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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 明くる日、村には喜びと悲しみがあった。

 かくして土蜘蛛の脅威は去った。それは村を歓声で包んだ。

 ただふらっと立ち寄った、京からの客人の少女とその従者が、強大な鬼を倒してみせたのだ。京士郎と志乃が土蜘蛛を討伐せしめたことを伝えると、それは村中を駆け巡り、祝いだ祭りだと騒ぎになった。

 一方で、悲しみに暮れる者たちもいた。行方の知れなかった者たちは土蜘蛛に食われた。そのことが多くの人に知れ渡り、遺族たちは静かに泣いた。

 しかし、村の危機が去ったのは事実である。ひとまずはそれを喜ぼうと、村の人々は食事の用意を始めた。

 まだ日が昇りきったばかり。京士郎は村の中であって、喜びはせず、ただ珍しくぼうっとしていた。

 戦いが終わり腑抜けた、わけではない。

 どうにも、あれから力が入らないのだった。

 その理由はなにかと問われれば、わからない。


「何してるのよ」


 そう言って声をかけてきたのは志乃だった。

 顔に疲労は濃い。あれだけ山の中を走り、土蜘蛛とも対面したのだから当然といえば当然だ。


「少し、考え事をしてた」

「貴方でも考えるのね」

「どういう意味だ」

「そのままよ」


 志乃はため息をついた。

 そんなに自分は考えないように見られていたのかと思うが、反論はしなかった。

 京士郎は腰に差していた刀を抜く。その刀身は日の光を反射するが、何も映しはしなかった。


「教えてくれ。お前の言っていた、この刀の使い方を教えてくれたときの、もしかしたらってのはなんだ?」

「……考えてたのはそのことなの?」

「違う。けど、気になった」


 京士郎が珍しく弱々しく言うと、志乃も特に何も言わなかった。

 少しだけ志乃は考えて、口を開いた。


「顕明連、その刀の真価を知る者は神通力を持つ者だけと言われてるわ」

「神通力?」

「そう。私の使う術も、広い意味では同じ。けれど貴方のそれは違うわ。いいえ、本来の意味での神通力と言えるもの。貴方の腕力も膂力もその一端に過ぎないわ。確かにそれはとても強力だけれども、本質はむしろ、その耳と目の良さよ。人として必要なのは、聞いて、そして見ることなの」

「聞いて、見ること……?」


 京士郎にはわからない。生まれながらにしてその力を持っている京士郎にとって、目の良さも耳の良さも、腕っ節の強さと足の早さとそう差はない。


「もちろん、目の良い人は他にいるし、音色を聞き分ける耳の良さを持つ人もいるわ。けれど、神通力というのはそれとは比べることができないほどに、強大なものなの」

「聞いたことの答えになってないな。どうしてそれを俺が持ってると思ったんだ」

「……貴方を育てた彼らは、貴方を神懸かっていると言ったわ。そして私も、信じられないけれど、貴方の力を見ているの。その刀だって、力のない者には抜けないものなのよ。もしかしたら、貴方は本当に神懸かりなのかもしれないって、思った」

「ふうん」


 志乃の言葉が京士郎の身に染みる。

 他の人とは違う、この力。かつて育った里では物の怪と恐れられたこの力。


(お前は言わないのだな。本当は……恐いだろうに)


 土蜘蛛の言葉を思い出す。自分たちは同じだから、人のように他者を思うことはない。

 京士郎は答えを示した。思うことを拒むなと。

 それは、相手を拒むことでさえ、拒めないということ。

 そして自分はたくさんの人に拒まれてきたということでもあった。


(だけど、こいつはそれをしない)


 めちゃくちゃだと言うけれど。わからないと言うけれど。それでも。

 ただそれだけで、京士郎はすっと、身体が軽くなった気がした。


「何よ、嬉しそうな顔をしちゃって」

「……わかるものなのか?」

「神通力なんてなくたってわかるわ。貴方、わかりやすいもの」


 天狗にもよく言われてた言葉。まさか志乃にまで言われるとは思いもしなかった。

 ふふっ、と笑う志乃。京士郎は恥ずかしくなって、そっぽを向いた。

 胸にあったもやが少し晴れた気がした。不思議なことだった。


「おうい、お二人さん!」


 向こうから、家を貸してくれた男がやってくる。

 走ってきたようで、息を切らしている。


「志乃様、言われた通り、関所まで遣いを出しました。洞窟の検分も頼んだぜ」

「ありがとうございます」


 志乃はすでに、この村の者たちから厚い信頼を寄せられているようだ。男は志乃に対して下手に出ている。


「今晩も主役はお二人です。ゆっくりして行ってくだせえ」

「いいえ、私たちはそろそろ出ます。昨晩にたくさん食事もいただきましたし、ゆっくり休みましたので」

「そ、そんなあ」


 男は少し落胆した様子を見せる。

 京士郎は、一体どういうことだと志乃を見た。確かに、ここでじっとしていては、精山がまた遠くへと行ってしまうが。

 志乃がこっそりと、耳打ちする。


「ここでじっとしてたら、私たちが関を避けてきたのバレちゃうでしょ」


 その答えに、京士郎は思わずこけそうになった。




   *   *   *




 京士郎と志乃が出立すると聞いて、村中の人々が見送りにやってくる。

 皆が神妙な面持ちで、見られている京士郎としては恥ずかしくて仕方ない。

 故郷を出るときでさえ見送りは養父母だけだったのだ。こうもたくさんの人に見送られるとは思いもしなかった。


「皆、貴方に感謝してるのよ」


 志乃はそう言う。

 けれど、土蜘蛛と戦ったのは自分が勝手にしたことだ。

 それが感謝されるだなんて。とは口にしなかった。

 手を振っている。志乃は目で、貴方もしなさいと言っていた。

 京士郎はよくわからないまま、軽く手を挙げた。するとたくさんの手が振り返される。

 これでよかったか、と思い、京士郎は彼らに背を向ける。志乃が隣に並んできた。


「なあ、鬼を全て、この世からなくすことはできるのか」

「無理ね」


 京士郎の言葉を志乃は否定した。

 しかしすぐに、「でも」と続ける。


「最初は討伐することでさえできなかった。精山様を探し、その智恵に頼る他ないって考えてた頃からは、とても考えられないことよ。鬼を全て、この世からなくすことはできないだろうけど、それでもきっと、この世に平穏が訪れるって」


 志乃はそう言って、少し黙る。京士郎は志乃の言葉を待った。

 そしてようやく、志乃は口を開いた。少しだけ、恥ずかしそうに。

 

 ————貴方がいてくれるなら、きっと。


「…………」

「何か言いなさいよ、恥ずかしい!」

「はあ!? お前が勝手に言ったんだろ!?」

「私だけが言うのは恥ずかしいって言ってるのよ! 女心がわからないわね!」

「わからねえよ!」

「ちょっとずつ勉強しなさい、そしたら」

「そんなもん、飯の足しにもならんわ!」

 

 言い合いながら、二人は進む。東へとその足を向けて。

 二人の不和が、少しだけ解けた気がした。

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