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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 京士郎は瞠目する。

 いままで戦ってきた蜘蛛たちはあくまで、この土蜘蛛の一部に過ぎない。

 土蜘蛛たちの群れ、ではない。群れこそが土蜘蛛なのであり、群れで一つなのだ。

 ゆえに、彼らは理解できない。同族の死を悼み、憤ることを。

 自分たちの種が生きれば、あるいは目の前の大蜘蛛さえ生き延びれば、土蜘蛛じぶんたちは生きることができるのだ。

 それを理解した京士郎は、理解する。

 目の前の土蜘蛛……鬼と語らったところで意味はなさない。ましてや口で勝つことは、おおよそできまい。

 根本として、違う存在なのだ。

 考え方が、あまりにもかけ離れているのだ。

 そして奴らは、人としての悪をよく理解している。彼らは陰気に富んでいるからだ。

 人の悪意によってできているからだ。


「理解したか? 恐怖したか?」


 土蜘蛛は……なおも、笑う。鬼の形相が歪む。

 笑っているはずなのに、怒っているように、京士郎には見えた。

 確かに、恐ろしい。まるでわからないものが、目の前に居る。明確な悪意と殺意を持って、牙を己に向けている。そのことに脚は震えるし、鼓動が早まる。

 が、しかしだ。それは京士郎に一つの決意をさせる。

 刀を強く握る。言葉が通じぬのなら、力で退かすしかない。


(これ以上、こいつに何かを食わせてはいけない、生かしてはおけない!)


 それは直感である。同時に確信でもあった。

 生かしておけば、さらに人は食われるだろう。縄張りを広げれば、増えていけば、やがて人は食い尽くされる。

 そうはさせまい。京士郎はそう思った。

 自分を育てた養父母と、志乃と、家へ快く受け入れてくれた男がいる。

 そして、土蜘蛛に食われた子どもの顔が思い浮かぶ。京士郎を見て安堵した顔、自分の死を悟った顔。彼にも親がおり、兄弟がいたかもしれない。それが一瞬にして失われた。

 この感情をなんと言えばいいかわからない。

 ただただ、京士郎は怒りに震え、刀の切っ先を土蜘蛛に向けた。


「……ほう」


 土蜘蛛は笑わなかった。

 皮肉にも、土蜘蛛の語りは京士郎の覚悟を促すこととなった。


「俺は決めたぞ」


 京士郎は言う。志乃に付き従っていただけの始まりであったが、ここにその目指すべき場所ができた。


「俺は鬼を滅ぼす。あの世へと帰れよ、てめえら。帰れないってなら、引導をくれてやる」

「……ふひっ」


 京士郎の気迫に押されたのか、土蜘蛛の笑みは引きつっていた。

 たじろぐ土蜘蛛。京士郎の一歩が、土蜘蛛を追い込む。

 そして土蜘蛛の顔が再び怒りに染まると。


「ほざきよるな、小僧!」


 そう言って、尻を持ち上げ、糸を出す。

 京士郎を狙ったものではない。ずっと後ろにある壁に張り付いた。

 すると、勢いよく京士郎目掛けて土蜘蛛が跳んだ。あらかじめ飛ばした糸を辿って、引っ張られる勢いのままに体当たりをしてきたのだ。

 京士郎はその体当たりを避ける。すれ違い様に刀を振るった。

 火花が散った。土蜘蛛の肌は鋼に等しい硬さを持っていた。

 あまりの硬さに、腕が痺れる。が、隙を見せるわけにはいかない。京士郎はすぐさま後ろを向き、刀を構えた。

 しかし、わずかに遅い。土蜘蛛は、今度は糸に頼らず突進をしてくるではないか。

 京士郎は左右に退路を見つけられず、かといって上に避けるにも、そこは土蜘蛛の子らが支配しているのだった。

 大きく開いた顎。京士郎を丸呑みせんとばかりに、牙を光らせている。

 刀を縦に構え、両手で受け止める。土蜘蛛の歯にがちり、とはまる。

 膂力に自信のあった京士郎であるが、土蜘蛛の勢いを止められず、そのまま押し込まれる。

 地面に脚をついて踏ん張る。力は拮抗しない。ぐっと壁まで追いやられる。


「くそ!」

「ふひっ、ふひっ、人ではないと言っても、混ざり物のお前ではこの程度」

「てめえ……!」


 京士郎は言い返そうとするも、少しでも力を抜けば押しつぶされることがわかるから、言葉を途中でやめた。


「思い知っただろう? お前の、同族が死んだなんて怒りも、この程度の甘いものだ」

「ふざけるな!」


 京士郎は手首を傾ける。鬼の顎から逃れた。

 飛び退いて、地面を転がった。土蜘蛛は壁に顔をぶつけている。追撃をしかけようとするが、身体に痛みが走り、立ち上がるので精一杯だった。

 土蜘蛛がこちらを振り向いた。


「ふざける? 何がだ?」

「てめえに負けたなら、それは俺の力不足だ。だがな、怒りを否定するな。思いを弱いだなんて、言うんじゃねえ!」

「……不快だ、不快だ! ゴオオオオオオオオオ!」


 土蜘蛛はそう言った。大きく口を開け、獣のような咆哮をあげた。

 その咆哮は京士郎の動きを止めた。

 頭に響く。脚がすくむ。

 恐い、怖い、こわい。

 京士郎は恐怖に震える。

 そうだ、目の前にいるのは土蜘蛛。この辺りを脅威に晒す中心。

 恐れるのは当たり前だ。

 しかし、もう京士郎には通用しない。

 恐い。が、それは足を止める理由にならないから。


「うおおおおぉぉぉぉおおっ!」


 京士郎も吠える。

 土蜘蛛には大きく及ぶまい。

 しかし、小さくても、土蜘蛛の咆哮を跳ね除けるだけの力があった。腹の底から湧いてくる、力が。

 京士郎は刀を振りかぶる。土蜘蛛が長い虎柄の脚で突く。

 刀が脚を弾いた。大きく吹き飛ばれそうになる身体を、京士郎は意地で地面に叩きつけた。

 脚は幾度となく、京士郎を突いた。その度に刀を振るい、弾きかえす。

 それは次第に早く、速くなっていく。

 身体が悲鳴をあげるも、京士郎の目は土蜘蛛の脚を的確に捉える。

 どこを狙っているのか。いつ襲ってくるのか。どう動くのか。

 それを見切り、刀を重ねる。


(だけど、防戦一方はよくない)


 自分の刀はどうやっても、土蜘蛛には届かない。片手を伸ばせば脚に貫かれるだろう。近づけばその顎に捕まるだろう。

 あの首をねれば勝ちだ。だが届かないのでは、勝ちようがない。

 京士郎は大きく脚を弾き、後ろに飛んだ。

 闇雲にぶつかっても、勝ち目はない。であるならば、策がなければならない。

 逆転できる一手を。


「……う……」

「っ!?」


 声が聞こえた。ただの音ではない。明確な意図を持った、声だった。

 京士郎は耳を澄ました。わずか一瞬、目を閉じ、耳に集中した。


「きょ……う……」


 聞こえる。どうしてだろう。出会ってから大して時間も経っていないはずなのに、名前なんて呼ばれたことはそんななかったはずなのに、その声はどうも耳に馴染んだものだった。


「京士郎!」


 はっきり、聞こえる。

 京士郎は気づけば声のする方へ、身体を走らせた。

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