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かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第二章 たなびく山を こえて来にけり
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 男の家は、京士郎のよく見慣れたものであった。

 こうしたところは変わり映えしないのか、と心の中でごちる。

 中に通され、京士郎と志乃は囲炉裏を囲んで座った。


「いやいや、それにしても京から来た人を客人として迎えることになることがあるなんてな」


 男はそう言って、人懐っこい笑みを浮かべた。

 京士郎は、養父母を除けばこのような笑みを向けられたことはなく、少し戸惑ってしまう。


行脚あんぎゃか、そうでなければ旅行か。それにしても鬼や賊が蔓延はびこるこの時世にやることじゃあないな」


 ははは、と笑う男。志乃は少しムッとして、言った。


「私たちは、その鬼をどうにかするべく動いているのです」

「へえ? 確かに、雲がどうとか言っていたが、それも鬼に関わることかい?」

「ここへ来る最中、ある鬼の一団に襲われました。蜘蛛の形をしており、幾つも襲いかかってきました」

「そいつは……」


 男は笑みを消した。そして少しばかり沈痛な面持ちを浮かべて、目を伏せる。

 その様子を見て、京士郎は志乃を見た。志乃もまた察したようで、男へと居直る。

 顔を上げた男。口を開いた。


「それは、ご苦労なことだった。そいつらはここいらの山に棲む大妖怪、土蜘蛛だ」

「土蜘蛛? それは神武の治世に行われた東征で討たれた者たちの名では」

「そうなのか? それは知らないが、土から湧いて出てくる蜘蛛どもをこの村の者はそう呼んでいる。やつらは山の深くへ踏み入った村の者や子、旅人を食っていやがるんだ。ついこの間も一人、いなくなっちまった。土の中から出てくるから来るから、どこを住処にしてるかわかりもしない。いつだか兵士たちが討伐に行ったはいいものの、見事に返り討ちにあった。以来、奴らは関を閉じて籠っていやがる」

「なるほどな、それで関所が閉まっていたのか」


 京士郎はそこで合点がいった。

 確かに、あれほどの数に襲われ、その大元がどこにあるのかもわからないとなれば、打つ手はない。

 そして同時に、京士郎は土蜘蛛について考えを巡らせた。


「奇妙だな。奴らは村には現れないのか。こう言っちゃなんだが、奴らからしてみれば、村なんてものは絶好の餌場だろう」

「確かに、言われてみれば……。上から見たところ、この村は土蜘蛛に襲われてる様子がなかったわね」

「ああ。山にさえ入らなければ奴らは襲ってくることはない。山を侵してくる者を襲うからだとか、火や水が苦手なんだとか言ってるやつもいるが、理由はわからなんなあ」


 ふうん、と京士郎は唸った。それがわかればいくらか手がかりになるのだが、と思ったが、わからないのであれば仕方ない。


「それで、お前さんたちが言う鬼をどうにかするっていうのは何なんだい?」

「詳しいことは伏せさせていただきます……精山、という名の僧をご存知ではないでしょうか。私たちは彼を探しているのです」

「聞いたことないな」

「京では名のある高僧ではありましたが……。では、この辺りに寺院などは? もしかすると、訪れているかも」

「いいや、ここには寺はないが……ああでも」

「でも?」


 男は口を濁らせる。志乃は身を乗り出して、続きを促した。

 渋々といった様子で、男は続きを語り始める。


「ここ最近、奇妙な僧がいるんだ。名はわからんが」

「どのような見た目かはわかりますか?」

「上等な袈裟に、六……いや、七尺(※2.1メートル)も背丈があったな」

「七尺!?」


 背丈の高いと言われる京士郎でさえ、六尺もない程度である。

 七尺と言えば大男も大男。顔を見るならば、見上げるというのが適切だろう。

 未だ見ぬその怪僧に、京士郎は少し興味を惹かれた。


「それは精山様ではありません。が、何か知っておられるかもしれませんね」


 志乃はそう言って頷いた。


「坊主ってのは、こんな村にもいるもんなんだな」

「ええ。京の都におられる方々も格式高く、由緒ある修験を積んでおられるけど、人里から離れて暮らす方も多いわ。全国を行脚する方もいるし。どれもこれも、欲から脱するための手法に過ぎないけれどもね。それぞれやり方があるのよ」

「ふうん」


 天狗からいくらか坊主について、ひいては仏の教えというものを教えられたことがある。が、京士郎には理解ができず、天狗もまたその教えに必ずしも従う必要はないと言っていた。

 そもそも、性についてはいざ知らず、食うことや寝ることはもっともっと、根にあるものであり、それを否定することがよくわからなかったのだ。

 そこで、京士郎はふと、いつか天狗が言ってたことを思い出す。


「色恋からも離れるとは聞いたが、”だんしょく”とやらはやるみたいじゃないか。それはなんなんだ?」

「へ、だ、”だんしょく”って! ちょっと、誰から聞いたのよそんなこと!」


 ”だんしょく”、と言った瞬間に、志乃は突然憤ってみせた。京士郎は志乃が怒っている理由がわからないし、ましてや”だんしょく”という言葉の意味もわかっていない。

 顔を真っ赤にする志乃。京士郎と家主の男はわけもわからず、首を傾げている。


「何だ、疚しいことなのか?」

「あ、あのね、あの……」


 志乃は言葉がまとまらないようで、あわあわと口を開いたり閉じたりしている。

 そして落ち着くと、ため息をついて、そっと京士郎に耳打ちをする。

 志乃の言葉を聞いた京士郎は、驚いた顔を浮かべて、志乃を見た。


「……坊主ってのはそんなことをするのか? 男同士で、あれを」

「ああああ! 馬鹿! 口にするな馬鹿!」

「誰が馬鹿だ! だいたい、口したのはお前だろうが!」

「仕方ないでしょ! どう説明すればいいって言うのよ! それに、その、貴族にだって」

「お前の主人もするのか!?」

「知るわけないでしょ!? あくまで一般の話よ!? それに、私の主人はあくまで姫様なの!」


 ぜえぜえと肩で息をする志乃。京士郎は、この話題を深く掘り下げるのは止そうと決めた。

 二人のやり取りを見ていた男は、ははは、と笑う。


「二人は仲がいいな」

『どこが!』


 京士郎と志乃の言葉が重なる。

 当然として、二人の間に仲と呼べるものない。ただお互いの利益が一致しただけの関係である。

 むしろ、二人は互いの反りが合わないことを薄々と感じてすらいた。が、京士郎にとって他者というものは興味深いものになっていて、今はまだ、志乃とともに居た方がいいと思っていたのだった。

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