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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
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拾弐

 姫と話した翌朝、京士郎は泰明と共にある神社を訪れていた。京からは南西の位置にあり、裏鬼門と呼ばれる方位であり、重要な地なのだと泰明は言っていた。

 その寺で京士郎は装備を整えていた。泰明の指示で、召使たちが京士郎を囲み、その身に鎧をつけていく。

 京士郎の動きを害しないように腕や肩、脛にのみ黒い甲がつけられる。

 服は上等なものであるとともに、京士郎ですら感じられるほどの力が込められていた。身につけてみれば体が軽く感じられる。


「この鎧はかつて、神と魔の争いがあった折に、人の戦士が身につけていたものだ。腕に二つ、足に二つ、肩に二つ、そして服を合わせ七つの守り。名を星兜ほしかぶとという。これがあれば、大江山の陰気にも耐えうることができるだろう」


 泰明は言った。なるほど、と京士郎は自分の身につけられた黒い鎧を眺めた。

 これならば戦うことができる。自信はなかったが、泰明の言葉を信じようと思った。

 最後に外套を纏い、出発の準備は整った。

 京士郎は腰の刀を抜き、一振り。一拍置いて、二振り。調子はすこぶるいい。


「京士郎殿、志乃を頼む」


 泰明の口から漏れた言葉。昨晩も似た言葉を聞いたな、と京士郎は苦笑いを浮かべる。


「鬼に攫われるとは、不出来な弟子だ。まったく。才能はあるが、肝心なところが抜けているのだ」


 それは独り言のように思えたが、京士郎はしっかり聞いていた。いや、目の前で話されて、京士郎に聞こえないわけがないのだ。言いにくいが言うべきだと思ったから、小声で言ったのだろう。


「安心しろ、必ず連れ帰る」

「待っている。帰ってきたら、仕置きの一つでもくれてやると伝えてくれ」


 最後にそう言って、泰明はそっぽを向いた。

 京士郎は頭を下げる。これは礼だった。

 そうしていると、もう一人の来客。それは精山だった。いつもの見窄らしい格好ではなく、高僧としての姿だった。


「京士郎、もう行くのか」

「ああ」

「だったらこいつを持っていけ」


 そう言って精山が差し出したのは、瓢箪ひょうたんだった。

 受け取って、振ってみると中からちゃぽんと音がする。


「これは?」

「それは酒だ」

「まさか、鬼どもと酒盛りをしろって言うんじゃないだろうな」

「そのまさかだ。いいか、京士郎、これはただの酒じゃない。よく聞くんだな。それは神便毒鬼酒じんべんきどくしゅと言ってな、人が飲めばたちまち神が如き力を手に入れる。だが、鬼が飲めばたちまちその力を失う。この意味がわかるな?」


 それは驚くものであり、また京士郎を悩ませるものだった。

 それでも持って行くべきだろうと決め、腰に巻いた。それを見て精山は満足そうに頷いた。


「それでいい。必ず、お前はそれを使うことになる」

「……ああ」


 精山の話を聞いて、京士郎は確信している。この酒を使わざるを得ない。地力で京士郎は酒呑童子に敵わないのだから、この酒を使うしかないのだ。

 しかし、それは、京士郎に一つの決断を迫ることになる。酒呑童子だけに飲ませることができなければ、今度は自分が飲まなければならない。もしそのとき……。

 そこまで考えて、やめる。戦うことは避けられないのだから。

 京士郎は足を進める。そして振り返って、精山と泰明を見た。


「行ってくる。……ありがとう」


 京士郎は強く地面を蹴った。一足で大きく神社を越えて、山の中へ。

 その疾駆はさながら天を駆ける韋駄天のようであった。




   *   *   *



 

 京士郎は大江山へと向かっていく。漂ってくる陰気を切り裂いて走る。

 星兜の力は絶大で、陰気をいくら浴びても京士郎は一切の息苦しさを感じなかった。動きを妨げることもなく、むしろ以前よりも力が増しているようにすら思った。

 このまま向かえば、晩には大江山に着くだろう。遠目に感じる気配から、その距離を探って思った。


「待て待て、京士郎」


 すると、急に呼び止められる。京士郎の目に入ったのは、翼をはためかせる者。天狗だった。


「お前、何しに来た!」

「ご挨拶だな。落ち着けよ」


 天狗はそう言って、木の枝に座り込んだ。京士郎も立ち止まる。

 以前もこうして二人で話したが、このところ慌てているときに限って出てくるから、ゆっくり話せないでいる。

 

「さて、ずっと前にお前の父親との約束について、少し話したことがあったな」

「なに?」


 それはずっと前のこと。京士郎が志乃とともに旅立つ前のことだ。

 思い出し、それは聞かないわけにはいかないと、耳を傾ける。母のことは聞いても、父のことは聞いたことがなかったからだ。


「それが何なのか、細かく話すのはよそう。だがお前も悩んでいると思う。酒呑童子、茨木童子、そして四天王……彼らがお前を兄弟と呼ぶ、そのことをな」

「ああ」


 京士郎は素直に認める。いま、気がかりなのは志乃だが、京士郎が手を止めてしまう理由があればそれだった。


「お前が奴らの兄弟であることは、儂が認めよう。同じ父を持ち、同じように生まれたのだ。それぞれの生はあったがな。だが、なに、気にすることはない。我らは嘘は言わない、だが真に受けるな。我らは真実を話すが、そこに何を見出すのかは人次第だ」

「我ら?」

「鬼も神も変わらんよ。同じく面妖であり移ろいやすいものだ」


 天狗はそう言った。京士郎には理解ができなかった。

 そもそも天狗とはいったい何なのか、気にしたこともなかった。いまさら、実は鬼だとも言われても驚くことはない。


「話を戻そう。京士郎、お前の父は、奴らの父と同じだ。だが、違うものであるとも言える。かつて八つの首を持つ蛇がいた。その蛇は素戔嗚すさのおに斬られ、八つそれぞれに別れた。その一つがお前の父であり、違う一つが酒呑童子の父である。大江山にいる他の鬼たちも同じように生まれた。そしてそれぞれの生の果てに、奴らは鬼となった」


 だが、と天狗は言った。森が風に揺れて喚く。


「京士郎、お前は人として生きることができる。あえて、鬼になることができる。お前たちに限らずあまねく人は、みな人として生きることができ、鬼となってしまうこともあるのだ。それこそが人だ。そんなことも知らずに生きて欲しいという願いはあったが、知ってしまうのが世の摂理だろう。故に、選ぶのだ」

「選ぶだと? 何を選ぶというのか」

「誰かを想えるか否かを」

「誰かを……」


 京士郎は、いよいよ悩む。自分には鬼と同じ血が流れている。その違いは、他者を選べるか否かということを知っている。

 己を恐れる京士郎。もし、自分の思いが他者を傷つけたら。もし、自分が他者を踏みにじったら。刃が誰かを傷つけるのではないかと。恐くてたまらないのである。


「京士郎、恐れるのだ。その恐れこそが、お前を人たらしめる」


 そう言って、天狗は姿を消した。京士郎は天狗がいた場所を眺めて、再び走り始めた。

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