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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
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拾漆

 初めて飲んだ酒の味は劇的だった。

 飲んだ先から、体が熱くなる。炎を腹に宿したような感覚。手足のしびれがあり、力が抜けていく。

 京士郎は、揺れる視界で酒呑童子を捉えた。彼もまた、酒を飲んでいた。

 これで対等だ。酒呑童子が力を失うのは決まっている。京士郎はどうなるかわからない。酒呑童子は、京士郎が力を失うと信じているからこそ飲んだ。志乃は、京士郎は人であると信じるからこそ飲ませた。

 酒を飲んだ、同じ地に立った。ここからが勝負。

 その結果は。京士郎はいまこそ、その答えを得るのだと思った。


「さて、これ以上語ることなどない。あるとすれば、己の名とともに戦うのみ」


 そう言って酒呑童子は刀を抜いた。それは京士郎に合わせて用意したものなのか、元から持っていた得物なのか。

 京士郎は刀を構える。その切っ先はまっすぐに酒呑童子へ向けられた。

 ここにきて、京士郎も予期しなかったことが起こる。

 それは朝日だった。季節から短くなっていた夜が明けたのだった。京士郎の背に光が降り注いだ。

 刀に朝日が映った。そして京士郎は見た。顕明連が見せる三千大千世界の一つ、自分が描き、掴みたい未来を。

 それは針のような可能性だったが、必然でもあった。負けたりなんかしない。そのために積み上げてきたものがあり、そのために一歩進んだのだから。

 京士郎は構えを変える。青眼の構えから大上段へ。必殺の一撃を放つべく、最も力の入れることのできる構えに。


「我は大江山が鬼の将、酒呑童子」

「京士郎。名だけ受け取ってくれ」


 京士郎は自分の名前以外は持ち合わせていない。それこそが今の己の全てであるから。

 二人は口を揃えて言った。「いざ、尋常に」と。それは合図だった。


「参る!」

「勝負……っ!」


 京士郎と酒呑童子は地面を蹴った。それは一歩、一足であったが、まさしく消えるようだった。瞬きにうちに、二人はぶつかっていた。

 決着は、三度の刀合わせだった。

 最初の一合。助走とともに放たれた両者の一撃は、酒呑童子が圧倒した。

 強大な一撃だった。並の武具であればへし折れていただろう。

 武具が優れていたところで、並の使い手であれば腕ごと持っていただろう。

 その威力は、空気が伝えていた。たかが二本の刀がぶつかっただけで、びりびりと痺れるような痛みを辺りに伝えていた。まさに神話の一編を再演したかのような剣戟だった。

 京士郎は耐えた。腕は痺れ、一歩押しのけられながらも、耐えて、立っていた。

 神便鬼毒酒はお互いにまだ効いていない。京士郎の力は上がりも下がりもしなかったし、酒呑童子の一撃は彼の全力そのもの。

 だが、耐えた。京士郎は最初の一撃を耐えてみせたのだ。

 跳ね上がった二人の刀。引き戻して、両者は二撃目を繰り出す。

 再び金属音。今度はつばぜり合いになった。


「はああああぁぁぁぁっ!」

「おおおおおぉぉぉぉっ!」


 互いに大きく口を開けて咆哮する。そう、二人の間に変化が訪れたのである。ここにきて、京士郎にとっては運のいいことに、酒呑童子にとっては運の悪いことに、神便鬼毒酒が効いたのだ。

 京士郎の力は増していた。その目は酒呑童子の動きを見切り、腕にもいままでよりずっと力が入っていた。京士郎の中で間違いなく最高の一撃が繰り出されたのだ。

 が、酒呑童子は止めた。酒は効いているはずだから、力は弱まっているのだ。にもかかわらず、京士郎の一撃に拮抗してみせる。

 まだ足りない。それは酒呑童子の執念だ。彼はその想いだけで酒の力に抗っている。まだだ、と言い続けている。

 決定的な差があった。京士郎は次へ行くことを考えている。生きなければならぬと。

 それに対し、酒呑童子はこの時にすべてを賭けていた。目の前にいる京士郎にすべてをぶつけていた。

 想いが戦いを左右することはない。負けた側が意志の弱い方だ、などと口が裂けても言えない。しかしこうして力が拮抗したならば、戦いは意志によるものになる。

 京士郎は一瞬、呑まれそうになる。

 弱気をかき消して、一歩詰めた。

 焦れに焦れ、その剣圧のために地面まで焦げ、ようやく二人の拮抗は終わった。

 二人の剣が弾かれる。姿勢を崩したのは酒呑童子だった。

 京士郎は追った。ずっと追ってきた。ここでついに、手が届いた。

 三撃目。長くも短い決着だった。

 酒呑童子もただでやられない。どれほど神通力を手に入れたところで、生身の体である。刀が命に届く傷を負わせれば、力に差があろうと勝てるのである。

 突きが放たれた。京士郎はその突きに、受けるのではなく避けることを選ぶ。

 頬を切って、突きは逸れた。京士郎の刀は高く振り上げられている。顕明連は朝日を映して、眩しく輝く。


「これで……終わりだぁああああっ!」


 縦に一筋。京士郎は自分が描いた景色の通りに、刀を振るった。

 酒呑童子の体から、血が溢れた。それは血に見える、陰気だった。

 解き放たれ行き場をなくした陰気が散る。京士郎はそのすべてを払って、酒呑童子の前に立った。

 酒呑童子は目を閉じ、京士郎に覆いかぶさるように倒れた。刀も落としている。京士郎は酒呑童子を受け止めた。


「……見事だ、京士郎」

「……応」


 京士郎は短く答える。ここに血の繋がった兄弟の縁は切れたのだった。

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