陸
京士郎は瞠目する。
いままで戦ってきた蜘蛛たちはあくまで、この土蜘蛛の一部に過ぎない。
土蜘蛛たちの群れ、ではない。群れこそが土蜘蛛なのであり、群れで一つなのだ。
ゆえに、彼らは理解できない。同族の死を悼み、憤ることを。
自分たちの種が生きれば、あるいは目の前の大蜘蛛さえ生き延びれば、土蜘蛛は生きることができるのだ。
それを理解した京士郎は、理解する。
目の前の土蜘蛛……鬼と語らったところで意味はなさない。ましてや口で勝つことは、おおよそできまい。
根本として、違う存在なのだ。
考え方が、あまりにもかけ離れているのだ。
そして奴らは、人としての悪をよく理解している。彼らは陰気に富んでいるからだ。
人の悪意によってできているからだ。
「理解したか? 恐怖したか?」
土蜘蛛は……なおも、笑う。鬼の形相が歪む。
笑っているはずなのに、怒っているように、京士郎には見えた。
確かに、恐ろしい。まるでわからないものが、目の前に居る。明確な悪意と殺意を持って、牙を己に向けている。そのことに脚は震えるし、鼓動が早まる。
が、しかしだ。それは京士郎に一つの決意をさせる。
刀を強く握る。言葉が通じぬのなら、力で退かすしかない。
(これ以上、こいつに何かを食わせてはいけない、生かしてはおけない!)
それは直感である。同時に確信でもあった。
生かしておけば、さらに人は食われるだろう。縄張りを広げれば、増えていけば、やがて人は食い尽くされる。
そうはさせまい。京士郎はそう思った。
自分を育てた養父母と、志乃と、家へ快く受け入れてくれた男がいる。
そして、土蜘蛛に食われた子どもの顔が思い浮かぶ。京士郎を見て安堵した顔、自分の死を悟った顔。彼にも親がおり、兄弟がいたかもしれない。それが一瞬にして失われた。
この感情をなんと言えばいいかわからない。
ただただ、京士郎は怒りに震え、刀の切っ先を土蜘蛛に向けた。
「……ほう」
土蜘蛛は笑わなかった。
皮肉にも、土蜘蛛の語りは京士郎の覚悟を促すこととなった。
「俺は決めたぞ」
京士郎は言う。志乃に付き従っていただけの始まりであったが、ここにその目指すべき場所ができた。
「俺は鬼を滅ぼす。あの世へと帰れよ、てめえら。帰れないってなら、引導をくれてやる」
「……ふひっ」
京士郎の気迫に押されたのか、土蜘蛛の笑みは引きつっていた。
たじろぐ土蜘蛛。京士郎の一歩が、土蜘蛛を追い込む。
そして土蜘蛛の顔が再び怒りに染まると。
「ほざきよるな、小僧!」
そう言って、尻を持ち上げ、糸を出す。
京士郎を狙ったものではない。ずっと後ろにある壁に張り付いた。
すると、勢いよく京士郎目掛けて土蜘蛛が跳んだ。あらかじめ飛ばした糸を辿って、引っ張られる勢いのままに体当たりをしてきたのだ。
京士郎はその体当たりを避ける。すれ違い様に刀を振るった。
火花が散った。土蜘蛛の肌は鋼に等しい硬さを持っていた。
あまりの硬さに、腕が痺れる。が、隙を見せるわけにはいかない。京士郎はすぐさま後ろを向き、刀を構えた。
しかし、わずかに遅い。土蜘蛛は、今度は糸に頼らず突進をしてくるではないか。
京士郎は左右に退路を見つけられず、かといって上に避けるにも、そこは土蜘蛛の子らが支配しているのだった。
大きく開いた顎。京士郎を丸呑みせんとばかりに、牙を光らせている。
刀を縦に構え、両手で受け止める。土蜘蛛の歯にがちり、とはまる。
膂力に自信のあった京士郎であるが、土蜘蛛の勢いを止められず、そのまま押し込まれる。
地面に脚をついて踏ん張る。力は拮抗しない。ぐっと壁まで追いやられる。
「くそ!」
「ふひっ、ふひっ、人ではないと言っても、混ざり物のお前ではこの程度」
「てめえ……!」
京士郎は言い返そうとするも、少しでも力を抜けば押しつぶされることがわかるから、言葉を途中でやめた。
「思い知っただろう? お前の、同族が死んだなんて怒りも、この程度の甘いものだ」
「ふざけるな!」
京士郎は手首を傾ける。鬼の顎から逃れた。
飛び退いて、地面を転がった。土蜘蛛は壁に顔をぶつけている。追撃をしかけようとするが、身体に痛みが走り、立ち上がるので精一杯だった。
土蜘蛛がこちらを振り向いた。
「ふざける? 何がだ?」
「てめえに負けたなら、それは俺の力不足だ。だがな、怒りを否定するな。思いを弱いだなんて、言うんじゃねえ!」
「……不快だ、不快だ! ゴオオオオオオオオオ!」
土蜘蛛はそう言った。大きく口を開け、獣のような咆哮をあげた。
その咆哮は京士郎の動きを止めた。
頭に響く。脚が竦む。
恐い、怖い、こわい。
京士郎は恐怖に震える。
そうだ、目の前にいるのは土蜘蛛。この辺りを脅威に晒す中心。
恐れるのは当たり前だ。
しかし、もう京士郎には通用しない。
恐い。が、それは足を止める理由にならないから。
「うおおおおぉぉぉぉおおっ!」
京士郎も吠える。
土蜘蛛には大きく及ぶまい。
しかし、小さくても、土蜘蛛の咆哮を跳ね除けるだけの力があった。腹の底から湧いてくる、力が。
京士郎は刀を振りかぶる。土蜘蛛が長い虎柄の脚で突く。
刀が脚を弾いた。大きく吹き飛ばれそうになる身体を、京士郎は意地で地面に叩きつけた。
脚は幾度となく、京士郎を突いた。その度に刀を振るい、弾きかえす。
それは次第に早く、速くなっていく。
身体が悲鳴をあげるも、京士郎の目は土蜘蛛の脚を的確に捉える。
どこを狙っているのか。いつ襲ってくるのか。どう動くのか。
それを見切り、刀を重ねる。
(だけど、防戦一方はよくない)
自分の刀はどうやっても、土蜘蛛には届かない。片手を伸ばせば脚に貫かれるだろう。近づけばその顎に捕まるだろう。
あの首を刎ねれば勝ちだ。だが届かないのでは、勝ちようがない。
京士郎は大きく脚を弾き、後ろに飛んだ。
闇雲にぶつかっても、勝ち目はない。であるならば、策がなければならない。
逆転できる一手を。
「……う……」
「っ!?」
声が聞こえた。ただの音ではない。明確な意図を持った、声だった。
京士郎は耳を澄ました。わずか一瞬、目を閉じ、耳に集中した。
「きょ……う……」
聞こえる。どうしてだろう。出会ってから大して時間も経っていないはずなのに、名前なんて呼ばれたことはそんななかったはずなのに、その声はどうも耳に馴染んだものだった。
「京士郎!」
はっきり、聞こえる。
京士郎は気づけば声のする方へ、身体を走らせた。




