拾
「ぎゃあああああああああ」
悲鳴が響き渡った。
京士郎は刀を見る。ついていたのは鮮血。
見れば、そこには呉葉がいた。顔を手で押さえて、仰け反っている。
刀を構えて、京士郎は呉葉の姿を追う。
「貴様、貴様貴様貴様! どうしてどうして! 私の幻術をどうして破った! あの安寧を求めていたのではないのか! どうしてそれを斬ることができる! なぜ、なぜ、前へと進む! 変わることを恐れぬ!」
怒り狂う呉葉。京士郎は冷ややかな目で呉葉を見た。
痛みが治まったのか、あるいは怒りが上回ったのか、呉葉は静かになり京士郎を睨む。
美しい顔は歪み、額からは血を流している。
「わからぬ、どうしてなのだ」
「わからないか」
「違うと言え! 認めぬ、認めぬぞ!」
呉葉が腕を振るうと、水の球が三つ現れる。それは回転しながら、京士郎へと襲いかかった。
無言での術の行使。志乃と同じ術か、はたまた違う術なのか。
わからないが、京士郎はそれを見て、決して防げないものではないと判断する。
刀が踊った。一振り、二振り、三振り。ほぼ同時に襲ってきた水の矢を打ち払う。
「どうして、どうして! 京士郎! 貴様は思わないのか! こんな日々が続けばいいと! 時が止まればいいと!」
「……それは」
確かに、思うときもある。
力などなければいいとも思った。誰かに関わりたくないとも思った。
自分は人とは違うのだから。
母の墓を訪れて、天狗と話して、気まぐれで養父母の手伝いをして。
そんな日々が続くのだろうと思っていた。
「いいや、いくら願ったところでそうはならないのだろう。変わるのだ、人は。そして老いて死にゆくのだ」
「それを、恐れぬと言うのか!」
呉葉の一振り。またも生み出される水の矢。しかし、京士郎は、今度は一振りで払ってみせた。
「恐いな。ああ、恐い。だが恐いからって、籠ってるわけにはいかないだろう」
「お前は知らぬのだ、知らぬのだ。誰かを失う悲しみも、裏切られる苦しみも!」
呉葉は激昂する。京士郎は足を前へと進めた。
次第に迫る距離。呉葉は後ずさる。
「かつて京で暮らしていた。私は愛するべき人と出会った。そしてその者も私を愛してくれた。ああ、だけど、だけど。次第に私を妬む者が現れた。私が老いぬことを恐れる者がいた。私は! 第六天魔王の子だと! そう言う者がいた! ……呉葉は死んだ! 子も殺された! 愛した者は私を助けなかった!」
京士郎は足を止める。呉葉は力を振るうのも厳しくなってきたのか。次第に化けの皮が剥がれていく。
顔は痩けていき、腕も細くなる。肌も土色に変わっていく。
頭には鬼の象徴である角が生える。禍々しい形相を浮かべる。
そんな中で、瞳だけが金色に輝いていた。
「変わってしまった、何もかも……いっつも、いっつも私を置いていくのよ、みんな。私を置いて死ぬの。私を置いて変わっていくの。だから、だからだからだから。変わらないようにする。もう置いて行かれぬよう、此の世全てを」
「……鬼にする、か。それで、ただ一つの村をに変えたところでどうするつもりだ?」
「何を言っている。いずれは京に攻め込み、この国を食う。そのための私の兵よ。貴様に数を減らされたがな」
「なっ……!?」
馬鹿げている。しかし、やりかねないだろうということもわかる。
呉葉は、そのために百年以上もこの村で用意をしてきたのだ。鬼たちの軍を持つために。京と戦をするために。
「京士郎、貴様たちがこの村へ来たときは驚いたが、私は貴様を歓迎するぞ。貴様はいい兵になる。甘い夢の中に意識は沈んでもらうが、貴様にとっても悪くないはずだろう。なぜ拒む。もう一度聞くぞ、なぜだ」
呉葉は問う。なぜ変わることを良しとするのか。
死に行くことを良しとするのか。
京士郎にはわからない。多くの人を見てきたわけではない。多くの人と語らったわけではない。
わからないが、一つだけ、確かなことがあった。
京士郎は、呉葉に背を向ける。米俵へと近づいて、その一つに結んである細長い布を解いた。
「今を良しとしない奴がいるからだ。良い方へ変えようとする奴がいるからだ。そして俺はそいつについて行くと決めた。だから、それを阻む者は斬る」
「まさか、その布……」
「ああ、これは志乃のものだ。一番良く知っている匂いだ」
無理を言って頼んだものであるが、上手くいった。
京士郎が提案したのは、志乃の匂いのするものを呉葉の屋敷に入れること。京士郎は目も耳も優れているが、鼻も利くのだ。
匂いのない屋敷内において、それは大きな手がかりとなる。
「貴様……許さぬ、京士郎も、志乃も、決して!」
「っ!?」
呉葉は水の矢を生み出す。その数はいままでの比ではない。
気迫が違う。京士郎は呉葉に対して、ここで初めて恐怖を感じた。後ろへ退くも足が乱れ、京士郎は刀を振るうのが遅れる。
胸から小袋が落ちる。それはあの巨人からもらった小袋だった。
中から散ったのは紅。
真っ赤に染まった葉だった。




