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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第四章 何かは露を たまとあざむく
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 久しぶりに会った天狗は、京士郎が故郷にいた頃と何も変わらなかった。

 木の枝に乗って、佇む姿はよく見ていたものであった。


「お前……何でここにいる!」

「何でとはご挨拶だな。翼も持つ儂はどこにだって現れるさ。お前さんがここにいる方がおかしいのだ」


 それはそうだが、京士郎には志乃と旅をしており、ここにいる理由はきちんとある。それとは別に、天狗はどこにでも行けるだろうが、ここにいる理由はない。


「まあ、答えるとしよう。お前がここにいるからだ、京士郎」

「つまり、ついてきたと?」

「おう。お前の動きは逐一見ている。尤も、霧の里に入って行ったときはさすがに追えなかったがな」


 愉快そうに言う。京士郎は呆れることしかできなかった。

 旅立ってからずっとついてきたのだろう。その上で、京士郎にも志乃にも存在を悟らせずにいたのだ。

 これを呆れずしてどうするというのか。


「それで、俺の前に出てきた理由はなんだ」

「久しぶりの再会だと言うのに、つれないなあ」

「お前にとっては久しぶりでもなんでもないだろう」


 京士郎は冷たく言った。本当であれば、言いたいこと、聞きたいことというのは山ほどある。

 故郷から外に出て、見て聞いたもの。数多の経験を語りたかった。

 しかし癪に障ったから、言わないことにする。またいずれ、機会があるだろうから。


「まあ、見かねて出てきたのだ。なんだ、あの不甲斐なさは」


 天狗が言っているのは、精山との手合わせだろう。

 京士郎は悔しさから歯を噛みしめる。手にも力が入っていた。


「あいつは、俺が何かを忘れていると言っていた」

「そうだなあ、忘れている」

「教えてくれ! 何を忘れているんだ!」


 京士郎は天狗に詰め寄った。だが天狗は、木の枝に座り込んでほくそ笑むだけだった。


「鬼と戦って、大事なことを忘れたんじゃないか」

「大事なこと?」

「お前、獣をどうやって捕っていたんだ。そんなことも忘れたのか」

「獣と人では違うだろう」

「どうかな。よく考えてみろ」


 京士郎は思い出そうとする。かつて野を、山を駆けた日々を。

 猪がいた。熊がいた。蛇がいた。京士郎は数多くの獣と戦ってきた。

 多くは睨み合い、山中を走り回り、腕で組み伏せた。

 そして必ずと言っていいほど、一撃で仕留めていた。

 理由は特にない。しかし、長引く、何度も襲ってくる痛みというものほど苦しいことを京士郎は知っている。だから、なるべく苦しませずに仕留めていた。

 それは、京士郎なりの敬意だった。命への配慮だった。


「……なるほどな。俺は向き合わなければならないのか」

「そうだ。わかったじゃないか」


 天狗はまた笑った。京士郎は何も言わずに睨みつける。

 京士郎に欠けていたのは、相手に対する敬意である。いかなる命も大切にしてきた。それは失わせないことではなく、敬意を払うということ。これから血肉となっていくものへの、感謝だ。

 いま、京士郎は精山への敬意を忘れている。それは彼が申し出た、一本を取ったらという約束に対してだ。彼がそう申し出たことに対して、京士郎が思ったのは「舐められている」ということだった。

 違う。彼は、一本取れさえすれば「京士郎に報いる」と言ったのだ。

 そして、それは志乃に対しても同じこと。報いなければいけないことがたくさんある。

 男だとか女だとか、理屈はわからない。けれども、彼女が自分に何を求めているのか。そして何をしてくれているのか忘れてはならない。

 京士郎は人との関わりに疎かった。ゆえに気づくことができなかった。いいや、人と深く関わっている者でさえも、このことに気付けているかどうかはわからない。

 京士郎の野生ゆえに、気付けたのかもしれない。


「わかった」

「ほう?」

「行ってくる。俺はあいつから、一本取らなければならない」

「それでこそだ」


 京士郎は天狗に背を向けようとして、はたと気づく。

 見上げると、天狗はまだそこにいた。京士郎に気づくと、首を傾げる。


「言い忘れていた。ありがとう」

「……礼よりも、晴れ姿を見たいのう。子を抱えてるところでもいい。お前、早く結婚でもしないか。でも、あの女はちょっとなあ」


 あの女とは、志乃か、ろくか。わからないが、特に返事をすることもなく京士郎は去った。

 天狗もまた、風と共に消えた。




   *   *   *



「それで、戻ってきたと?」

「ああ」


 精山は京士郎を待っていた。うたた寝をしていたが、姿を見せると笑って目を開けていた。

 そして京士郎の前に立った。さっきと同じように、杖を手にして。


「さて、たかだか一日でずいぶん見違えたな、京士郎」

「お褒めに預かり光栄だ」

「難しい言葉を知ってるな」


 馬鹿にしやがって、と京士郎は内心でつぶやいたが、口にはしなかった。

 きっと顔には出ているのだろう。精山は面白がるように笑った。

 京士郎は木の棒を構えた。まっすぐ向き合う。

 一撃、どこかに当てればいいのではない。ただ取ればいいのだ。一本取る、とはそういうことだ。


「力に頼るな。ただ、どう勝つか考えろ」


 精山は言った。それは子に何かを教える父のような言葉だった。

 意思を集中させた。精山の一挙一動が手に取るようにわかった。

 先を読む。言うほど簡単ではない。しかし、相手は人である。意思があり、そして動きのそれは表れる。

 京士郎は数ある経験から、精山の動きを考える。呼吸を読み取る。己のできる一手、一撃を考え続ける。

 そして一歩、踏み込んだ。


「見事!」


 そう言うと精山はその身から光を放った。京士郎は思わず、目を伏せた。

 そこには、紫の衣を纏った僧がいた。いかにも徳の高い僧であった。


「よくぞ知った! お前のその力こそ、神通力のさらなる先!」

「なに?」

「まだわからなくてよい。だが、お前は確かにその出発点に立った。他者を知り己を知る。お前はそれをいま、為そうとしているのだ!」


 京士郎は口を開けたきり、ぼうっと精山を眺めていた。

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