捌
明くる日、村には喜びと悲しみがあった。
かくして土蜘蛛の脅威は去った。それは村を歓声で包んだ。
ただふらっと立ち寄った、京からの客人の少女とその従者が、強大な鬼を倒してみせたのだ。京士郎と志乃が土蜘蛛を討伐せしめたことを伝えると、それは村中を駆け巡り、祝いだ祭りだと騒ぎになった。
一方で、悲しみに暮れる者たちもいた。行方の知れなかった者たちは土蜘蛛に食われた。そのことが多くの人に知れ渡り、遺族たちは静かに泣いた。
しかし、村の危機が去ったのは事実である。ひとまずはそれを喜ぼうと、村の人々は食事の用意を始めた。
まだ日が昇りきったばかり。京士郎は村の中であって、喜びはせず、ただ珍しくぼうっとしていた。
戦いが終わり腑抜けた、わけではない。
どうにも、あれから力が入らないのだった。
その理由はなにかと問われれば、わからない。
「何してるのよ」
そう言って声をかけてきたのは志乃だった。
顔に疲労は濃い。あれだけ山の中を走り、土蜘蛛とも対面したのだから当然といえば当然だ。
「少し、考え事をしてた」
「貴方でも考えるのね」
「どういう意味だ」
「そのままよ」
志乃はため息をついた。
そんなに自分は考えないように見られていたのかと思うが、反論はしなかった。
京士郎は腰に差していた刀を抜く。その刀身は日の光を反射するが、何も映しはしなかった。
「教えてくれ。お前の言っていた、この刀の使い方を教えてくれたときの、もしかしたらってのはなんだ?」
「……考えてたのはそのことなの?」
「違う。けど、気になった」
京士郎が珍しく弱々しく言うと、志乃も特に何も言わなかった。
少しだけ志乃は考えて、口を開いた。
「顕明連、その刀の真価を知る者は神通力を持つ者だけと言われてるわ」
「神通力?」
「そう。私の使う術も、広い意味では同じ。けれど貴方のそれは違うわ。いいえ、本来の意味での神通力と言えるもの。貴方の腕力も膂力もその一端に過ぎないわ。確かにそれはとても強力だけれども、本質はむしろ、その耳と目の良さよ。人として必要なのは、聞いて、そして見ることなの」
「聞いて、見ること……?」
京士郎にはわからない。生まれながらにしてその力を持っている京士郎にとって、目の良さも耳の良さも、腕っ節の強さと足の早さとそう差はない。
「もちろん、目の良い人は他にいるし、音色を聞き分ける耳の良さを持つ人もいるわ。けれど、神通力というのはそれとは比べることができないほどに、強大なものなの」
「聞いたことの答えになってないな。どうしてそれを俺が持ってると思ったんだ」
「……貴方を育てた彼らは、貴方を神懸かっていると言ったわ。そして私も、信じられないけれど、貴方の力を見ているの。その刀だって、力のない者には抜けないものなのよ。もしかしたら、貴方は本当に神懸かりなのかもしれないって、思った」
「ふうん」
志乃の言葉が京士郎の身に染みる。
他の人とは違う、この力。かつて育った里では物の怪と恐れられたこの力。
(お前は言わないのだな。本当は……恐いだろうに)
土蜘蛛の言葉を思い出す。自分たちは同じだから、人のように他者を思うことはない。
京士郎は答えを示した。思うことを拒むなと。
それは、相手を拒むことでさえ、拒めないということ。
そして自分はたくさんの人に拒まれてきたということでもあった。
(だけど、こいつはそれをしない)
めちゃくちゃだと言うけれど。わからないと言うけれど。それでも。
ただそれだけで、京士郎はすっと、身体が軽くなった気がした。
「何よ、嬉しそうな顔をしちゃって」
「……わかるものなのか?」
「神通力なんてなくたってわかるわ。貴方、わかりやすいもの」
天狗にもよく言われてた言葉。まさか志乃にまで言われるとは思いもしなかった。
ふふっ、と笑う志乃。京士郎は恥ずかしくなって、そっぽを向いた。
胸にあった靄が少し晴れた気がした。不思議なことだった。
「おうい、お二人さん!」
向こうから、家を貸してくれた男がやってくる。
走ってきたようで、息を切らしている。
「志乃様、言われた通り、関所まで遣いを出しました。洞窟の検分も頼んだぜ」
「ありがとうございます」
志乃はすでに、この村の者たちから厚い信頼を寄せられているようだ。男は志乃に対して下手に出ている。
「今晩も主役はお二人です。ゆっくりして行ってくだせえ」
「いいえ、私たちはそろそろ出ます。昨晩にたくさん食事もいただきましたし、ゆっくり休みましたので」
「そ、そんなあ」
男は少し落胆した様子を見せる。
京士郎は、一体どういうことだと志乃を見た。確かに、ここでじっとしていては、精山がまた遠くへと行ってしまうが。
志乃がこっそりと、耳打ちする。
「ここでじっとしてたら、私たちが関を避けてきたのバレちゃうでしょ」
その答えに、京士郎は思わずこけそうになった。
* * *
京士郎と志乃が出立すると聞いて、村中の人々が見送りにやってくる。
皆が神妙な面持ちで、見られている京士郎としては恥ずかしくて仕方ない。
故郷を出るときでさえ見送りは養父母だけだったのだ。こうもたくさんの人に見送られるとは思いもしなかった。
「皆、貴方に感謝してるのよ」
志乃はそう言う。
けれど、土蜘蛛と戦ったのは自分が勝手にしたことだ。
それが感謝されるだなんて。とは口にしなかった。
手を振っている。志乃は目で、貴方もしなさいと言っていた。
京士郎はよくわからないまま、軽く手を挙げた。するとたくさんの手が振り返される。
これでよかったか、と思い、京士郎は彼らに背を向ける。志乃が隣に並んできた。
「なあ、鬼を全て、この世からなくすことはできるのか」
「無理ね」
京士郎の言葉を志乃は否定した。
しかしすぐに、「でも」と続ける。
「最初は討伐することでさえできなかった。精山様を探し、その智恵に頼る他ないって考えてた頃からは、とても考えられないことよ。鬼を全て、この世からなくすことはできないだろうけど、それでもきっと、この世に平穏が訪れるって」
志乃はそう言って、少し黙る。京士郎は志乃の言葉を待った。
そしてようやく、志乃は口を開いた。少しだけ、恥ずかしそうに。
————貴方がいてくれるなら、きっと。
「…………」
「何か言いなさいよ、恥ずかしい!」
「はあ!? お前が勝手に言ったんだろ!?」
「私だけが言うのは恥ずかしいって言ってるのよ! 女心がわからないわね!」
「わからねえよ!」
「ちょっとずつ勉強しなさい、そしたら」
「そんなもん、飯の足しにもならんわ!」
言い合いながら、二人は進む。東へとその足を向けて。
二人の不和が、少しだけ解けた気がした。




