陸
「鬼を倒す」
京士郎は精山の言葉を繰り返した。それは京士郎の誓ったことであり、目標である。
精山は、それを為せと言うのだ。黄泉という鬼の溢れる大元へと戦いに赴けと、そう言っているのだ。
そしてその役目は。
「そのためには、京士郎の力が必要だろう」
精山は言った。泰明はふむ、と頷く。
「確かに、京士郎は我々が知りうる限り、最大の戦力だ。これを活かさぬ手はないな。軍勢は、いますぐ用意できてせいぜいが三千から五千……途中で鬼に襲われることを想定しても、京士郎がいるならば」
「いいや、戦いに行くのは京士郎のみだ」
精山の言葉で、泰明は黙る。そして精山に少しの苛立ちを込めた瞳を向けた。信じられないものを見るような目だった。
「……それはなぜだ? 一人で行かせるなど、死ねと言うようなものだろう。東征の英雄ではあるまいし、この京士郎は神通力を持ちえど、ただの人なのだぞ」
ただの人、と言われ、京士郎は顔を顰める。他ならぬ京士郎が、己が人であるかどうか疑ってしまっているのだ。
「大江山の鬼一匹も戦果に挙げられぬ武官も当てにはできぬし、武士に頼ることもしたくないというのが本音だろう? そもそも、いくら人が束になったところで、鬼には敵うまい。それに、まだ話は終わっとらん」
精山はため息をついてそう言った。泰明は、一先ずその怒りの矛を収めたようで、ふんと鼻を鳴らして気を落ち着けていた。
「では、精山様。どうして京士郎様のみ行かせると?」
「一つに、安倍の坊ちゃんが言ったように、京士郎の類稀なる力だ。天から授かったものか、あるいは血によるものかわからないが、神通力を持っている。それも、いまなお成長しているときた。大江山の鬼二人を相手にして一歩も引けをとらぬ力だ」
「だが、その首魁には負けた」
京士郎がそう言うと、精山は少し笑う。不安な顔を見せたのはむしろ志乃だった。
「それは未熟故だ。お前ならすぐに勝てるようになる」
精山は力強くそう言った。京士郎は、いまはそれに言い返すときではないと思った。
「二つだ。黄泉の陰気はあまりに濃い。神威を得なければ、たちまち魂は侵されてしまうだろう。故に、神宝が必要だが、果たして一軍を賄えるほどの神宝があるか?」
「用意することはできません。持ち出せる神宝、それも黄泉の陰気に耐えられるものが一体いくつあるのか。それに……こう言ってはなんですが、京士郎様にお貸しできるかは」
姫がそう言った。それは仕方ないだろう。神宝がどんなものかはわからないが、他所からやってきた者に、そう簡単に宝を授けられるだろうか。
それこそ、神威を借りるものである。京士郎には神威が何かはわからないが、天にある日と月の光を借りるものだろうか。陰気を払う光を授からねばならない。少なくとも、光に匹敵するものを。
「然り。故に、集めなければならないものがある。拙僧が把握しうる限り四つのものを。
一つ、想いを形にせし打出の小槌、
二つ、栄華を飾りし浅間の髪飾り、
三つ、生死を司りし殺生石、
そして京士郎の持っている、未踏の世すら見通せし顕明連。
いま在処のわかっている中で、神宝に届くものだ。これらがあれば、黄泉であろうと持ち主を守ってみせるだろう」
四つを以って、神器に匹敵する力を持つ。精山はそう語った。
京士郎は脇にある刀、顕明連を見た。朝日に当てれば三千大千世界をも見通すことのできる刃。いままでの旅で連れ添ったこれも、黄泉へ向かうのに必要なものだと言う。
どうやら、その一歩をすでに踏み出しているらしい、と京士郎は感じたのだった。
「それで、その在処とは?」
「打出の小槌はここから西にある、鬼の砦の島にあると言われている。髪飾りは富士山にある浅間大社、そして殺生石は、那須の枯れ山にある。これらすべてを集めるのは、鬼を倒すこと以上の苦難だろう。拙僧を探す旅をした、京士郎こそが相応しい。行ってくれるな、京士郎」
「ああ。元より、鬼を討つと誓った身だ。いまの俺にどれだけのことができるかわからないが、やるだけやりたい。いいや、やらせてくれ」
京士郎がそう言えば、姫と泰明は納得せざるを得ない。いまの京に、それだけのことをできる者がいるか、と問われればいないのだ。そして、最も適していると思われるのが、京士郎において他にいない。
京士郎の外見は、精悍な若者であり、背も高く、筋骨は隆々であるが線の細さもあり健康美を持っていた。眼差しは鋭く、肌は日に焼けているが気品すら感じさせる様は、神通力に通じる泰明でなくともこの若者がただ者ではないということがわかるだろう。
だから、精山の言葉に納得してしまう。京士郎ならば、と思ってしまうのだ。そして京士郎も、妙な使命感を感じている。静寂が訪れた。
「あの」
その静寂の中で、声をあげる者がいた。志乃だ。
「私も、同行します」
「……え」
志乃の言葉に、驚いたのは京士郎だった。
ちらっと、志乃は京士郎を見るが、一歩引くとその場の全員に頭を下げる。
「京士郎は私の従者です」
「おい」
「それに、いままでの旅も彼と共にありました。彼が行くというなら、私も行きます」
語気に強い意思が感じられた。前からそうだ、この少女は一度決めたら変えるようなことはしない。
志乃に向き合ったのは、師の泰明だった。
「厳しい道のりだぞ」
「はい」
「……過酷な結末がある。それでも行くのか」
「はい」
志乃は力強く頷いた。泰明は観念して、頷いた。




