、俺はお前に……やはり俺は……」


 酒呑童子はそこで言葉を止めた。京士郎は、酒呑童子の言おうとしていることはわかったが、その意味までは理解できなかった。

 そして、酒呑童子は何も言わない。京士郎も聞きたかったが、問いただすことことはしなかった。


「茨木の隣に」

「ああ」


 最後に酒呑童子はそう言った。京士郎は、倒れている茨木童子の隣に酒呑童子を寝かせた。

 まるで寄り添う夫婦のようだった。二人を見て、自分の養父母を思い出した。

 そして酒呑童子が目を閉じると、二人は炎になった。炎は高く、空まで伸びようとして、森に阻まれる。

 京士郎はそれを、ぼうっと眺めた。炎を顕明連が反射して、輝いていた。

 志乃が京士郎の隣に並んだ。そして、一緒に炎を眺める。

 やがて炎が消えた。そこには何も残っていなかった。

 いつだってそうだ。鬼と戦ったあとには、何も残らない。いままでの戦いで、彼らが残したものは何もなかった。

 ただただ、京士郎の中にだけ、刻んでいく。


「京士郎」


 志乃は京士郎の手を掴んだ。京士郎の手には、刀が握られていた。


「お疲れ様。ありがとう。……ごめんなさい」

「何だよ、それ」


 志乃は珍しく、口ごもる。朝日が彼女の顔を照らした。

 彼女は泣いていた。どうしてかわからないが、涙を頬に伝わしていた。

 なに泣いてるんだ。京士郎はそう、視線を向けた。志乃は声を震わせて言う。


「だって、京士郎も、泣いてるじゃない」


 そう言われて、京士郎はようやく、自分が泣いていることに気がついた。

 ようやくわかったのだ。酒呑童子は鬼だったが、やはり兄であったのだと。彼は残していきたかったのだと知ったのだ。その想いが生まれたのは決して、血のよるものだけではない。血によるものではないから、京士郎は悲しかったのだ。

 涙を拭って、京士郎は志乃から少し離れる。顔を伏せて、一頻ひとしきり泣いてから、振り返った。


「帰ろう。みんな待ってる」

「ふふ……そうね。帰りましょう」


 二人はようやく笑った。日はすでに、空高くに登っていた。

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