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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第八章 早来ませ君 待たば苦しも
100/109

拾伍

8/15 17:30に第99部を更新しております。

 京士郎が走っていくと、婆の家から女たちが出て行っていた。その顔は一様に晴れやかであって、こちらの戦いもほぼ同時に終わったのだと知った。

 少し土埃をかぶっている京士郎を見て、何事かと女たちは見てきたが、笑って大丈夫だと言うと追求もそれまでだった。

 そのまま押し入るように婆の家へと飛び込んだ。

 中には白路がいた。彼は京士郎を見ると、立ち上がって近づいてきた。


「京士郎! いや、なんというか、そのだな……よく帰ってきたな」

「思ったよりずっと弱かった。あの程度、どうってことはない」

「鬼をどうってことがない、なんて言えるのは、世は広しと言えどお前くらいだろうな」


 白路は少し驚きながらも、そう言った。

 事実として、京士郎の敵ではない相手だった。時間だけがやたらとかかったが、時間稼ぎをするまでもない。


「ところでどうだ? 女たちが出ていくのを見たが」


 京士郎が問いかける。白路は笑うと、奥へと導いた。

 奥にいたのは産婆と真緒。そして真緒の腕には、小さな赤子が抱かれていた。

 京士郎はその赤子を見て、どうしてか目のしたが熱くなるのを感じた。


「もしかして、その子が」

「ええ、京士郎。私と白路の子よ」


 真緒は笑顔だった。苦しい戦いだったろうに、まだ体力は戻ってないだろうに、笑っていた。

 京士郎は真緒の側まで近づいて、赤子を見つめた。寝ているようで目を閉じている。


「男か、女か」

「女の子よ」


 ね、と真緒は赤子の頭を撫でた。京士郎は、そうか、と口に出していた。とりわけ、男女の別など問題ではない。でも聞きたいことがたくさんあった。でもすべてを聞くことは憚られた。いまは新しい命の誕生を心から喜びたかった。


「不思議な気持ち」


 真緒が漏らすように言った。京士郎は顔をあげる。


「私、不安だったの」

「きちんと産めるかか? それとも母になれるかか?」

「ううん、私ね、白路のことをとっても愛してるの。これ以上ないというくらい、愛してるわ。でも、もし子どもができたとき、私はどちらを愛せばいいのかと思ったの。こんなに白路のことを愛しているのに、他に誰かを愛せるのかなって」


 でもね、と真緒は言う。


「愛が生まれてきたの! 子どもと一緒に愛が生まれてきたのよ」

「生まれてきた……」


 なんとなく、わかるような気がした。

 愛というのは何かをすることではない。ただその人と共にありたいと思うことだ。子が生まれると、自然と子とも一緒にいたいと、思えるようになれるということなのだろうか。そんな気がした。


「この子にはきっと、これからたくさんの苦難が待っているのだわ。私には家はないし、白路もそう。これからどうすればいいのか、わからないの。でも乗り越えられる。こんなにも愛があるのだもの、やってみせるわ」


 真緒はそう言った。悲痛でありながら、暖かい覚悟だった。京士郎はその覚悟を本物だと思った。

 白路もまた京士郎の隣に並ぶ。赤子の手をとった。


「そうだな。俺もそう思う。ここからもう一回、出発しなければならない。真緒にも、この子にも、多くの苦難を強いる。でも乗り越えなきゃだ。この子にいい未来を残すために」


 白路が言った。京士郎は、白路と真緒の二人が羨ましく思えた。

 まさしく二人が勝ち取った幸せだった。いくつもの不幸があり、偶然があった。その先に得た幸せ。これから先に苦があると知りながら、地に足をつけて考えていく。

 京士郎はそれを得ることはできなかった。でも、二人を見ていれば、それでいいような気さえした。


「この子の名はもう決めたのか?」


 京士郎が尋ねると、二人は意味ありげに顔を見合わせた。


「お前が決めてくれ、京士郎」

「……え?」

「いっぱい考えてたけれど、それがいいと思うの。お願い、京士郎。貴方もこの子の大切な人なのよ」


 京士郎は急なことで戸惑う。


「俺でいいのか」

「いいんだ。いいや、お前がいい。これから先、また子を作っても、お前がいてくれたからこそ生まれた子はこの子なんだ。お前も親の一人なんだぞ」


 そう言われると、京士郎は思わず泣きたくなった。けれども名をつけるという大任がある。

 名など考えたこともなかった。そもそも、他人の名を呼ぶことなどほとんどなかったのだから。

 けれども、どうしてだろう。この赤子の顔を見ていると、もうすでに名前が決まっているような気がしたのだ。

 京士郎は子に両手を伸ばした。真緒は京士郎に赤子を渡す。

 赤子を抱えて、京士郎は唱えた。その名を。自分の裡から溢れてしまった、名を。


「この子の名前は……『しの』だ」

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