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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第四章 何かは露を たまとあざむく
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 京士郎は池から上がる。すると、精山よりも先に、京士郎に駆け寄った者がいた。


「京士郎!」


 それは志乃だった。京士郎の前に立つと、涙を目に浮かべているようで、潤んだ瞳を向けていた。

 京士郎はどうすればいいのかわからず、たじろいでいた。


「すまん、その」

「いいの。私が悪かったんだから」


 すっかり謝る時機を失ってしまった京士郎は、黙る他なかった。

 一回だけ志乃は京士郎の胸を叩いた。それで十分だった。

 結局、喧嘩なんてものは大したものではなかったのだ。同じものを見て歩いていて、ただちょっとだけ、寄り道をしてしまっただけで。


「ところで、お前はどこに行ってたんだ?」

「ここのお寺にいたのよ。でも、あの巫女がやってきて……たまたま星見の準備をしていた最中だったから、慌てて森に隠れたの」


 そう言って志乃はいつもの笑みを浮かべた。

 あの術は京士郎にとって絶好の時機を得て放たれ、そしてろくを封じた。それなりの長い時間を共にした志乃だからこそ、できた技だろう。

 息の合った動きに、不思議な満足感があった。

 ごほん、と精山が咳払いをした。京士郎と志乃は顔を上げる。


「京士郎、その子がお前の探していた者か」

「ああ、そうだ」


 志乃は精山の方を向くと、一礼をする。彼こそ、志乃の探していた人物である。本当に用があるのは京士郎ではなく、志乃なのだから。


「貴方が精山様ですね。お探ししておりました」

「まさかこんなところまで来るとは、思いもしなかった。それで、何のようだ」

「こちらにふみがございます。ご覧ください」


 そう言って志乃は書状を取り出し、精山に差し出した。志乃は膝をついて、精山を待った。

 開いて、精山は読み進める。京士郎は字が読めないから、じっとしていた。

 読み終えた精山はその書状をたたむと、志乃の方を向いた。


「拙僧を探しているのは、どこぞの殿上人かと思ったが、よもや一人の姫によるものだとはな」

「姫様は、世を憂いでおられます。京も武士たちが蔓延り、まつりごとは滞り、そして鬼もまた……。打開の策を持つのは、この世に精山をおいて他にはいないと、師もまた占いました。ここで一度、手を貸していただけないでしょうか」

「ならぬ」


 志乃の言葉を、精山はばさりと切った。志乃の体がびくりと震える。


「拙僧の知恵をあてにしようという者は、京にいたころからたくさんいた。そもどれもこれもが、どうしようもない、己の欲に溺れたものだった。殿上人だけではないぞ? 同じ修行の身の者たちもそうだった。失望したのだよ、京に。そんな者どもに託すものはない」

「そんな……」


 ここまでの道程が無駄になる。それは京士郎としても、許せないことだった。

 しかし、精山の言うこともわからなくはなかった。自分を利用しようという、他者の悪意に辟易としていたのだろう。呉葉やろくとの会話が、それを京士郎に理解させた。


「だが」


 精山は言った。


「京士郎なら、別だ。拙僧には確かに、鬼を退ける……少なくとも、この世をどうにかする考えはある。そのためには京士郎が不可欠だ」

「俺が?」


 京士郎は自分を指差して言った。頷いた精山。驚いて振り向いたのは志乃だった。


「確かな神通力を持つ、京士郎であるならば託すことができる」

「京士郎が……」


 志乃は立ち上がって振り向いた。その視線が揺れ、京士郎に注がれていた。

 わけがわからなかったが、嬉しさがあった。自分が必要とされていることに高揚した。


「とりあえず、京へ向かうとしよう。話はそれからだ」

「……! はい!」


 志乃は顔を綻ばせて言った。その様子に、京士郎は安心する。

 ところ、と志乃は京士郎に言った。


「あの、ろくとはどういう関係なの? 何か親しそうに話していたけれど」

「ああ」


 京士郎は少し悩んで、答える。


「女について教えてもらったんだ」

「…………」


 そう言うと、志乃は目を白黒とさせて、顔を赤くしたり青くしたりした。


「おい?」

「ば、ば、ば」

「ば?」

「馬鹿ぁぁぁぁぁあああああ! 心配してたのに! 謝りたかったのに! 貴方は本当に人の気持ちがわからないのね!」

「はぁっ!?」


 夜の寺に、声が響く。喧嘩はしばらく止まりそうになかった。それを眺めている精山は苦笑いを浮かべるしかなかった。




   *   *   *



 京に向かってる道中のことだった。

 精山、志乃から離れ、鳥を狩る京士郎。一羽を捕らえて、二人の元へと戻ろうとした。

 そのとき、気配を感じて見上げた。

 風と共に天狗がそこにいた。京士郎が何かを言おうとする矢先、天狗が先に切り出した。


「京へ行くなら急げよ、京士郎」

「何かあるのか」

「龍だ」

「は?」


 京士郎は驚いて聞き返した。

 龍。それは天狗から聞いた生き物。空を駆け、雨を降らし、ときには地に潜り、この世を好き勝手動くものであると。ときに人の味方をし、ときに人と敵対する。


「京の空に、龍が嵐としてやってきた。その嵐は京の北西、大江山にいる。急げよ、京がなくならぬうちにな」


 そう言うと、天狗はいなくなった。京士郎はそれを聞き終えると、急いで二人の元へ向かった。

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