拾捌
京士郎にしなだれかかる酒呑童子。まだ息はあるが、もはや動くことはできず、じきに死ぬだろう。
いいや、鬼に死ぬという言葉は合わない。しかし、京士郎はあえて死ぬと言いたかった。
抱きかかえたまま、京士郎は声をかける。
「どうして」
それは問いだった。
「どうして、とっとと殺さなかった。酒を飲まなければ、勝っていただろう。お前が飲むから、俺も飲んだ。飲まなければ、お前は」
「ふ、ふふ、はははは」
京士郎の腕の中で、酒呑童子は笑った。もはや動くことも厳しいはずなのに、途方もない苦痛であるはずなのに、笑っている。
「どうして、か。いろいろ理由はある」
「いろいろ?」
「俺の気が済まないのだ。確かに俺はお前を殺すと決めた。だが、お前は同時に俺の弟である。父は山を食らう蛇。七人の娘を喰らい、八人目を喰わんとし敗北した我らが父。その子の俺は、一度知りたかったのだ。果たして、兄弟と飲む酒の味は如何や、と」
ははっ、と自嘲するように酒呑童子は笑った。京士郎は笑えなかった。
「要は納得の問題だ。我ら兄弟が死ぬならば、それは酔うときでなければならない。父に倣い、父のように。酒に酔って、逝きたかった」
「最初から負けるつもりだったのか」
「いいや、どの道、勝ってしまうということを知ってしまったのだ」
酒呑童子はそう言う。いよいよ、京士郎は理解することができない。
勝つ、とはどういうことなのだろう。酒呑童子にとっての勝利とは、鬼女たちとともに京士郎を倒すことではないのか。
そう思っていると、酒呑童子は口を開いた。
「俺はな、人が憎かった……少し違うというだけで、除け者にする人が憎かった。確かに、俺には力があった。どうしてそれだけで、と。俺は寺に預けられていた。周りがよくならないからと、遠く離されていたのだ。だが、そこの僧が、外法の使い手であったとは誰も思わなかった。俺はそこで、鬼に目覚めたのだ」
京士郎は、酒呑童子の言葉を黙って聞いていた。それ以外に何もないのであった。
「俺は復讐をしたかったのか、それとも居場所が欲しかったのか……わからないが、そうだな。国が欲しかった。俺たちのような奴らが、平和に暮らせる国が」
その果てにこれじゃあ、ざまあない。
酒呑童子はそう言った。京士郎にはそれが悪いことのように思えなかった。
「答えになってない」
「そうだったな。それは、我がお前に勝ったら、という話だ」
少しだけ黙って、酒呑童子は続けた。
「お前を見たときに、俺は驚いた。お前は……人に必要とされていた。俺たちと同じ力で人を守っていた。そのときに、羨ましく思ってしまったのだ。だから、俺はお前に……やはり俺は……」
酒呑童子はそこで言葉を止めた。京士郎は、酒呑童子の言おうとしていることはわかったが、その意味までは理解できなかった。
そして、酒呑童子は何も言わない。京士郎も聞きたかったが、問いただすことことはしなかった。
「茨木の隣に」
「ああ」
最後に酒呑童子はそう言った。京士郎は、倒れている茨木童子の隣に酒呑童子を寝かせた。
まるで寄り添う夫婦のようだった。二人を見て、自分の養父母を思い出した。
そして酒呑童子が目を閉じると、二人は炎になった。炎は高く、空まで伸びようとして、森に阻まれる。
京士郎はそれを、ぼうっと眺めた。炎を顕明連が反射して、輝いていた。
志乃が京士郎の隣に並んだ。そして、一緒に炎を眺める。
やがて炎が消えた。そこには何も残っていなかった。
いつだってそうだ。鬼と戦ったあとには、何も残らない。いままでの戦いで、彼らが残したものは何もなかった。
ただただ、京士郎の中にだけ、刻んでいく。
「京士郎」
志乃は京士郎の手を掴んだ。京士郎の手には、刀が握られていた。
「お疲れ様。ありがとう。……ごめんなさい」
「何だよ、それ」
志乃は珍しく、口ごもる。朝日が彼女の顔を照らした。
彼女は泣いていた。どうしてかわからないが、涙を頬に伝わしていた。
なに泣いてるんだ。京士郎はそう、視線を向けた。志乃は声を震わせて言う。
「だって、京士郎も、泣いてるじゃない」
そう言われて、京士郎はようやく、自分が泣いていることに気がついた。
ようやくわかったのだ。酒呑童子は鬼だったが、やはり兄であったのだと。彼は残していきたかったのだと知ったのだ。その想いが生まれたのは決して、血のよるものだけではない。血によるものではないから、京士郎は悲しかったのだ。
涙を拭って、京士郎は志乃から少し離れる。顔を伏せて、一頻り泣いてから、振り返った。
「帰ろう。みんな待ってる」
「ふふ……そうね。帰りましょう」
二人はようやく笑った。日はすでに、空高くに登っていた。




