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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第四章 何かは露を たまとあざむく
33/109

 京士郎は刀を構え、精山を背中に庇った。

 ろくの姿が揺れる。まともな状態ではない。色濃い血の臭いがする。金色の瞳が向けられた。


「ろく、これはどういうことだ」

「最初から、このつもりでして」


 さも当然であるかのように、ろくは言った。歯を見せて、意地悪な笑みを浮かべて。

 それを見た京士郎は、いままでにない恐怖を感じていた。


「精山、お前はこのことを知っていたのか」

「いいや……」


 精山の額には、汗が浮かんでいた。本当に予想もしていないようだった。

 視線をろくに向き直す。一見、隙だらけに見えるろくであるが、しかし踏み込んだら最後、逆にやられるだろう。

 一歩、焦れる。何も変わらない。ろくは笑いを深くした。京士郎は頬を引きつらせた。


「精山、探したぞ」

「拙僧をか」

「いかにも。我らを脅かす精山、知を持つ精山、お前は殺す、なんとしても殺す」

「さて、何をしたというのか。鬼は祓えど、お主らのような体を持ったものはいかに拙僧でも無理だが」

「関係ない。お前はお前のやり方で我らを滅する」

「ふうむ、よくわかってるじゃないか」


 精山が言った。京士郎はなんとなく察する。

 この鬼は精山を殺すためにここにいる。会ったときは気づけなかったのだろう。精山もろくが鬼であることに気づけなかったから同じだ。


「ここに来れば会えると思ったぞ。さあ、大人しく殺されろ」

「いやあ、それは無理な相談だ。なあ、京士郎」

「ここでやらせるわけにはいかない」


 京士郎は刀を構えて走り出す。ろくは身を引いて飛んだ。池に飛び込むかと思ったが、その水面につま先で立っていた。

 何かの術によるものか、小さな波を立たせるのみだった。京士郎は踏みとどまる。水の中では足を取られて動きにくい。それは致命的な隙だ。


「京士郎、ねえ、まだ気付かないの?」


 口調はろくのものだった。しかし声音は低く、酒を飲んだあとのようだった。

 京士郎は刀を構える。ここから一足で跳べば斬れる。肝心なのはその機会だ。


「気付く、とは?」

「ふ、ふふ、ねえ、ほら、水面を見て」


 京士郎は恐る恐る、水面を見た。満月に照らされた水面に、自分の姿が映った。


「なっ、これは」


 そして驚く。水面に映るのは、自分の姿のはずだった。しかし違った。

 そこにあったのは、白貌の鬼。

 白い髪に金色の瞳。禍々しい角を生やし、歯は鋭く尖っていた。首元には皮膚の代わりに鱗のようなものが見えていた。

 これは幻術の類か、そう思うも、京士郎の瞳にははっきりと自分が鬼となった姿が映る。ましてや、呉葉との戦いで京士郎は幻術を見破ることができるようになっている。見えているものが幻でないことは、よくわかった。

 京士郎はたじろいで、一歩引いた。


「京士郎、しっかりせい!」


 精山が声をかけてきた。しかし、京士郎の動揺は収まらない。


「それがあなたの本当の姿。昨日の晩に気づいていたわ。あなたは私と、私たちと同じ。こっち側なの」

「俺が鬼だと!?」

「そうよ。見てわかったでしょ? 精山を追っていただけだけど、これは僥倖だったわ。私たちの仲間を見つけることができたのですもの」

「仲間……?」

「ええ。私ね、仲間を探してるの。だって鬼って、みんな自分の縄張り持ってるじゃない。私はみんなで何かしたいなって。みんなでみんなでみんなで、いっぱいひどいことをしたいなって」


 京士郎は一歩引く。

 自分が、鬼。その事実のみが襲いかかってくる。

 いや、それはあり得ない話ではない。神通力も、人並み外れた力も、鬼であるならば当然と言えよう。

 気づくと、ろくが目の前にいた。京士郎を出迎えるかのようだった。

 身動きができない。刀を振れば届く距離だ。ここまで近づかれれば、外すこともないだろう。


(俺が、鬼。確かに、そうかもしれない。なにせ嫌われて生きてきた。これが当たり前だった。俺が鬼であるならば、当然か)


 そう思ったが、寸でのところで踏みとどまる。ろくが奇妙なものを見る顔を浮かべた。そして顔を上げると、刀でろくを払った。

 鋭さはなかった。ろくは簡単に避けてみせたが、その顔は驚愕に歪んでいた。


「どうして……」

「俺は、鬼じゃない」

「いいえ、あなたは鬼よ」

「だとしてもだ。俺はお前のようにはなれん。人の血を浴び、笑うことなど!」


 ろくと己は違う。それが京士郎の答えだった。

 他者を知り、己を知る。ろくを拒むことで、京士郎は自分の願望を知った。例え鬼だったとしても、自分は人をあやめたくなどない、とそう願ったから。

 京士郎は刀を握りしめた。今度は外さない。必ず斬る。

 この身は人ならざる身。きっと鬼なのかもしれない。けれども、鬼を斬ると誓った身でもあった。


「俺が従うのは、俺だけだ。ろく、ここでお前を斬る」

「ふん、あの晩、いっぱい、いっぱい話したのに。斬れるの? 中途半端な気持ちで」

「斬る。斬らねばならない!」


 京士郎は構えた。刀身を覗く。朝日がないから、三千大千世界を覗くことはできない。しかし、これからすべきことは考えられる。

 さあ、目を尖らせろ、耳を澄ませろ、鼻を利かせろ。

 わかるだろう、これから先のことが。


「青、白、黒、赤、四方を閉じてその四肢を縛れ、汝の名は“ろく”! 急々如律令!」


 声が響いた。耳に馴染んだ声だった。池の上で、ろくの動きが止まった。

 京士郎は跳ぶ。刀を振りかぶり、勢いよくそのを胸を斬った。


「おのれ、京士郎……お前は逃れられん。鬼なのだ、鬼なのだぞ」


 恨み言のように、あるいは願いのようにろくは言った。

 京士郎はその体を支えて言う。


「俺は鬼かもしれない。だが、人であるかもしれない。そして、お前ではない」


 京士郎はそう言って、一度刀をろくの胸に刺し、抜いた。

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