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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第三章 きしの紅葉に あからめなせそ
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 真っ白になった霧の中で、京士郎はゆっくり足を進めた。

 縄はまだ余裕を持っている。少し進むごとに確認をしていた。

 目はほとんど当てにならない。いくら遠くまで見えるとしても、霧のような視界を遮るものがあれば、たちまち見えなくなってしまう。

 だから京士郎は、己の耳に集中していた。霧がかかっていても、目や鼻はごまかせるが、音だけがごまかせない。ましてや大きなものが移動している音は、到底消せるものではない。

 刀が霧に濡れる。しかし、肌にこびり付くのは霧だけではない。


「……いるな」


 どれくらい時間が経ったろうか。長い時間が流れた気もするが、思っていたよりも短かったかもしれない。

 足音が響く。大地を揺らすほどの大きなものが、落ちている。

 そしてそれは、目前まで迫っていた。


「っ!?」


 京士郎は現れた脚を見た。

 思わず飛び退く。大きく距離を開けた。

 その脚は想像していたよりも遥かに大きかった。樹齢幾百の木を思わせる太さ、逞しさ、勇ましさ。雄大な力を感じている。その脛には毛のように草木が生えていて、それそのものが大地であるかのような姿。

 否、それは宿り木だ。あらゆる生命が根付く、その基だ。

 そして同時に、京士郎は一つの確信を抱く。


(こいつは鬼じゃない……!?)


 京士郎が鬼に対して抱く違和感。その正体はわからないが、志乃の言葉で言うなら陰気だろうか。

 その感覚が、目の前にいるはずの巨大な何かには何ら抱かなかった。

 鬼でないなら何なのか。それを知る由もなかった。

 しかし、鬼でないならば戦う理由が京士郎にはないし、状況も変わってくる。


(鬼ではないが、村の者たちには鬼に見えてたのだろうか。それとも、呉葉が……)


 そこまで考えて、京士郎は頭を振った。少なくとも、目の前の巨人は村の脅威になっていたものであり、呉葉にはこの巨人を倒すと約束したのだから。


「おい、お前は何者だ。鬼で相違ないか」


 京士郎がそう言うと、感じたのは視線。

 遥か高いところから見下ろされているのがわかる。自分には見えないから、きっと向こうからも見えていないにちがいない。

 巨大な脚が、ゆっくりと傾く。しゃがんでいるのだ。

 しばらく待つと、京士郎の目にあるものが見えた。

 眼だ。間違いなく。この巨人の。

 そしてその眼は、ひどく幼いように感じられた。稚児のような眼差しである。

 これが鬼か、と聞かれれば、京士郎は首を横に振るだろう。

 京士郎は刀を納めた。敵意がないことを示すのだ。


「お前は、何だ。もう一度聞くぞ」


 答えは瞬きだった。

 京士郎にはそれだけで、いくらか通じた。


「この先にある村を探しているのか」


 そう問いかける。瞬き。違うらしい。

 もしかしなくとも、この巨人にとっては、山も川も、人の暮らす村でさえも、大した区別がないのだろうか。で、あるならば、違うことを問いかけねばならない。


「何かしなければならないことがあるのか」


 瞬き。なるほど、どうやら使命があるようだ。


「悪いが、それはできないんだ。俺は鬼を倒さなければならない。そして、そのためにはこの先へ進まなければならない。そのためには、お前にはここをどいてもらわなければいけないんだ」


 その答えもまた、瞬きだった。

 京士郎は思わず唸る。上手くこの巨人をどこかへやることができるならば、呉葉も納得するだろう。

 いや、させなければならないのだ。


「どうだ、お前の使命を、俺が果たそう。何をしているのか、教えてはくれないか」


 京士郎がそう言うと、今度は長く瞼が閉じられた。

 しばらくして、京士郎は何かが落ちてくるのが見えた。

 それは袋である。慌てて手を伸ばし、受け止めた。

 思ったよりもずっと軽いその袋は、中に何が入っているか気になったが、聞いたところで答えはわからないだろうと諦める。

 眼がすっと、離れていく。脚がすっと縦になった。

 響き渡る音。一歩、また一歩、離れていく。

 霧が晴れない限り帰ることはできないだろうが、村から離れようとする姿勢を見せているのだ。

 その後ろ姿を見送り、足音も聞こえなくなったあたりで京士郎はため息をついた。

 これにて一件落着である。荒事にならずに済んでよかったと思った。

 あとは縄を辿って帰る、というのが志乃の策だ。戦える余裕を持つためであったが、それでもこの縄は無駄にはならないだろう。

 縄を目印に、歩いてきた道を帰っていく。かなり歩いたが、それでも縄はまだまだ張っていない。


「……って、おい、まさか」


 途中で、京士郎は見つける。見つけて、しまった。

 縄は途中で切られている。たくさんの縄を結んで一つの大きな縄にしていたのだが、解かれているわけでもなく、途中で寸断されていた。

 そうすると、京士郎はいよいよ鬼無里へと帰る術を失った。歩いているうちにたどり着くかもしれないが、この霧が京士郎が帰ることを果たして許してくれるかはわからなかった。

 次いで、周囲に気配が満ちた。それはさっきの巨人とは違う、鬼の気配だとすぐにわかった。

 刀を抜いて、周囲を見た。

 霧の向こうから、ゆらゆらと揺れて、京士郎に迫る影。


「踏んだり蹴ったりだな……。だがな、ここでくたばる気もない!」


 京士郎は刀を構えて、そう言った。

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