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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
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拾陸

 雷が落ちた。まばゆい光が満ちて、轟音は空気を揺らした。衝撃は山をも震わせる。

 京士郎はあまりの勢いに飛ばされ後ろに下がる。

 顔を上げれば、そこにいたのは体を一部、炭化させた鬼だった。

 それは女であって、茨木童子であるようだった。咄嗟に酒呑童子を庇ったのか、その場にいたのは彼女だけだった。

 あちこちが炭になっている。焦げた臭いもただよっている。

 茨木童子は尻餅をつくようにして倒れた。もはや立つこともできないのか、彼女は仰向けになったまま動かない。


「はぁ……はぁ……」


 志乃もまた、力を使い果たしたのか、もはや立つことができずにいた。この陰気の中で、身を守る術も持たずによく耐えたと京士郎はむしろ感心した。ましてや、茨木童子を一撃で倒した術の反動だってあるはずだ。

 座り込む志乃に、外套をかける。ないよりはずっとましだろう。


「どうやら、残るは我ら二人のようだな」


 酒呑童子が言った。京士郎は睨みつける。


「……そうだな」

「よもや、その小娘がそのような術を持っているとは思いもしなかった。侮っていたな」


 なおも笑う、酒呑童子。その笑みは、どうしてか柔らかいものに見えた。

 何かを見出したかのような。言ってしまえば、希望を見出したかのような目だった。


「さあ、決着をつけよう」

「仲間にするんじゃなかったのか」

「気が変わった。己の野望を突き通そうと思ったのだが、どうやら惚れた女を殺されてまで己を突き通せるほど、俺は薄情ではないらしい」


 そうは言うが、酒呑童子の鬼の気配は一層強くなっていた。怨念とも言えるものが、彼に力を与えていた。

 京士郎はその姿に恐れを覚える。間違いなくいままで戦ってきた鬼の中で最も強い相手だろう。京士郎は歯を食いしばらなければ倒れそうだった。

 存在するだけで圧を発している。それは目に見えないながらも、確かに京士郎を倒さんとしていた。


「その前に、お前はやるべきことがあるだろう。その腰にある酒は、そのためのものではないのか」


 京士郎ははっとして、思い出す。

 神便鬼毒酒。精山より授かった秘伝の酒。酒呑童子に勝つために、京士郎はこの酒を使わなければならないのだ。


「我の神通力も地力も、お前を遥かに超えている。その酒を使えば、俺はたちまち力を失うだろう」

「そうとわかっていながら、なぜだ」

「例え神通力を失っても、同じようにお前もまた神通力と地力を失えば、実力で勝る我が勝つのは必定だ。であるならば、お前がとれる万全の術を尽くしてかかってくるのを潰してやりたいのだ」


 京士郎は息が詰まった。迫真の言葉に、気圧される。

 酒呑童子は余裕などない。けれども、京士郎に勝つ絶対の自信があるのだ。

 自信? いいや、違う。それは自負だ。いましがた、京士郎が叫んだものだ。己が己であるためのものだ。


「そうだ、我についてきてくれた全てのために、我はここに立つ。熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子……茨木童子。彼女たちの魂を背負っているのだ! 京士郎、弟よ、お前がその小娘を背負うというのなら、証明してみせろ。男のなんたるか、この俺が教えてやる!」


 宇宙が震えているようだった。空気が凍りつき、張り詰め、刃となって京士郎を刻もうとしていた。

 酒呑童子は本物だ。その本物の意味を理解はしていなかったが、そう思ったのだった。

 もはや引くことはできない。そんなことを言われてしまえば、京士郎は、男は、戦うしかない。馬鹿だと思った。だがそれこそが京士郎の進む道だった。

 京士郎は、酒の入った瓢箪を手に持った。酒呑童子は京士郎の前に立ち、どこからか取り出した徳利とっくりを二つ取り出した。ひとつを京士郎は受け取った。

 酒を注ぐ。そして二人は距離をとって、徳利を高く掲げた。

 京士郎は未だ躊躇う。この酒を飲めば、その先に真実がある。自分は鬼か否か。この酒を飲めば証明される。


「京士郎、己を受け入れろ。お前は我の弟だ。それは避けられえぬ、たったひとつの真実だ。そして決めろ、見極めろ、己の在り方を」


 酒呑童子の言葉に、頭が痛む。目がくらむ。たくさんの想いが巡った。

 答えは出ないまま、ここにいる。志乃が諦めないから、ここに立っている。

 京士郎は中途半端だと思った。自分は人か鬼かも曖昧だ。自分では何ひとつ決めることができない。

 その果てがこれだった。

 否応無く答えを出してしまう神便鬼毒酒。飲んでしまえば、自分の半端さと決着をつけてしまうことになる。

 京士郎はそれを恐れた。そして、その中途半端な自分が自分を滅ぼすのみならず、志乃も、京も、全てを滅ぼしてしまいそうで。

 そして、京士郎は気づく。


(ああ、そうだ。だからこそ、俺は背負わなければならない)


 この手に握る刃が誰かを傷つけてしまうからこそ、背負わなければならないのだ。

 己の力を知り、律し、制し……そうして、見つけるのだ。答えを。


「京士郎!」


 志乃が叫んだ。志乃は両手で起きようとして、できないでいる。必死の形相で、叫んでいた。


「貴方は鬼なんかじゃない! だって、私を助けに来てくれたじゃない! 死んじゃうかもしれないのに、来てくれた! 京士郎、貴方はここにいるわ!」


 志乃の言葉に京士郎は納得した。

 納得、してしまった。

 京士郎は徳利を傾けて、酒を呷る。

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