参
白霧夢中の術。
呉葉はそう言った。京士郎は術に疎くわからないから、呆然とその言葉を聞くしかない。
しかし、思うところはある。呉葉は一体誰にその術を学んだのか、そしてどうして術を使っているのか。
まるでわからない。ここは志乃に任せようと京士郎は決めた。
「白霧夢中の術、聞いたことがありません。術について、いくつか心得もありますが。けれど見当をつけるとすれば、『後漢書』で言われる張楷の術では?」
「いいえ。確かに近いものはありますが、これは私の独自の術。この村を守るための術です」
「守る、とは? 問いばかりですが……」
「大丈夫ですよ。この村は予てから、鬼に悩まされておりました。そこで私がこの術を使い、村へと入れないようにしたのです。きっと今も、かの鬼は霧の中を彷徨っているでしょう」
「よほど強力な術なのですね。……けれども、私たちは?」
「ええ。入れてしまっています。だからこそ、村の者たちは貴方がたに過敏になっていたのです」
そう言われれば、納得する。
鬼の侵入を阻むための霧の術。それを越えて入ってくる者は村の脅威となりうるものだろう。
術の強力さは、京士郎は身をもって知っている。志乃の見せる炎などの術以外にも、違う方法を用いて鬼を退けることができるのかと感心すら覚える。
鬼を打倒するという京士郎の目標とは違えど、こうして民を守る呉葉は立派なのだろう。
だが、しかし。
京士郎は呉葉を信用できないでいる。
この存在の希薄さはなんだ。
この熱のなさはなんだ。
まるで、そう。呉葉自身もまた霧のようであった。
そこにいるはずなのだが、つかみどころがない。京士郎の目でも、見通すことのできない。
どうにも気にかかる。それを確かめる方法もなかった。
「その、鬼というのは?」
志乃がさらに踏み込む。術についてはこれ以上明かさないだろうと踏んでるのだろう。
呉葉は少し、困った顔を浮かべる。
「申し訳ありません。私も直接見たことはないのですが……。しかし、天を突くほどの巨大な人影であったと聞いています。村に現れては畑や家屋を荒らし、飼っている家畜を食べていたそうです。さらには道に土を盛って封じ、寝息は大地を揺らし風を起こすような有様。人々が恐怖するのも仕方ないこと」
「なるほど、それほどまでの」
「はい。貴方がたには申し訳ないのですが、かの鬼がいる限り白霧夢中の術を解くことはできません」
「そして、私たちも外に出ることができない……」
そう言って志乃は少し考える。
その考えは、京士郎には少しばかり理解できた。体を乗り出し、提案をする。
「なあ、呉葉とやら。その鬼を俺が倒せば、この霧をどかしてはくれまいか?」
「鬼を、倒す? そんなことができるのですか?」
「できる。ここまで来るのに、二つの鬼を倒してせしめてきたんだ。いまごろでかい鬼が出てきたところで、怯みはしない。俺が鬼を倒せば、霧も必要じゃなくなる。んでもって霧を払ってもらって、俺らも外に出られる寸法だ。どうだ、悪い話じゃあるまい」
京士郎がそう言うと、呉葉の笑顔が固まった。
それほど無茶なことは言っていないつもりだが、それは京士郎の感覚だ。鬼を倒す、などは人からしてみれば、夢のような話なのかもしれない。
しばらく考える呉葉。畳み掛けるように、志乃は口を開いた。
「私も、京士郎の考えに賛同いたします。我々にも使命がありますし、先を急いでいます。さらに言えば、この村が未だ鬼の脅威に晒されているのを見過ごすわけにもいきません」
「志乃様……」
志乃の言葉で、呉葉は決心したようだ。
三つ指とついて、頭を下げる。それは不本意ながらも、人の上に立っている者としての矜持なのだろうか、それとも自分たちへの誠意なのだろうか。
「どうか、お願いいたします。この鬼無里を、本当に鬼の無い村にしてくださいませ」
* * *
京士郎の腰には刀が戻っていた。少し前までは刀など握ったこともなかったのに、今ではこの刀がなければ落ち着かなくなっている自分に気づいた。
「どうにかなったわね」
志乃がそう言った。
いま二人がいるのは、空き家屋だ。屋敷に置いておくわけにはいかないらしく、されど誰かの家に泊めてもらえるような状況ではない。
空いている家がたまたまあり、呉葉の一言でこうして貸してもらえるようになった。
「捕まったときはどうなるかと思ったけどな」
「まったくね。でも、いろいろ聞けたわ」
「あの、でかい鬼か。霧の中を彷徨うっていう」
「それもあるけど」
志乃は顎に指を当てる。そして目を閉じると、ぶつぶつとつぶやいた。
「どうにも気になるのは、白霧夢中の術。自分の姿を晦ます術ではない。相手を迷わせるための術……。いいえ、相手を閉じ込めるための術? 道術なのかどうかも……」
「おい、おい」
「なによ」
「今はそれを考えたって仕方ねえ。俺たちはひとまず、鬼を倒さなきゃならん。そうすれば霧だって不要になる」
「ねえ、京士郎は呉葉を、どう思った?」
その言葉で、志乃もまた呉葉を疑っているのだと、京士郎は知ることができた。




