参
京士郎が目を覚ます。天井は高く、しっかりして見える。どうやら屋敷の中にいるようだった。
身体を起こすと、目の前に一人の子が見えた。明らかに品があり、男とも女ともわからず、自分がいままで見てきた子とは違うことがはっきりとわかる。
子は京士郎が起きるのを見ると、一礼だけしてどこかへ走っていく。
それを見届けて、京士郎は自分の身体を見た。
酒呑童子と名乗った鬼は、京士郎に呪詛をかけたと言った。志乃から少しだけ聞きかじった限りでは、呪詛とは呪いより強いもの。巡り合わせのみならず、身体さえ蝕むものである。
しかし、いまの京士郎の体調は万全なものであった。指先もきちんと動き、目も良い。どこにも不調は感じられず、呪詛に蝕まれていたとは思えないほどだった。
京士郎は襖を開けて、外を見た。空は晴れており、まだ朝方だろうか。どうやら丸一日寝てしまっていたようだ。
身体を伸ばすと、節々が音を鳴らすが、問題なく動かせそうであった。
「そこの者、部屋に入られよ」
「は?」
声をかけてきたのは、一人の男。貴族かと思うが、どうも気配が違う。
言われるがまま部屋に入ると、男も共に入ってくる。先ほど出て行った子も連れ添っていた。
「そこに座りなさい、身体を診るぞ」
この男は家主なのだろうと思い、言われるがまま京士郎は座った。
男は札を取り出した。見覚えのある札だ。じっと見ると思い出す。志乃が持っているものそのままだった。
なんらかの文言を男が唱えると、札が光を放ち、京士郎を包んだ。
瞬きをすると札は消えている。そして男の驚く顔があった。
「……これは驚いた。すでに呪詛が抜けている。あれほどの濃さであれば、翌朝には死んでいるものと思ったが、志乃の言うことが正しかったとはな」
「おい、お前、あいつの知り合いか」
京士郎は男の言葉に、知っている名前が出てきて尋ねる。
すると男は、ふふっ、と笑う。
「いかにも。私の名前は安倍泰明。お前の知る志乃の師だ。そしてこの屋敷は、私の家でもある」
安倍泰明。そう名乗る男は、どうにも鼻持ちならない雰囲気があって、京士郎は好きではなかった。
「いや、しかし、驚いたぞ。羅城門の前で騒ぎがあり、私を呼んでいると言われて向かってみれば、遣いに行った弟子がわんわん泣いてるじゃないか。あの娘は昔から泣き虫だったが、あんなのは久しぶりだった。面白いものを見せてもらったぞ」
「あんなの?」
「ああ。お前を抱きかかえて、『京士郎が死んじゃう』なんて叫んでいてな。そういう意味では初めてか、ははっ」
「…………」
志乃が感情的になるところはかなり見ているが、ついぞ泣いてるところを見たことはなかった。しかしありありと想像できてしまうのは、それが志乃らしいと思うからか。それとも京士郎がそう在ってほしいと願ったからか。
とにかく、京士郎は泰明に頭を下げた。
「ありがとう。おかげで救われた」
「私にできたことなど少ない。身を術で清め、この部屋を用意したくらいだからな。ただの病人を看病するのと変わらなかったさ」
子が水を持ってきた。京士郎は受け取って、ぐいっと飲む。
喉を通る心地よさが、全身に染みた。頭がすっきりする。一息つけば、少し落ち着いた。
「状況はだいたい聞いた。とりあえず、今日はここにい給え」
「ああ」
「なに、そんな気を張ることはない。それに」
泰明は背筋を伸ばし、京士郎に向かって、頭を少し下げた。
「我が弟子を連れ帰ったこと、感謝している。我が家のように……というのは難しいがな。ゆっくりしていってくれ」
「……っ」
京士郎は驚いて、泰明を見た。すぐに頭を上げた泰明は、手を叩く。
「さあ、お前は養生するんだ。鬼の呪詛を受けて、すぐに治るなんて思えないからな。それに、またすぐ忙しくなるさ」
「忙しく?」
問い返したときだった。知っている匂いと、足音が聞こえてくるのがわかった。
ほら、やってきたぞ、と泰明は言った。京士郎も、騒がしいのがやってきたぞと思った。
縁側へ振り向くと、そこには涙を堪えながら、けれども必死に笑おうとしている志乃がいた。
「きょ、きょ、京士郎! もう、心配したんだからね! 馬鹿!」
「あ、おい!」
志乃はそう言うと、縁側から飛ぶようにして京士郎へ抱きつく。怪我をしないように、と京士郎は志乃を抱きとめたのだった。
泰明の視線が刺さる中、京士郎は苦笑いしか浮かべることしかできなかった。




