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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第五章 むべ山風を 嵐といふらむ
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 時間は過ぎていき、夜になる。

 京士郎は泰明の屋敷にいた。食事を終えて就寝の時間になったが、いまいち休めずにいた。

 胸騒ぎがするのだ。それは何か、大きなことの起こる予感だった。

 たまらず京士郎は部屋を出た。夜の京は、静けさに包まれていて、京士郎の吐息でさえ響いてしまいそうだった。

 屋敷の庭をぼうっとして歩いていると、人影があることに気づく。


「京士郎?」


 それは志乃だった。京士郎は安心してほっと溜息を吐く。


「何してるの?」

「夜風に当たりにな。お前はどうしたんだ?」

「私は……星を見てたわ」

「星?」


 京士郎は空を見上げた。ちりばめられた星の輝きは、京士郎が暮らしていた郷里とも、旅の最中に見ていたものとも、変わらないように見えた。

 しかし、確かに見飽きないものではある。日が暮れれば寝るような生活をしていたが、たまにこうして見上げると、新たな発見がいくつもあったものだった。


「ふうん。確かに、いいものだな」

「そうね」

「どうした、いつもより元気がないぞ」

「それは京士郎もでしょ」


 志乃が言った。まったくその通りだ。

 自分がいつもと様子が違うことを、京士郎は理解していた。慣れぬ場所に来たからと言えば簡単であるが、それは真実でないことを志乃はとっくにわかっているだろう。


「ふふっ」


 志乃は笑った。京士郎はどうして笑ったのかわからなかった。


「ごめんね、京士郎でもそんな顔するんだって」

「そんな顔?」

「弱気な顔よ」


 京士郎は自分の顔を触った。が、それで表情はわかるはずもなかった。

 その様子を見て、志乃はまた笑った。いつもの元気が少しは戻っているように見えた。

 おかしい、と志乃は言う。ならきっと、今の自分はおかしかったのだろうと京士郎は思うのと同時に、恥ずかしさを覚える。


「なあ、お前は恐くはないのか」

「恐いって?」

「死ぬかもしれない旅が」


 それは、京士郎はついこの前まで、まったく思いもしなかったことだ。

 酒呑童子に襲われ、体に呪詛が回ったとき、死を意識した。いままでたくさんの恐怖があったが、それは一際大きなものだった。

 鬼と戦える自分でさえそうなのだから、志乃は果たしてどうなのだろうか。


「恐いわ」


 志乃は言った。しかし、言葉に反して毅然としたものだった。


「なら、どうして」

「気になるの? 珍しい」

「いいだろ」

「私はね、私はここにいるんだって言いたいの」


 それは京士郎が初めて聞いた、志乃の本音だった。

 驚き、そして戸惑う。それに構わず、志乃は話した。


「私は、お父様もお母様も知らないのよ。おまけに才能もなかった。兄弟弟子でも、それでも何かあるはずだって思って……。私を良くしてくれる姫様がいて、師匠がいて、精山様を探すという大命を授かった。でも、まだ足りないの」

「足りない?」

「いつか、私は死んでしまうわ。みんな、そう。それまでに、何かを残したいの」


 京士郎は志乃の話を呆然と聞いていた。

 いつもの、感情を露わにしている志乃はどこへ行ったのやら。いま目の前にいるのが、本当に志乃かどうかすら、疑わしくなってきた。


「それに、京士郎もいるからね」

「俺が?」

「うん。負けないよ、京士郎は。最初は、一緒に旅するのは嫌だったんだけど……何も知らないだけで、いいやつだってわかる。まだまだ強くなるってことも。挫けても、立ち上がるってことも」


 京士郎は、つい、志乃から顔を背けた。

 負けてしまったのに、次の勝利を信じられる、その自信はどこからくるのだろうか。

 志乃たちは、京士郎を強いと言う。京士郎は、己を弱いと思っている。いいや、京士郎の目には、志乃こそが強く見えていた。

 最初はただの弱い者だった志乃が、いつの間にか大きな存在になっているのを、京士郎は感じていたのだった。


「ひとまずは、酒呑童子。その次は西方の鬼ヶ島。私たちの次にやるべきことははっきりしてる。だったら、その準備をしなくちゃ。師匠は、装備を明後日には用意してくれるって言ってるし」

「そうだな……そうだ」


 京士郎の中で、迷いはなくなった。

 いまだ恐怖はある。酒呑童子に負けてしまうことへの、恐ろしさはあった。

 しかし、それは立ち止まる理由にはならない。誰かの足を止める理由にもならない。かつて自分が見つけた答えだ。

 頷いて、京士郎は志乃に礼を言おうと思った。そのときだった。


「……この気配」


 京士郎の首筋に嫌なものが走った。大きな気配が、近づいてきている。

 それは間違いなく鬼だった。昨日の今日で、二度目の襲撃を仕掛けてきたのだ。

 京士郎は顕妙連を握った。志乃の方を向くと、志乃もどうやら察したようだった。


「相変わらず、気づくのが早い……。私も準備したら行くわ。無茶はしないで!」

「わかった。行ってくる」


 京士郎は一足で屋敷から飛び出した。塀などものともせず、飛び越えてみせた。

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