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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第三章 きしの紅葉に あからめなせそ
22/109

 呉葉の屋敷を訪れる。

 あいも変わらず異様な雰囲気を出しているこの屋敷。京士郎は首筋がむず痒く思っていた。大きな建物というのは慣れないものだ、と思った。

 一室で待ってると、音もなく呉葉は現れた。


「よくお越しいただきました。村の騒ぎを聞けば、朗報であったとわかります。が、その浮かない顔を見ると、それだけではないようですね」


 呉葉が京士郎と志乃の顔を見て言った。

 京士郎は頷いて、答える。


「まず、あんたが言ってた巨大な鬼だったが、鬼ではないみたいだった。話せば聞いてくれたし、霧さえ払えばここから出て行くとも約束をしてくれた」

「まあ、それは……けれども、ままならない事情がおありですわね」

「でかいやつだけじゃない。……いや、あいつらはきっと、元はこの村の者だな」

「えっ!?」


 志乃が驚きの声をあげた。呉葉は至って冷静に、京士郎へと問いかける。


「いま、なんと?」

「俺を襲ったのは確かに鬼だが、元はこの村の者であるだろうな、と言った」

「まさか、なにを根拠に」


 呉葉は心外だ、とでも言いたげだった。

 自分を慕う村人たちが、そんなことをするとは思っていないのだろうか。京士郎は滔々と語る。


「霧に入った者が陰気に当てられたか、霧の吸っているうちにああなったのか。訳はわからん」

「言いがかりを。この私を疑うのは構いませぬが、村の者たちはいくら貴方であっても赦しませぬぞ、京士郎殿」


 怒りの形相を見せる呉葉。しかし京士郎は、その瞳になにも感じなかった。

 逆に睨み返す。その中を覗くように、暴くように。

 嫌な空気が満ちる。いいや、違う。

 この感覚は、まるで……。


「お前を慕わぬ者がいたら? ここから出ようと、そう考える者がいないわけが……」

「やめなさい、京士郎」


 京士郎の言葉を、志乃は遮る。

 志乃は膝をすって、京士郎の前へと出る。そして呉葉と向かい合い、頭を下げた。


「過ぎたことを申しました。主人として、謝ります」

「おい、誰がお前の従者に」

「しかし、実際に見てきた京士郎の言葉にも一理あります。霧の中に陰気が膿んでいる場所があるかもしれません。村の者、あるいは霧の中にさ迷った者が、鬼となることもなきにしもあらず、でしょう」

「志乃様、貴女の持つ知でもわかりませんか」

「私は全てを知るわけではありませんから。しかし、人が鬼になる、という話を聞かないわけではありません。多くは死した魂がうつつをさ迷っているうちに変化へんげするのですが、此度は些か事情が違うようです」


 志乃がまくし立てる。それはこの場を切り抜ける方便だろうか。

 なるほど、人もまた鬼になることがあるらしい。否、人こそが鬼になるのだ。京士郎は志乃にかつて語られたことを思い出す。

 変われぬ魂が黄泉に溜まり、それが陰気となり、現世へ鬼となって出ると。

 そして、それが全てではない。陰気がその手にかける相手もまた、人である。


「なるほど……。わかりました。しかし、そうした脅威がある以上、まだ白霧夢中の術を解くわけにはいきません」


 呉葉はそう言う。どうやら話は最初に戻ったらしい。

 京士郎はため息をつくしかなかった。




   *   *   *




 貸家に戻り、京士郎と志乃は一息つく。

 呉葉の、民を守ろうとする意思は本物だろう。しかし京士郎は呉葉を信用することができない。

 それは志乃も同じようで、つい言いすぎたことを咎めはしなかった。


「……確信したわ。白霧夢中の術は、ただ姿を隠すためのものでも、中に入った人を迷わすものでもない」

「なに? それはどういうことだ?」

「京士郎、貴方、呉葉様にも話してないことがあったでしょう?」


 それは問いの形でありながら、確認であった。

 京士郎は頷いて、言う。


「ああ。縄が切られていた。それもあの切り口は、斧かなにかで切られていただろうな」

「やっぱり。間違いないわ、それは私たちの考えを見抜いてのことよ。鬼が縄なんて、瑣末なものに手をかけるなんて考えられない。これで納得がいった。白霧夢中の術は、二重の檻よ」

「二重の檻?」


 京士郎が聞き返すと、志乃は「そう」と言って、木の枝を用いて地面に図を描いた。

 二重に描かれた円。その中を枝で突く。


「これが鬼無里。その周りが霧よ。いい? 白霧夢中の術は、この霧の中に鬼を飼うための術であると同時に、鬼無里に人を閉じ込める術なの」

「鬼を飼う? 人を閉じ込める? そいつは……人のやることなのか?」


 京士郎は志乃の顔を見た。志乃はじっと、京士郎の目を見る。

 それがなによりの答えだった。

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