拾漆
8/16 20時に第101部を更新しています。
再び、那須へと戻って来る。ときはすでに夕刻。日は傾いていた。
荒れた山に一人たたずむ女、玉藻を見て、京士郎はどうしてか懐かしい気持ちになった。
それほど時は経ってないはずだが、多くのことがありすぎた。他人の生を一つ聞かされ、そして新たな命と立ち会った。これほど濃い一日はいままでなかっただろう。
「なんだ、私の顔を見て。見惚れたか?」
「そんなまさか」
「それはそれで失礼だぞ! 見よ、この顔! この胸! 魅力であろ! そうであろ!」
そう言ってやたらとあちこちを主張してくる。京士郎はあまり、そういった部分について魅力を感じない質だった。
近づいていくと、玉藻も落ち着いたようで、ふんと鼻を鳴らして余所を向いた。拗ねているようだった。
「それで……ふうん、随分いい面構えになった。いい子からいい男になった。この差は大きいぞ。どうだ、使命を果たした末は私の元に来ないか」
思わず、苦笑。京士郎は首を横に振った。
「悪いな。ここから動けるようになったら、また言ってくれ」
「これは意地でもどうにかせねばなるまいな? 女を本気にさせると恐いぞ?」
くくく、と嫌な笑みを玉藻は浮かべた。この女なら、本当にやりかねないと京士郎は思った。
例えば石ごと浮かせてついてくるとか。もしかすると分裂して京士郎を囲むなどもやりかねない。
冗談で言うのはよそう、と京士郎は決めた。少なくとも通じない相手かは見極めようとも。
「……ありがとな」
「なに?」
「お前のおかげで、白路と真緒に出会えた」
京士郎がそう言うと、玉藻はきょとんとした。
そして次には、大笑いをはじめた。その笑い声は四方に届いていた。
「なにがおかしい」
「いやあ、愉快だ愉快だ。三千世界をめぐってもお前より鈍感なやつはいないだろう。とっくのとうに、お前は知っているというのに」
「は?」
「ああ、滑稽だ。許す。むしろ許す」
玉藻はそう言うと、扇子を開いて口元を扇いだ。
言っている意味はまるでわからなかったが、馬鹿にされたことだけはわかった。
「ふむ。まあ、よい。認めよう。お前はお前の使命を果たすべきだ。そしてそのために、私が手を貸すのもやぶさかではない」
そう言うと玉藻は、自分の座っている岩に拳を叩き込んだ。轟音が響く。京士郎は呆気にとられてそれを見ていた。
ぱら、と剥がれた石を拾って、それにふっと息を吹き込んだ。そしてそれを京士郎に投げて寄越す。
受け取った京士郎は、その石に宿る恐ろしい気配を悟る。込められた力は鬼の一体に相当するものだろう。
こんなものをやすやすと作ってみせる玉藻の力の底知れなさ。目の前の存在の大きさを、改めて意識した。
「ほれ、くれてやる。そいつがお前の望んでいたものだ」
「殺生石か」
「いかにも。死を知ることで生を知る。私の力の、ほんの一部が込められし石だ。お前が生ある者である限り、私の力がお前を死から守るであろう」
胸を張って、玉藻は言った。京士郎はその石を眺める。
これで揃えるべき神器が揃った。打出の小槌、浅間の髪飾り、殺生石、そして顕明連。この四つこそが、黄泉へと渡るための道具だ。
「ああ、だが、一つ忠告だ。それらはただ持っていればいいのではない。黄泉の力を防ぐには、お前の意思の強さが問われる」
「意思の強さ?」
「通行のための手形だとでも思ったか? 本来、黄泉は誰であっても行ける場所だ。だがそのためには並々ならぬ苦しみが伴うだろう。古き英雄どもが己の欲や栄誉のために潜ったように。古の神々が己の願いを果たそうと行ったように」
けれども、と玉藻は言った。
「いまの時代において、死の国はその重さを増している。負荷がかかりすぎた。故に、それらの道具が必要になるときがくる。適したときに、適した使い方をすれば、必ずお前は帰ってこれる。肝に銘じておけ。ただで生きられると思うな。生きようと思え」
京士郎は頷いた。忘れないようにしなければならない。自分はただ生きることもできる。でも、生きようとするのは難しいことなのだと。
人は、命は、簡単に失われる。忘れてはならない。生きようとすることを。
「ありがとう。これで俺は行ける」
京士郎は改めて礼を言った。玉藻はしっしっと手を払う。
「さっさと行くがよい。振り向かぬ男と向き合うのは嫌なのだ」
「帰ってきたとして、俺はお前になびくかは知らん」
「ほう、帰ってくるのならまだ目がありそうだ」
玉藻はにやりと笑った。色香を漂わせる。あまり長居すると当てられてしまうだろう。京士郎は早々にここを去るのが吉だと思った。
空を見上げた。旅の終わりは近い。暗くなっていく空にすばるとゆふづつが輝いていた。




