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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第三章 きしの紅葉に あからめなせそ
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 日は真上に昇った。

 京士郎はその中で一人、呉葉の屋敷へと入る。

 まるで臭いのない、そして音もない屋敷であるが、その中であって目に見えるものも当てにはできない、と京士郎は考えている。

 しかしこの時に限っては、京士郎は当てにしているものあった。それは臭いだ。

 村人たちが持ち込んだ米俵であるが、そのうちのひとつに細工をしかけている。薬草などの強い臭いに紛れているが、京士郎ははっきりと嗅ぎ取っていた。

 そしてそれは、京士郎でなければとてもじゃないがわからない細工だ。

 こっそりと、京士郎は屋敷の中を歩く。

 人の気配はない。音も聞こえない。しかし臭いはある。

 身を隠すことができる場所はないから、せめて気配を察しながら進むしかない。


(森の中、山の中なら話は違うんだがな)


 山で育った京士郎は、その地利を熟知している。

 一方で屋敷の造りなどは知るよしもなかった。

 そうしているうちに、一室へとたどり着く。

 外にある蔵ではなく、内へ内へと潜っていくことに、京士郎は嫌な予感を覚えながらも、その一室の襖を開けた。


「よく来られました、京士郎殿」


 出迎えたのは、やはりと言うべきか、呉葉だった。相変わらずの薄い気配に、京士郎は違和感を覚える。

 京士郎がやってきたことにいつ気づいていたのかはわからない。

 が、何となくであるが、呉葉ならば悟っているだろうとは思っていた。


「ここで何をしている?」

「ご覧の通り、料理でございます」


 そこにあったのは煮だった鍋だ。

 さらに、米と、それ以上に濃い薬草などの類の臭いがしていた。


「村の者へ振舞う料理か」

「ええ。彼らから聞いたかと思いますが、三日に一度、料理を振る舞っていまして。皆様への感謝の気持ちを……」

走野老はしりどころを使ってか?」


 京士郎がそう言うと、呉葉の笑顔が固まった。

 走野老。それは山で暮らす者ならば知っている毒薬だ。

 口に含めばたちまち走りだしてしまうと言われるがためにつけられた名前。

 その詳しい効能はわからないし、術においてどのような役割を果たすかはわからない。しかし、良いことのために使われるものでは断じてない。

 この一室、いや、屋敷全体に充満する臭いは間違いなく走野老のものであった。


「それは人に使うものではないぞ」

「しかし、彼らは喜んで食べます」

「喜べばいいというものではないだろう」


 京士郎は刀の柄に手をかける。

 呉葉は笑った。それは人の上に立つ慈愛のものではない。妖艶、否、裏のある笑みであった。


「ふ、ふふふ。いいえ、喜べばいいの。楽しければいいの。その身を委ねればいいの。そして止まっていればいいの。わかるでしょう。わかるはずよ。このときがずっと続けばいい。そしていつか朽ちるのよ。いかにくだらない生を送ったか、気づかないままに……」

「お前……!」


 京士郎は刀を抜いた。

 しかしそれよりも早く迫った呉葉。京士郎の両方の頬を掴めば、ふっと甘い息を吹きかける。


「わかるはずよ、ええ、わかるはずよ……」


 その声と共に、京士郎の視界が暗転した。






   *   *   *




 目を開くと、そこは山の中であった。

 京士郎にとって馴染み深い光景だ。

 いいや、この景色は。

 京士郎の知る、山である。暮らし、そして共にあった山だ。


「なんだ……これは」


 足を進める。

 さっきまで呉葉の館にいたはずだった。ここにいるはずがないのだ。

 いいや、ここは本当の山ではないだろう。

 臭いも、音も、気配も、まるで違う。

 呉葉が見せている幻覚に違いない。京士郎はそう判断した。

 であれば如何にしてここから抜け出せばいいのか。それを探るためにも、まずは足を進めなけらばならない。


「京士郎」


 声が聞こえた。自分の名前を呼ぶ声。

 しかし、土蜘蛛と戦ったときのように、京士郎の耳に馴染んだあの声ではない。

 後ろを振り向いた。

 一人の女がいた。

 見覚えのない女だ。しかし不思議と馴染む女だった。


「京士郎、ああ、京士郎」


 その声は慈しみに溢れていて。

 京士郎の求めているものでもあった。


「もしかして、あんた、いや、あなたは」

「ええ、そうよ」


 京士郎の瞠目。呼吸が止まったかのような衝撃。

 知っている。この女は、そう。


「母ぁ……なのか!?」

「うふふ、わかってくれたのね」


 女は笑う。京士郎の顔は曇る。

 母は貴族だった。どこかの姫であった。暮らしていた場所を鬼に襲われ、命かながらに逃げ、京士郎を生んだ。

 それが養父母が京士郎に教えたことである。


「いや、そんな。だって母ぁは死んだはずだ。死んだものはもう戻らん」

「そんなこと言わないで。私、自分の子にそんなことを言われたら、悲しいわ」


 悲しそうに、しかし笑ってみせる母。京士郎はゆっくり歩み寄っていく。


「だが」

「おいで、京士郎」


 気づけば、京士郎は母の腕の中にいた。

 頭にあてられる手。撫でられるたびに、心が安らいでいく。

 夢にまで見た。母とこうして戯れる日を。

 ようやく叶った。京士郎の心が落ち着いていく。

 たくさん話したいことがあった。たくさん聞きたいことがあった。

 そんなものはあとでいい。いまはただ、この時間を過ごしたい。


「いいのよ、いいの。じっとしていて」


 母の胸に顔を沈める。温かい。

 この微睡みの中にずっといたいとさえ、思う。


「私はずっとここにいるから。京士郎もずっとここにいなさい」

「母ぁ……」


 匂いを嗅ぐ。ああ、この匂いは。

 京士郎は目の前にいるそれを突き飛ばした。


「京士郎?」

「悪いな、俺は……ここで立ち止まっているわけには、いかないんだ」


 京士郎は刀を振り抜いた。

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