漆
「さて、二人の旅が決まったところで、目下の課題だ」
頭を抱えて、泰明は仕切り直した。目下の課題と聞いて、京士郎は昨日のことを思い出した。
「酒呑童子か」
「そうだ。大江山にいる、あの鬼どもをどうにかして駆逐しなければならない」
泰明が語気を荒げた。姫がそれに続く。
「以前より、京では子女が誘拐される事件が多く起こっていました。多くの者が疑われ、捜索が行われていましたが、大江山に住まう鬼の仕業だとわかりましたが、その頃にはすでに遅かったのです。約二千の兵で大江山に攻め入りましたが、被害は千を超えていました。多くの者が陰気に当てられ、まともに話せる者も少なく……。数少ない証言から、攫われた子女は酒呑童子に侍らされているか、もしくは食われていたと」
それを聞いて、京士郎は体の中が熱くなるのを感じた。それは怒りであり、悔しさだった。
目の前で土蜘蛛に食われた子を思い出す。あんなことが、大江山では常に行われているのだと思うと、寒気すらした。
しかし、ここで暴れるほど、京士郎は理性を失ってはいない。
「そしてある者は逝く前に言いました。大江山は、魔界だと」
「それほどの地獄があった、ということだ。いや、あれほどの陰気だ、黄泉にも匹敵するかもしれないな」
泰明がそう言った。京士郎は、それは想像に難くないと思った。
あのとき、陰気の波を受けて、異様なまでの苦しみを覚えた。自分の中にある熱いものが、臓を食い破るかと思ったほどだ。京士郎でさえそれなのだから、並の者であればその苦しみは死を意味するだろう。
それほどの陰気を持った大江山の鬼たち。二千の兵を退けたと言われても驚きはない。
「首魁たる酒呑童子、その右腕たる茨木童子をはじめとし、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子という四人の鬼を従えている」
「そのうちの二人が、昨日出会ったやつらだろうな」
槍の鬼女、鎌の鬼女。一緒に相手取るのに骨を折った相手であった。あれと同じ力を持っているのが、少なくともあと三人いると思うだけでぞっとする。
そしてその後ろには、酒呑童子がいるのだ。
京士郎は、酒呑童子と相対したことですっかり弱気になってしまった。よくないとわかっているが、手酷い敗北は骨にまで沁みていた。
「あれほどの鬼が、京へ……」
「目的はわからず、子女を攫うのみではありますが、今や看過できないものになっています。そして彼らの陰気は、今や大江山を越えて京にまで流れ込んでくる始末。このままでは、京が危ない」
京士郎は、それはなんとなく、わかった。山より流れてくる陰気もそうであるが、京の都は京士郎が思っているよりもずっと大きかったが、ずっと静かだった。いつもならもっと活気があっただろう中央の通りも閑散としており、人の気配がまったくと言っていいほどない。
その不気味さが、ますます鬼たちの陰気を盛んにしている。
「……京士郎?」
「なんだ」
「戦える? 酒呑童子と」
「それは」
京士郎は頷きたかった。頷くことはできた。しかし、それはすぐにできなかった。その時点で、京士郎は気持ちで負けてしまっている。
戦うしかないのだ。京を脅かす鬼を倒さなければならないのだ。人の世を脅かす鬼を倒さなければならないのだ。
「戦う。必ず、討つ」
「そう」
志乃はそう言うと、引っ込んだ。京士郎は、不思議とその問いで心が決まった感覚がした。
顕妙連を眺める。陰気を祓えるものはこれしかなく、それも京士郎しか守ることはできないだろう。
絶望、と言うのだろうか。鬼が六体いるのに対し、真っ向から戦えるのは一人のみ。地の利は鬼に傾き、京士郎はすでに一度負けているのだ。
であるが、京士郎はもう負けることは許されなかった。それは決意だった。
一方で、気になることもあった。
(兄弟か。俺もまた、鬼であるということか。あるいは、奴なりの信頼の情か。ならば何故? わからないことばかりだ)
いま気に病んでも仕方ない。京士郎はため息とともに吐き出し、頭を冷やした。
「装備は私たちで用意しよう」
「え?」
「神宝には及ばないが、魔除けの品をな。ただ一人で鬼へ立ち向かうと言うのだ、我らとてただ見送るわけにはいかない。それは代々この京を守護し続けてきた安倍家の名においてな。三日のうちには揃えてみせる」
「私も、三条の者として、できる限りの援助を致します。望むものがあれば、何なりとご用意いたしましょう」
泰明と姫が、揃って言った。京士郎は驚いて、言葉がでなかった。
それを見ていた精山が下品な笑いを浮かべた。
「お前が誰かのために戦うとき、お前は一人じゃないのだ、京士郎」
その言葉を聞いて、ふと志乃に視線を向けてしまった。
志乃もまた、京士郎を見ていた。それは悪戯をしたあとのような笑みだった。




