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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
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 月明かりがあり、空も雲ひとつなかった。京は明るかった。

 場所は一条と呼ばれる通り。右京へとかかる橋にたどり着く。京士郎はその橋に、見慣れない者がいることに気づいた。

 こちらに背中を見せるそれは、気配から鬼だとわかる。それも、酒呑童子に匹敵するほどの力を持っていることを窺い知ることができるほどだ。

 振り向き、目が合う。豪奢な服に身を包んだ少女だった。

 ぞくりとした。その視線は鋭く、目力だけで膝を折らせてしまうのではないかと思わせた。金色の輝きは、いままで出会ってきた鬼とは比較にならないほどに輝いていた。

 また、その美貌も凄まじいものだった。恐怖すら感じさせた。

 夜の闇の中であっても、炎のように光る瞳を向けて、その鬼は京士郎をじっと見ている。


「なるほどのう」


 その鬼は、それだけ言った。京士郎は一歩詰め寄る。


「お前が茨木童子か」

「いかにも」


 にぃと笑う茨木童子。薄気味悪さを感じさせる笑みだ。そしてとても愉快げだった。

 京士郎は刀を引き抜いた。酒呑童子ほどではないとは言え、かなりの実力も持ち主だ。少なくとも、京士郎を凌駕するほどの。

 しかし、茨木童子からはまったく覇気が感じられない。戦うつもりがないかのようだった。


「そういきり立つな。敵と見ればすぐに戦おうとするのは、お前たち人の悪いところだ。ゆえにお前たちはあやつを敵に回すのだ」

「酒呑童子……」

「やはり、お前があやつの言っていたやつか。なに、面構えがよく似ている。ということは私とも似ているということであろうな。あやつの言い方を真似するなら……初めましてだ、弟よ」

「誰が!」


 京士郎は吠えた。刀を構えて、踏み込もうとする。

 それより早く、茨木童子が動いた。京士郎の足元に、炎が上がった。蛇のように這って、いまにも京士郎へ噛みつこうとしている。

 刀で炎を払うが、これでは迂闊に近づけない。驚くことに、この茨木童子は呉葉よりも早く術を使う。これ以上近づけば、きっと茨木童子の方が先に動くだろう。焼かれるのが目に見えた。

 何より直感が告げている。茨木童子は何かを隠している。


「お前らは兄弟だなんだと! 俺が鬼に見えるのか!?」

「人も鬼も、一重の違いよ。ただ一線を越えるかどうかに過ぎぬ。そしてお前は、私たちに限りなく近い者だ」

「なに!?」


 京士郎はわからなかった。何を以って、茨木童子がそう言っているかを。

 だが、言いたいことはわかった。ろくに告げられた、己が鬼だということ。鬼にならずとも、鬼になれる者であるということ。

 そしてそれは、京士郎の動きを縛った。はやる感情を抑えつけるものだった。

 恐怖だった。生まれて初めて浮かぶ、己への恐怖だ。

 人を殺す自分。人を食う自分。人を犯す自分。何もかもを壊す自分。人に疎まれる自分。傲岸不遜な自分。人として為すことを忘れる自分。

 その全てが恐ろしい。刀を握る手が震えた。


「それ、お前もわかっているだろう。その手にあるものが、わかるだろう」

「うるせえ!」


 叫ぶ。だが、刀を振るうことはしない。踏み込めば焼かれる。踏み込めばに食われる。


まことに、お前はあやつに似ている。それは男だからか? それともその質か、母が似たのか。同じ父から生まれたというのに」

「同じ父?」

「如何にも。見えるぞ、お前の生の全てが。川と人の間に生まれた者よ。お前は父の、激しい側から生まれたのだな」


 わけのわからないことを、そう言いそうになった京士郎だったが、口をつぐんだ。

 何を知っているのだろうか。それは、神通力の為せることなのだろうか。

 京士郎は再び、刀を振るった。激しい風が起こった。茨木童子はそれを左手で払う。


「ほう……あわや、風で斬り落とされるやもしれぬと思ったぞ」


 見れば、茨木童子の左腕は服が切れ肌が露出し、切り傷だらけになっていた。

 行けると思ったのもつかの間、京士郎の右腕に痛みが走った。


「だが、その代償は大きかったな。己が情に任せるほど、お前は鬼に近づくぞ」

「っ!?」


 腕に浮かんだのは、白いもの。それは鱗だった。右手の甲から変わっていっている。

 まるで呪詛だった。身体を蝕んでいき、やがては鬼に変貌してしまう呪いだった。それとともに、顕妙連の柄も熱くなっている。

 まるで京士郎を拒むかのようだった。


「内にあるものはなんだ? 怒りか、嫉妬か、悲しみか、飢えか。その全てか?」

「うるせえんだよ、さっきから……誰の話をしてる! 俺は、俺だ!」


 京士郎がそう叫ぶと、右腕は一層痛くなり、急にその痛みは引いた。鱗もなくなり、顕妙連の熱も引く。

 茨木童子はほうと、笑みを深くした。京士郎への嘲りではなく、感心に変わっていた。


「啖呵で陰気を吹き飛ばしたか。やるのう。あやつが直接吹き込んだと言うから、見てみれば前より清らかになっている始末。であるからじわりじわりと染めようと思えば、気づかないうちに払う。気持ちいいやつだ」


 そして、一瞬だけ、見た目相応の笑みを浮かべる。


「あやつがいなければ、惚れていた」

「…………」


 その告白に瞠目し、京士郎は一歩だけ引く。茨木童子はにやにやと笑った。


「見込んだついでに言っておこう。鬼は偽りを申さぬ。だがあまり、真に受けるなよ」


 茨木童子はそう言うと、橋から飛んだ。いや、飛んだ。

 神通力のひとつ。京士郎は使えないが、自在に宙を浮かぶ技だ。


「時間稼ぎは済んだ。また会おう。最後に名でも聞いておこうか」

「……京士郎だ」

「では京士郎、大江山でお前を待とう。お前の最も大切なものを預かってな」

「なんだと!?」


 京士郎は思わず、背後を振り返った。まったく気づかなかったが、そこには一人の鬼女がいた。見覚えのない顔だ。

 そしてその傍らには、志乃が抱えられていた。気を失っているのか、ぐったりとしている。


「まさか、最初から狙いは」

「娘っ子を浚うのは得意なものよ。お前のために、手を触れないでおいてやる。だから必ず来い。神代以来に、八つが揃うそのときを待っている」


 そう言うと、茨木童子と鬼女は、遠くへと飛んでいく。京士郎は追いつけないと知ると、それを呆然と眺めることしかできないでいた。

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