拾壱
袋から舞ったものは紅葉だった。
京士郎の血の代わりに宙を舞う。
その色は何よりも紅だった。あまりに鮮やかで、沈む日の色をそのまま葉が吸ったのではないかと思えるほどだった。京士郎の知る紅葉で、最も美しいものだった。
同時に、呉葉の動きは止まる。
理由はわからないが、それは明らかな隙だった。
京士郎は刀を翻す。確かな力を込めて、大きく振りかぶった。
縦に振り下ろされる。袈裟懸けに、呉葉を斬った。
よろめく呉葉。垂れる血の量は致命傷だとすぐにわかるほどだった。
「貴様。貴様、それをどこで……」
「ある、大きな者にもらった。お前たちが鬼と言っていた者だ」
紅葉はなおも散る。口の開いた袋は、その見た目から入るはずの量を遥かに超える量の紅葉を散らしている。
散っていく紅葉を見て、呉葉は呆然としていた。
京士郎に斬られた傷も気にならないのか。忘れてしまうほどの衝撃だったのか。
「これは、これは間違いなく……京の紅葉!」
かつてを思い出しているのだろうか。
懐かしい記憶が蘇っているのだろうか。
未だに憧れていたのだろうか。
恋い焦がれていたのだろうか。
京士郎には呉葉の気持ちがわからない。
けれども、きっと。自身を生み、そして逝ってしまった母もこの紅葉を見れば、同じような思いをするのだろうな、と思った。
屋敷が揺れた。崩れるのではない。消えていく。
幻であったのか。それは術によって生み出されたものであったのか。
泣き崩れる呉葉を、京士郎は静かに見ていた。
やがて屋敷が消えた。風が吹いている。
空が見えた。霧が晴れている。
呉葉の使っていた術のことごとくが解けていたようだ。
そして。
「おい、なんだよあれ……」
つぶやきが聞こえた。気づけば、村人たちが自分たちを取り囲むようにしていた。
志乃もその中にいる。京士郎を目が合った。
変わり果てた呉葉の姿に驚いているのか。
金色の目で呉葉は周りを見た。
瞠目。そして震える。己を見る目に。
そして、遠くを見た。京士郎はその目の先を追った。
ひょっこり、顔を出してる者がいる。
それは人ごみからではない。山からだった。
「まったく……もう」
呉葉が呟いた。その顔は鬼女のものではない。
「来ないで、って言ったのに」
それは天女のものでもない。
京士郎の知らない顔。そして知りたかった顔。
一人の母の顔であった。
呉葉は消えていく。その身を葉に変えて。
村人も、志乃も、京士郎も、静かに呉葉を看取ったのだった。
* * *
鬼無里の村を、京士郎と志乃は発った。
呉葉が消えたあとの村の様子は、まるで夢から覚めたようであった。
消えた屋敷と霧に騒然とし、さらに変わり果てた呉葉の姿を見たのだ。
志乃が言うには、彼らにかけられた術も解かれたのだと言う。
「いいのか」
「いいって?」
京士郎が聞くと、志乃は首を傾げる。
「鬼無里だよ。あのままにして」
「いいのよ。いつか気づくでしょうし。私たちが口出しすることはないわ。呉葉様のおかげで鬼も周囲にいないわ。幸いというか、皮肉というか」
そう言って志乃は京士郎よりも前を歩いた。
背中を眺める。京士郎は志乃のことがよくわからない。
何を思い、何を為そうとするのか。
精山を追い、彼から知を授かり、それからは?
わからないが、今を憂い、前へと進もうとしていることは確かだろう。
だとすれば、志乃とともに行けば何かを見つけられるかもしれない。
京士郎は自身の生まれ育った里を出たときに、外を見たいと思った。
そう思わない者もまた大勢いるのはわかっている。
その足を止めようとする者がいるのも。
京士郎は刀の柄をつかんだ。
もしそれが鬼ではなく人であれば斬れただろうか。
きっと斬っただろう。志乃がいなければ。
あのとき、呉葉が鬼だろうが人だろうが、関係なかったのだから。
柄を握っていた手を京士郎は見た。
何もないはずなのに、何かあるような温もりがそこにあった。
「ところで京士郎」
「何だ?」
「……あれ、返しなさいよ」
今度は京士郎が首を傾げる番だった。
「あれって、あれか? あの布切れか?」
「そうよ! すっかり忘れてた、返しなさい!」
志乃は顔を真っ赤にする。
京士郎はわけがわからない。特に志乃の、こういうところが。
「あの布切れ、そんな価値があるものなのか」
「そんなわけないでしょ!」
「何だ、たかだか肌着を切っただけだろうが。そんな怒るんじゃねえよ」
そう言ったとき、志乃の顔の赤みが変わった。
それは羞恥の色から怒りの色へと。
「いいわけない! あなたがどうしてもって言うからあげたけど、改めて考えると恥ずかしすぎる! 返しなさい!」
「置いて来ちまったんだが」
「う、嘘でしょ!? 戻るわよ京士郎!」
「今から!? 誰だよ、何も言うことはないとか言ったのは!」
「それはそれ、これはこれ! もう、京士郎は本当に……!」
「はぁ? いいから先をだな」
「いいからって何よ!」
道の途中で言い合う二人。それはいつもの光景でもある。
霧の晴れた村には、西日が差していた。




