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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 洞窟の中を、京士郎は駆け抜ける。

 途中で、逃すまいと襲いかかってくる蜘蛛たちを切り払う。

 背後からは土蜘蛛が物凄い勢いで迫っていた。赤い目が怒りに燃えている。

 距離は縮んできている。しかし足を緩めなければ、追いつかれることはないこともわかる。

 志乃の声はまだ聞こえる。どこにいるのか、京士郎にはだいたいわかっていた。

 広い洞窟の、未だ踏み込んだことのない部分。

 そこは日が差す場所だった。

 そして光の下に、その少女はいた。


「京士郎!」

「何度も名前を呼ぶな、聞こえてる!」

「聞こえてる方がおかしいのよ!」


 言われてみればそうであるが、京士郎は構っていられない。

 蜘蛛に囲まれながらも、志乃には近づけずにはいるようだった。

 志乃がなんらかの術を使っているのかとも思ったが、それは違った。

 京士郎もまた、日の下へと入る。見上げれば天井はなく、木々と空が広がっていた。

 どうやらここだけ崩れているらしい。

 京士郎は一足で飛び、志乃の隣に降り立った。


「これはどういうことだ。こいつらは?」

「気づいたのよ。髑髏の雲の正体と、土蜘蛛がどうして村を襲わないのか。まず、彼らは日の光を嫌うの。髑髏の雲は日から自分たちを守るためのものなのよ。村を襲わないのは、髑髏の雲だけでは村の全体を覆えないから。森の中と違って木で日が隠れなくて、日の光が横から入ってしまうのよ」

「それでも、夜に村を襲わない理由にはならないが」

「鬼として大きな力を持っていても、所詮は蜘蛛よ。知らない? 『朝蜘蛛はき人の走り、夜の蜘蛛は盗人ぬすっとの走り』って」


 志乃は得意気な顔をしていた。

 言われてみれば養父母がそんなことを言っていた気がする。朝に出てくる蜘蛛は殺してはならない、夜に出てくる蜘蛛は除きなさいと。

 なるほど、つまるところ、彼らはその言葉に縛られている。人の理ではあるが、鬼を退けるだけのものであるのだ。


「よかった、これで貴方に会えなかったらどうしようかと思ったわ」


 志乃がふっ、と笑った。晴れやかな笑みだった。

 大したものだ、と思った。安全な場所であるとは言えこうして敵に囲まれ、しかし笑う豪胆さ。自分を呼びかけ続けるその度胸。

 なにより……てっきり苦い顔で小言を言われると思っていた京士郎は、その口ぶりとは裏腹に、よもや笑顔で迎えられるとは思いもしていなかった。


(って、何を見惚れているんだ、俺は)


 京士郎は頭を振って、考えを払った。

 蜘蛛の集団の向こう側に、一際大きな蜘蛛がいた。近づこうにも近づけないのか、動かずにいた。

 悠長にはしていられないだろう。髑髏の雲をここで出されてしまえば、ここも安全ではなくなる。この数の蜘蛛と、土蜘蛛を同時に相手にする自信もなければ、志乃を守りきるのは無理だった。


「それで、策はあるのか」

「……あると言えばあるけど、賭けでしかないわ。京士郎、ちょっといい?」


 よく名前を呼ばれる日だな、と京士郎は思いながら、志乃の言葉に耳を傾けた。


「何だ?」

「私は貴方のことはよくわからない。でも、その刀を抜けるってことは、もしかしたらってこともある」

「何を言ってるんだ?」

「恨むなら私を恨みなさい。刀を掲げて、日に透かすのよ。」


 言われるがままに、京士郎は刀を空へ伸ばした。

 刃を寝かせて日を遮るように。

 すると、京士郎は様々な光景を見た。


 己があった。志乃がいた。ともに歩いていた。

 炎があった。大きな蛇が暴れていた。鬼と戦っていた。

 戦があった。たくさんの人が剣を持っていた。

 国があった。皆が一つの社を囲んでいた。

 山があった。火を噴き、赤い波が大地を包んでいた。

 海があった。遥か巨大な生き物が泳いでいた。

 月があった。渇いた大地が広がっていた。

 光があった。闇があった。

 女があった。笑っていた。


 たくさんの光景が、泡沫となって京士郎の目に映っていた。

 目が回りそうなその景色の中であるが、京士郎の目は確かに全てを捉えていた。

 そのうちの一つに、京士郎は目をつけた。

 すっと、身体が引く感覚。時にして一瞬。京士郎には長く、長く感じられたが、一瞬に過ぎなかった。

 

「いま……のは」

「見えたの?」

「ああ、見えた。これが狙いだったのか」

「ええ。その刀の名前は顕明連けんみょうれん。近江の湖に住まう蛇の尾から出てきたと言われる宝刀よ。元は天界のものとも、黄泉のものとも言われてるけど……。貴方の見たものは、三千大千世界。この世の全てよ」


 それがどうして京士郎に、あのような光景を見せたのか。はたまた、京士郎を刀の担い手として認めているのか。

 志乃にはいくつか考えがあるようだが、京士郎にはさっぱりわからない。

 とりあえず、目の前の土蜘蛛をどうにかしないことには始まらない。

 京士郎は刀を構えた。

 顕明連が見せた景色。そのうちの一つ。

 京士郎は、その景色を————手繰り寄せる。


「シッ」


 浅く息を吐いて、京士郎は志乃の元から跳んだ。

 飛びかかってくる蜘蛛を避け、斬り、土蜘蛛でさえ飛び越える。

 背後を取った京士郎。土蜘蛛は天井に糸を飛ばし、その糸をぶらさがるように登った。

 鬼の顔を下げ、京士郎を睨んだ。

 それこそが、京士郎の狙いだった。

 地面を蹴る。刀を逆手に持つ。

 唯一できた隙。く、風のように京士郎は土蜘蛛に飛びかかったのだった。

 土蜘蛛の首に、銀に閃く刃が突き立てられる。

 白い血が吹き出る。それは京士郎を汚す。

 洞窟中に響き渡る土蜘蛛の断末魔。それは同胞の蜘蛛たちでさえ怯ませる。志乃も耳を手で覆っていた。


「おのれ、おのれ! 脆弱な、感情に振り回される雑種が!」


 京士郎はその戯言に耳を貸さない。

 ただただ、刀を押し込む。ぐっと、力を込めて。

 ああ、お前にはわかるまい。

 全てで一つと考えるお前には、わかるまい。

 己と他者は、別のものであるから。それは時に人との齟齬を生み、人を蔑み、そして疎ましく思うようになってしまうかもしれない。自分がそうされたように、あるいは自分もそうしたように。

 けれど、ああ、けれど。

 京士郎は思う。この思いは、他者だから抱くもの。

 土蜘蛛に食われた子どもの痛みを思い、子どもを失った親の悲しみを思い、そしてその姿に自らと親しい者たちを重ねていく。

 だから怒り。だから動く。


「これが俺の答えだ、土蜘蛛! 生きる者の足をその糸にかけるなど、させるものか!」

「ふひっ、此の期に及んで世迷言を。お前たちはいずれ滅びる。我ら鬼によって。それも全て、自分たちが招いたことと知るがいい!」


 それが土蜘蛛の最後の言葉だった。

 京士郎は刀を抜き、払った。土蜘蛛の首が落ちる。その巨体を天井へ張り付けていた力が失われ、洞窟に落ちた。

 どしんと、大きな音が響いた。京士郎は地面に音もなく着地した。

 小さな蜘蛛たちは、土蜘蛛が死ぬのと同時に、白い液体へと姿を変えた。それは彼らなりの死であるのだろうか。

 京士郎が土蜘蛛に近づく。そして、その腹が裂けているのが見えた。

 そこから転がってきたのは髑髏であった。

 人の頭の骨。それが山のようになっていた。村の者か、兵なのか、男か女か、さっぱりわからない。こうなってしまえば、人は他と区別することはできないのだ。

 京士郎は気づけば、刀を地に落としていた。戦いに勝ったという実感はなく、ただただ疲労が身体を蝕んでいたのであった。

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