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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第三章 きしの紅葉に あからめなせそ
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 乳白色の霧に包まれていた。

 視界を遮る霧の中において、足元がかろうじて見えるのみだった。京士郎自身、こんな深い霧は初めてであった。

 いまいる場所も、皆目見当がつかなかった。もとより自分の里以外がどのような地理になっているかはわからなかったが、肝心の志乃でさえ「星が見えないのではどうしようもない」と言うのだから仕方ない。

 果たして自分たちが進んでいる方向が正しいのかもわからなかった。東へ向かっているのか、はたまた南に向かっているのか。日も星も味方をしてくれない。

 ただただ転ばないように。霧の中であっても目の優れている京士郎が志乃の前を歩いていた。

 一歩でも離れてしまえばお互いに見失うだろう。それを防ぐために、京士郎の背を志乃は掴んでいた。


「……妙だな」

「……妙ね」


 京士郎が言えば、志乃もつぶやいた。

 霧が晴れないのも妙で、さっきから景色が変わらないことも妙だった。

 岩肌に挟まれた道がずっと続いている。前の村を出てからしばらく経っても、一向に違う村も見えて来ることもなければ、人や獣でさえも見ることがない。


「いくらなんでもおかしくないか」

「そうね……。そろそろ食事もしたいのだけれど」

「先も見えなければ、食えそうなもんも見えん。早く村でも見つけられればいいが」


 そうは言っても、このままではどうしようもない。

 志乃もすでにへとへとで、京士郎も腹が減って仕方なかった。

 持ち歩いていた食糧もすでに食べきっており、喉もからからである。

 鬼と戦うのも確かに大変であるが、空腹はそれ以上の敵であるようだ……と京士郎は苦笑するしかなかった。


「ん? 待て……これは川の音か」

「え、本当に!?」


 それは吉報だった。川があるということは水や食糧も得ることができ、また川を辿れば村や町があるはずだ。

 ようやく、この霧を抜ける目処がたった京士郎と志乃は、まず川へと急いだ。

 川の水は澄んでいて、とても流れが早い。

 志乃は川に近づいて、手で水をすくった。口に寄せて飲むと、一息つく。京士郎も横に並んで同じようにしていた。


「それにしても、ここはどこかしら」

「お前にわからないんじゃ、俺にもわからん」

「でしょうね。不破の関を越えれば少しでも精山様の足取りの手がかりがあると思ったのに、ぜんぜんないし。土蜘蛛に変な霧、もう散々だわ」

「命があるだけ儲け物だな」

「そうね。よく生きてたものよ」


 そう言って志乃は疲れた笑みを浮かべた。

 京士郎は川の下流の方を見る。その先は少しだけ、霧が晴れていた。


「向こうだな。何があるかはわからないが、少なくとも霧からは出られそうだ」

「そうと決まれば早く行きましょ」


 志乃が立ち上がる。京士郎もまた、志乃が決めたならと続いた。

 川沿いは石が多く転がっていて歩きにくいが、鬼も獣も出てこない平穏な道程だった。

 京士郎も志乃も、気持ちが緩んでいる。それは疲れのせいでもあり、戦いがないことのせいでもあった。

 そのせいか、霧の晴れた場所にあったその光景に、二人は驚くことになる。


「……嘘でしょ」


 志乃はそう言った。

 開いた口がふさがらないとはまさにこのことだろう。京士郎もまた、驚いていた。

 そこにあったのは一つの町だった。いや、町というほど大きくはないだろう。しかし、村というにはあまりにも整っていた。川には立派な橋がかかり、屋根は一様に瓦で覆われている。道も整っており、建物は理路整然と並べられていた。


「京の都もかくや、ね。京の方が大きいけれど、遠く離れた場所にこんな町があるなんて、知らなかったわ」


 志乃がそう言うからには、この村が普通でないことは明らかだろう。京士郎は京を見たこともないが、その口ぶりからこの村は京によく似ていることがわかる。


「それに見てみろ、あの霧を。この村を囲んでいるようだ。ここだけ、どうしてか晴れてるな」

「ますますわけがわからないわ。でも、行くしかないでしょうね」


 志乃はそう言って、村へと向かっていく。京士郎も続いた。

 村の中に入ると、やはりその整然とした光景に驚きが隠せなかった。京士郎の里と比べるべくもなく、綺麗であった。


「びっくりするわね。あらかじめ計画して作られたのかしら」

「そうだな……だが、なんだ、この侘しさは?」


 村の雰囲気は、整っている作りに反して、人の気配はあまりしなかった。

 活気と言えるものがないのだろう。走り回る子どももいなければ、道端で話している女性もいない。

 霧や空が曇っているせいなのだろうか。ともかく、村全体に寂しさが満ちていた。

 そして二人が注目したのは、村の一番奥にある建物。それは大きな屋敷だった。


「奥にある屋敷、気になるわね。京士郎、貴方は?」

「ああ……なんだろうな、嫌な予感がする」

「貴方の勘なら信じてもいいわね」


 志乃はそんなことを言った。土蜘蛛と戦って以来、少しずつであるが、志乃は京士郎に信頼の言葉をかけていた。

 かえって、それが京士郎を悩ませる。自分は志乃を信じていないわけではないが、どうにもそれを形にすることが苦手なのだ。いままでしたことのなかったことを急にはできない。そうは言っても、何もできないでいるというのが、京士郎にはむず痒かった。


「お前たち、待て!」


 急に、そんな声がかけられた。

 気づくと、京士郎と志乃の周りを男たちが取り囲んでいた。どれも屈強な男で、手には鍬や斧などを各々が持っていた。

 京士郎は志乃を庇いつつ、刀を抜きかける。しかし、それは志乃によって止められた。


「だめよ、京士郎」

「だけど」

「だめ。その刀で人を斬らないで」


 志乃の語気には、いつにない凄みがあり、京士郎は渋々とその手を引く。

 そして志乃は、男たちに声をかける。


「何の用でしょうか」

「お前たち、外から来た奴らだな?」


 男たちの中で一番、年上だと思われる男が言った。


「はい。この霧の中で迷ってしまって、そうしたらこの村を……」

「理由は知らん。問答無用だ」


 年長の男がそう言うと、男たちはその輪を狭めた。

 京士郎が、組み手の構えをとった。なにも、棒振りばかりやってきたわけではない。獣を素手で組み伏したことだってある。


「いいか、それ以上近づいてみろ。一人ずつその首を……」

「京士郎! だめ!」

「何故だ!?」

「相手は人よ。人を傷つけるために旅をしているわけじゃないでしょ」

「……ちっ」


 甘いな、と京士郎は思うが、志乃の従者というていでここにいるのだから、勝手に暴れるわけにはいかない。


「ふん縛れ! 呉葉様に突き出すんだ!」


 男たちは京士郎と志乃を組み伏せる。抵抗をしないまま、二人は取り押さえられた。

 無理やり立たせられ、屋敷の方へと歩かされる。


(……それにしても、呉葉ってのは誰だ。あの屋敷にいるやつか?)


 京士郎は、屋敷にある大きな気配に気づきつつあった。

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