拾弐
姫と話した翌朝、京士郎は泰明と共にある神社を訪れていた。京からは南西の位置にあり、裏鬼門と呼ばれる方位であり、重要な地なのだと泰明は言っていた。
その寺で京士郎は装備を整えていた。泰明の指示で、召使たちが京士郎を囲み、その身に鎧をつけていく。
京士郎の動きを害しないように腕や肩、脛にのみ黒い甲がつけられる。
服は上等なものであるとともに、京士郎ですら感じられるほどの力が込められていた。身につけてみれば体が軽く感じられる。
「この鎧はかつて、神と魔の争いがあった折に、人の戦士が身につけていたものだ。腕に二つ、足に二つ、肩に二つ、そして服を合わせ七つの守り。名を星兜という。これがあれば、大江山の陰気にも耐えうることができるだろう」
泰明は言った。なるほど、と京士郎は自分の身につけられた黒い鎧を眺めた。
これならば戦うことができる。自信はなかったが、泰明の言葉を信じようと思った。
最後に外套を纏い、出発の準備は整った。
京士郎は腰の刀を抜き、一振り。一拍置いて、二振り。調子はすこぶるいい。
「京士郎殿、志乃を頼む」
泰明の口から漏れた言葉。昨晩も似た言葉を聞いたな、と京士郎は苦笑いを浮かべる。
「鬼に攫われるとは、不出来な弟子だ。まったく。才能はあるが、肝心なところが抜けているのだ」
それは独り言のように思えたが、京士郎はしっかり聞いていた。いや、目の前で話されて、京士郎に聞こえないわけがないのだ。言いにくいが言うべきだと思ったから、小声で言ったのだろう。
「安心しろ、必ず連れ帰る」
「待っている。帰ってきたら、仕置きの一つでもくれてやると伝えてくれ」
最後にそう言って、泰明はそっぽを向いた。
京士郎は頭を下げる。これは礼だった。
そうしていると、もう一人の来客。それは精山だった。いつもの見窄らしい格好ではなく、高僧としての姿だった。
「京士郎、もう行くのか」
「ああ」
「だったらこいつを持っていけ」
そう言って精山が差し出したのは、瓢箪だった。
受け取って、振ってみると中からちゃぽんと音がする。
「これは?」
「それは酒だ」
「まさか、鬼どもと酒盛りをしろって言うんじゃないだろうな」
「そのまさかだ。いいか、京士郎、これはただの酒じゃない。よく聞くんだな。それは神便毒鬼酒と言ってな、人が飲めばたちまち神が如き力を手に入れる。だが、鬼が飲めばたちまちその力を失う。この意味がわかるな?」
それは驚くものであり、また京士郎を悩ませるものだった。
それでも持って行くべきだろうと決め、腰に巻いた。それを見て精山は満足そうに頷いた。
「それでいい。必ず、お前はそれを使うことになる」
「……ああ」
精山の話を聞いて、京士郎は確信している。この酒を使わざるを得ない。地力で京士郎は酒呑童子に敵わないのだから、この酒を使うしかないのだ。
しかし、それは、京士郎に一つの決断を迫ることになる。酒呑童子だけに飲ませることができなければ、今度は自分が飲まなければならない。もしそのとき……。
そこまで考えて、やめる。戦うことは避けられないのだから。
京士郎は足を進める。そして振り返って、精山と泰明を見た。
「行ってくる。……ありがとう」
京士郎は強く地面を蹴った。一足で大きく神社を越えて、山の中へ。
その疾駆はさながら天を駆ける韋駄天のようであった。
* * *
京士郎は大江山へと向かっていく。漂ってくる陰気を切り裂いて走る。
星兜の力は絶大で、陰気をいくら浴びても京士郎は一切の息苦しさを感じなかった。動きを妨げることもなく、むしろ以前よりも力が増しているようにすら思った。
このまま向かえば、晩には大江山に着くだろう。遠目に感じる気配から、その距離を探って思った。
「待て待て、京士郎」
すると、急に呼び止められる。京士郎の目に入ったのは、翼をはためかせる者。天狗だった。
「お前、何しに来た!」
「ご挨拶だな。落ち着けよ」
天狗はそう言って、木の枝に座り込んだ。京士郎も立ち止まる。
以前もこうして二人で話したが、このところ慌てているときに限って出てくるから、ゆっくり話せないでいる。
「さて、ずっと前にお前の父親との約束について、少し話したことがあったな」
「なに?」
それはずっと前のこと。京士郎が志乃とともに旅立つ前のことだ。
思い出し、それは聞かないわけにはいかないと、耳を傾ける。母のことは聞いても、父のことは聞いたことがなかったからだ。
「それが何なのか、細かく話すのはよそう。だがお前も悩んでいると思う。酒呑童子、茨木童子、そして四天王……彼らがお前を兄弟と呼ぶ、そのことをな」
「ああ」
京士郎は素直に認める。いま、気がかりなのは志乃だが、京士郎が手を止めてしまう理由があればそれだった。
「お前が奴らの兄弟であることは、儂が認めよう。同じ父を持ち、同じように生まれたのだ。それぞれの生はあったがな。だが、なに、気にすることはない。我らは嘘は言わない、だが真に受けるな。我らは真実を話すが、そこに何を見出すのかは人次第だ」
「我ら?」
「鬼も神も変わらんよ。同じく面妖であり移ろいやすいものだ」
天狗はそう言った。京士郎には理解ができなかった。
そもそも天狗とはいったい何なのか、気にしたこともなかった。いまさら、実は鬼だとも言われても驚くことはない。
「話を戻そう。京士郎、お前の父は、奴らの父と同じだ。だが、違うものであるとも言える。かつて八つの首を持つ蛇がいた。その蛇は素戔嗚に斬られ、八つそれぞれに別れた。その一つがお前の父であり、違う一つが酒呑童子の父である。大江山にいる他の鬼たちも同じように生まれた。そしてそれぞれの生の果てに、奴らは鬼となった」
だが、と天狗は言った。森が風に揺れて喚く。
「京士郎、お前は人として生きることができる。あえて、鬼になることができる。お前たちに限らず遍く人は、みな人として生きることができ、鬼となってしまうこともあるのだ。それこそが人だ。そんなことも知らずに生きて欲しいという願いはあったが、知ってしまうのが世の摂理だろう。故に、選ぶのだ」
「選ぶだと? 何を選ぶというのか」
「誰かを想えるか否かを」
「誰かを……」
京士郎は、いよいよ悩む。自分には鬼と同じ血が流れている。その違いは、他者を選べるか否かということを知っている。
己を恐れる京士郎。もし、自分の思いが他者を傷つけたら。もし、自分が他者を踏みにじったら。刃が誰かを傷つけるのではないかと。恐くてたまらないのである。
「京士郎、恐れるのだ。その恐れこそが、お前を人たらしめる」
そう言って、天狗は姿を消した。京士郎は天狗がいた場所を眺めて、再び走り始めた。




