拾壱
「初めて会ったのは、私が七つのときでした。父が連れてきたのは、私より二つ下の女の子で……その子が志乃でした。巫女服を着て、鋭い目つきであれこれを見ていた、そんな子でした」
美しい声で、姫は語る。それは川のせせらぎに耳を傾けているような心地よさがあった。
「父は特に何も言わず、今度から安倍家の弟子になる子とのみ申しました。けれども、私は志乃と不思議な縁があるように感じたのです。私は志乃をことあるごとに呼びつけました。迷惑だったでしょうね」
「ふっ」
それを聞いて京士郎は少し笑った。姫はむっとした。
「何がおかしいんですか」
「いまとまったく同じだなと思ってな」
「あ、ふふっ、そうね、それはおかしいわ」
この、ころころと変わる感情が、京士郎は志乃に似たものを感じた。女というものは、もしかするとこういうものかもしれない。
他に知っているのが呉葉にろく、そして茨木童子くらいだから何の参考にもならないが。
ひとしきり笑うと、姫は再び語りはじめる。口調は形式ばったそれではなく、友に向けるようなものになっていた。
「あの子は、泰明様が言うには、とっても才能のある術師なのだそうよ」
「そうなのか? だが、あいつは」
「ええ、自分じゃ才能がない、だなんて風に思ってたみたいね。ううん、いまも思ってるに違いないわ。あの子はとってもまっすぐだし、そう思ってないと認められないと思ってるから」
ここから先に姫の伝えたい志乃がいる。京士郎は姫の口調からそう感じた。刻むようにして、話を聞こうと心がけた。
「あの子は、父も母も知らないで育ってるの。気が付いたらそこにいて、誰かに言われて生きているの。お前は役に立てって。だからあの子は、必死になってた。必要とされようとしてたの。だから、精山様のことを探す使命も、進んで引き受けてたわ」
その声は一抹の寂しさが込められているように感じた。京士郎はあごに手をかける。
「だから帰ってきたあの子を見て、ええ、びっくりしたの。変わったなって。誰かのために泣いたって聞いて、それはもう、びっくりしたわ」
変わった、と言われて、京士郎は納得した。
旅をしている間に、志乃は変わったような気がする。はじめは京士郎を拒んでいたが、やがて認めてくれた。鬼を倒すと言えば、できると言ってくれもした。会話が京士郎の脳裏にふっと蘇る。
それは些細なことのようで、実はとても大きなものなのではないか。自分はあまりに多くのものを見落としてきたのではないか。
神通力とは何か、そう聞いた時、志乃は「見て、聞く」ことだと言った。京士郎は、その力を持ちながらなにもできていないと己を責めた。
それと共に、自分のことを省みた。
(俺は変わったのだろうか、里で生きていた頃と)
変わったのだろう、そう思った。それは志乃のおかげだともすぐにわかった。
何せ、これだけ人のことを考えるようになった。誰かのために怒り、悲しみ、拒み……そして何より、自分を探し始めた。
鬼と戦い、鬼を倒した。しかし、お前は鬼だと言われた。京士郎は違うと言い続ける他になかったが、自分には人と違う力があるのだから、上手く否定できずにいた。
恐かったのだ、自分が。鬼になるかもしれない自分。力を使いこなせない自分。そして自分が鬼を倒したように、自分もやがて誰かに討たれるかもしれない、死ぬかもしれないということが。
そして、志乃が言った、死ぬまでに何かを残したいということ。京士郎の胸に、その言葉がよぎった。
(もしかしたら、俺が本当に欲しいものは、それなのかもしれない。俺が何者であるか、何を為すことができるのか)
京士郎はそう考えていると、姫が声をかける。
「京士郎様」
「なんだ」
「何を考えてらしたのですか?」
どうやら少しの間、沈黙が流れていたらしい。姫を不安がらせてしまったようで、京士郎は少し恥じた。
「志乃のことですか?」
「……いや」
「そうですのね。ふふっ」
「ちげえって!」
「そんなに頑なにならなくともよろしいのですよ」
京士郎は、この姫には勝てないと思った。精山に続いて二人目だ。京の者は皆、こういう者たちなのだろうか。だとしたら京士郎にとってここ以上に生きにくい場所もあるまい。
姫が部屋の中で、何やら小声で話す。すると、人の気配が遠く離れていくのを感じた。人払をしたのだ。
それから少しの間があった。姫は言った。
「京士郎様は、志乃のことが好きですか?」
「……わからない。そもそも、好きというものがなんなのか」
「では、志乃のことはどう思いますか?」
京士郎は頭を巡らせた。そして、その先に一つだけ答えを出す。
「あいつがいれば、俺は迷わないでいられる」
「……そうですか」
風の流れが変わり、御簾が大きく揺れる。そして、御簾の下に手がかかった。姫の手だろう。白魚のような細く長く、そして綺麗な指をしていた。
「いいですか。これから見るものも、ここで語ったことも、誰にも言ってはなりません。もちろん、志乃でもです。約束できますか?」
京士郎はその言葉にどのような意図があるのかわからず、ひとまず頷くことにした。
約束せねば話は進まないだろうとも思ったからだ。
「ああ、約束する」
「では」
姫は御簾を上げた。月の光に、いままで隠されていた姫の顔が暴かれる。
顔を見て、京士郎は驚いた。
「お前……!?」
その顔は志乃にそっくりだった。生き写しとはこのことだろう。京士郎は驚き言葉を失う。
また、姫と志乃の関係も理解することになった。それは自分と酒呑童子のような……。
「京士郎様。志乃はきっと、私の元には帰ってきません。あの子はあの子の答えを見つけたのでしょうから。だから」
その声音も、志乃にそっくりだ。京士郎の手を姫は握り、言った。
「志乃を貴方に託します」




