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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 山の中を駆ける京士郎。

 空を飛ぶ怪僧、そして雲に追いつくわけがない。しかしそれは常人ならばの話だ。京士郎の脚は追いつくこともなかったが、開かれることもなかった。

 志乃はとうに追いつくことができなくなり、京士郎は置いて進んでいった。

 上を見上げながら、森の木々の間を避けていく。時に踏み越え、時に蹴りつけた。

 髑髏の雲は逃げるように飛んでいくが、吊るした怪僧から滴る白い血液が地面に落ち、跡となって進んだ道を示していた。

 そうして、辿り着いたのは。


「ここか」


 山奥にあったのは大きな洞窟だった。

 その洞窟からは暗い気配がした。明かりがないからではない。

 陰気、というものはきっとこのことを言うのだろうと、京士郎は察した。この、生きるものの脚を竦ませる空気こそが陰気なのだ。

 洞窟の中に入っていく。溜まっている陰気に、京士郎はむせ返りそうになる。

 しかし足を止めるわけにもいかない。前を見据えて進んだ。

 暗闇が濃くなっていく。京士郎の目は、それでもしっかり洞窟の中を映していた。

 昔から、夜闇であっても、日中より遥かに見えないものの、ものをしっかりと目で捉えることができた京士郎にとって、洞窟にいることはさほどの不利にはならなかった。

 ゆっくりと足を進める。どこかからか水の滴る音が聞こえる。足元にも気を配りながら、先に何があるかと目を向けるのも忘れない。

 カサカサ、と気配がする。見上げるとそこには、山で襲ってきた子どもほどの大きさの蜘蛛がいた。

 それも一匹や二匹ではない。天井を覆いつくさんばかりの数であった。

 京士郎は刀に手をかけるも、抜くことはなかった。蜘蛛たちが一向に襲ってくる気配がなかったからだ。

 さらにしばらく歩けば、京士郎はその目であるものを捉えた。

 それは五つか六つかの子どもだった。京士郎は驚き、声をかける。


「おい、お前、なんでこんなところにいる?」

「おにいさん?」


 子どもはそう言うと、泣きそうな顔を浮かべる。

 よほど恐かったのだろう。自分を見て安心したようにも見えた。

 確か、泊めてくれた家主の男は、村の子も攫われたことがあったと言っていた。ならばこの子もそうなのだろうと京士郎は思った。

 頭上の蜘蛛たちが何かするのではないかと思いながら、京士郎は恐る恐る近づいた。

 あと少し、手を伸ばそうとしたそのときだった。


「えっ!?」

「おいっ!」


 子どもは突然、前のめりの倒れこんだのだ。それは言うなら、足を引っ張られたかのようだった。

 京士郎の目は子どもの足に何かが巻きついているのが見えた。それが蜘蛛の糸であることは見間違いはなかった。

 悲鳴をあげて、子どもは洞窟の奥へと引っ張られていく。地面の凹凸であちこちに傷ができ、血の跡が残っている。

 京士郎は子どもを追いかけるべく走り出したが、そのときを見計らっていたかのように天井で張り付いていた蜘蛛たちが降ってくる。


「くそっ、そこをどけ!」


 京士郎は刀を抜き、蜘蛛たちを斬った。奇声をあげて散っていく蜘蛛たち。京士郎は構わず刀を振るう。

 斬って、捨てて前へと進んで行く。わずかな隙を見出しては、そこへ踏み込んでいった。

 そして一団を抜けて、あとさき構わず走り出す。

 後ろから追ってくる蜘蛛。加えて、前からも降ってくる。

 京士郎はその蜘蛛たちの多くを避け、どうしても避けられぬものだけを切り捨てた。

 進んで行くと、嫌な音が聞こえた。聞き覚えのある、しかし聞きたくない音。

 奥には大きな蜘蛛がいた。確かに、いままで斬ってきた蜘蛛も子どもほどの大きさであったが、目の前の()()()は違う。

 その大きさは岩ほどもあった。顔は人であるが、大きな二本の角が額から生えている。八本生えている足は虎柄の毛が生えていた。

 口には、先ほどの子どもが咥えられている。


「おに……さ……」


 切れ切れに、子どもはそう口にする。

 京士郎が呆気に取られている間に、巨大な蜘蛛は子を飲み込んで見せた。その動きは人を食べるのに慣れていることを伺わせた。

 蜘蛛の口から、赤い血が滴る。もはや助けることはできないだろう。京士郎は歯を食いしばった。


「お前……!」

「ふ、ふひひひ、なんだ、おかしな臭いがすると思ったらお前か、蛇よ。いや、違うな。それにしては人の臭いが濃い」

「何を言っている!?」

「怒るな怒るな。何を怒っているのかわからぬなあ」

「怒るな、だと? お前、同じ人が食われて怒りを覚えない者がいるものか!」


 京士郎はそう言って、刀を構えた。

 目の前の異形こそ、この土蜘蛛たちのおかしらだろう。その存在感たるや、圧倒的なものであった。

 怒りに染まりながらも、京士郎は冷静であるように努めていた。


「同じ人? お前、あれを自分と同じと考えているのか?」

「そうだ! 同じ人の父と母を持つ、人の子だ!」

「んん? ああ、そうか、そういうことか! お前は勘違いをしている! そして儂も! なるほど、お前は確かに人の子だが、人ではない! はっはっは!」


 その蜘蛛は嗤った。嘲笑った。京士郎のことを。

 いよいよ京士郎は怒りに任せ、刀を振るった。土蜘蛛はその巨体に見合わない早さで跳び、刀を避けた。

 天井に張り付いた土蜘蛛。京士郎を見下みくだすようにして見る。


「俺は人だ!」

「滑稽だなぁ! 滑稽だなぁ! まあいい。お前は自分を人と思ってるなら、それで。して、お前はどうしていきどおる? 同種であるからか?」

「なに……?」

「儂は飯を食っただけじゃ。人は獣を食う、ならば儂が人を食うても変わらぬだろう?」

「それは!」


 京士郎は上手く言い返すことができない。

 だが、人が獣を食すのと、鬼が人を食うのは、まったく違うことのように思うのだ。


「答えられぬか? そうだろう、そうだろう! それは真理! 決して変えれぬもの!」

「くっ……」

「ほれ、危ないぞ!」


 土蜘蛛は尾を京士郎へと向けた。そこから勢いよく、白い糸が吐き出される。

 京士郎は大きく後ろへ飛び退いた。その先にも蜘蛛たちがいて、襲いかかってきた。京士郎はそれらを斬って、己の足場を作る。


「ふひ、ふひひひ」

「何がおかしい!」

「おかしいだろう? 笑えてくるだろう?」

「……お前とて、この蜘蛛どもを殺され、何も思わないのか!」

「思わんよ」

「なに!?」


 蜘蛛は笑う。お前は馬鹿だ、と。


「儂こそがお前ら人の言う土蜘蛛だ。お前が斬っているそいつらも、儂だ。そして傷ついたものは捨てれば良い。そんな単純なことが、なぜわからぬ?」

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