6
全く考えが及ばなかったことだが、まるで今の流れでは、エドガルドはアドリアーナにフラれた、と認識していることになる。
確かに一方的に話を進めたが、それはエドガルドには彼女に気持ちがないので、これ以上アドリアーナが未練を引き摺ったりしないように、と一方的に決着をつけたつもりだった。
違うのだろうか?
アドリアーナは周囲を見渡し、エドガルドが向かった方へと足を進める。
普段は彼の方が、アドリアーナの後ろを歩くことが多いので気づかなかったが、随分と歩幅が違うのだろう、エドガルドの背中はいつの間にかかなり遠くにあった。
慌てて追うが、いつもよりも布量の多いドレスやヒールの高い靴に苦戦する。
ようやく追いついたのは屋敷の庭に面した一角で、人気がなかった。柱にまるで身を隠すように立つエドガルドを不思議に思いながら、アドリアーナはそっと声をかけた。
「エド」
「……お嬢さん」
アドリアーナを見て、エドガルドはもの言いたげに目を細める。
誰かが近づいてくることは分かっていたが、彼女だとは思っていなかったのか少し困ったようだ。
「?何見てるの、誰かいるの……?」
「静かに」
唇に人差し指をたてて、存外真剣な顔で彼が言う。
アドリアーナはその様子に驚いたが、黙って首肯した。エドガルドがそんなことを言うには、必ず訳があるのだろう。
彼は主を元のホールに戻らせたかったようだが、彼女はエドガルドに倣って柱の隅に小さくなる。
そして、彼の視線を追った先で、会話が耳に入ってきた。
「本当、あのお嬢様はチョロかったな」
アンガスの声だ。
それを判断したアドリアーナは、咄嗟にドレスの隠しの中で拳を握る。
何故なら、この音は知っている。人を馬鹿にしている時の声だ。
不思議なことに、人を馬鹿にしている時の声は音で分かる。皆同じく嘲笑の響きを持っているから。
エドガルドが目線で下がるように言ってきたが、アドリアーナは首を横に振った。この音を聞いてしまった以上、最後まで聞かずにはいられない。
柱の陰に隠れて窺うと庭に向かって開かれた大窓、そのテラス部分に設置されたベンチにそれぞれ座って、アンガスと彼の友人達が酒杯片手に話していた。
「とりあえずもう一回、無事にアドリアーナお嬢様との婚約成立おめでとー!」
カチン!とグラスを重ねて乾杯が行われる。
「話戻すけど、上手くやったなアンガス」
「本当に。こんな立派な家の娘と婚約なんて、大出世じゃないか!」
「いや、ここは彼女の母親の実家。まぁ伯爵家も結構な規模だけどな」
グラスに口をつけながら、アンガスが笑いもせずに言った。その初めて見る冷たい表情に、アドリアーナは不安になる。
「いいじゃん、俺達の仕事に融資してもらえそう?」
「……まぁ、アドリアーナは単純だしな。俺が頼めば金ぐらい出してくれるだろう」
単純な自覚のある彼女だが、明らかな嘲りの言葉に目を丸くする。エドガルドは飛び出そうとしたが、アドリアーナがそれを止めた。
「これで金の心配はいらないな、馬鹿で初心なアドリアーナ様々だ」
男の一人がそう言って、また大きく笑う。
アドリアーナが震えると、エドガルドは顔を顰めて彼女の肩をそっと叩いた。
気遣いの滲む仕草に、彼女は感謝して目を伏せる。
二人が息を顰める中、アンガス達の話は更に盛り上がりを見せていた。
「それにしてもアンガス、レイラはどうするんだよ?」
「レイラって?」
「アンガスの恋人。ほら、酒場の歌姫」
「ああーあの色っぽい女か」
下卑た笑いがおき、アンガスが皮肉っぽく唇を歪める。
「勿論レイラとの関係も続けるさ。アドリアーナお嬢様にはコネと金を期待しているがコッチの方は期待出来そうにないんでね」
何かジェスチャーをし、どっと場が湧いたが、アドリアーナには意味が分からなかった。しかし、エドアルドが低く唸ったので何かとてもよくない意味だったのだろう、と当たりをつける。
さらに、アンガスは興が乗ってきたのか言葉を重ねた。
「せいぜいアドリアーナお嬢様と伯爵家には、俺の役にたってもらうさ。その為にあの冴えない子供を口説き落としたんだから」
途端、エドガルドが柱の陰から飛び出し、弾丸のように真っ直ぐ駆け抜け、大きく振りかぶってアンガスの頬を力いっぱい殴りつけた。
ドゴッと骨のぶつかり合う音がして、完全にふいを突かれたアンガスの体が吹っ飛ぶ。
「エド!!」
アドリアーナは制止する為に叫んだが、エドガルドは止まることなく追いかけアンガスの胸倉を掴み上げた。
「なんだ、お前……!?」
アンガスが痛みに呻きながら言うと、彼は腕を振ってエドガルドから体を離させる。軽く数歩下がったエドガルドだが、アンガスの方から殴りかかってきたものだから容赦なく攻撃を避けて今度は腹を蹴る。
「相手は素人よ!!」
アドリアーナが鋭く言うと、ようやくエドガルドは止まった。
「おい!なんなんだよ、お前!」
アンガスの周囲にいた男が怒鳴るが、エドガルドは冷たい目で彼らを睥睨する。
「五月蠅い。お前たちが、お嬢さんのことを語るな」
聞いたことがないぐらい低い声に、アドリアーナは震え、男達は直接向けられた殺気に怯えた。
そこに騒ぎを聞きつけて、屋敷の使用人や侯爵がやってくる。
「何事だ!!」
「アドリアーナ、大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
一番手前で呆然としているアドリアーナを見つけて、ペルメル侯爵が彼女の肩を抱いた。顔を上げた彼女は顔は真っ青だったが、視線だけは強い。
「伯父様」
「ペ、ペルメル侯爵!その男を捕らえてください、俺に突然暴行してきたんです!!」
アンガスが皆に聞こえるように叫んだ。
なんだなんだ、とホールにいた人達が流れてきて、すぐに人だかりが出来た。大騒ぎになってしまったことにアドリアーナが更に青褪めていると、すぐ傍にベルタが来て彼女を支えてくれる。
「お嬢様」
「……ベルタ!エドが、アンガス様を」
状況を素早く確認したベルタは、落ち着いた様子で頷く。
「アンガス様がお嬢様に狼藉でも?もしくは侮辱するようなことを仰ったのでしょうか」
「正解。どうして分かるの?」
ぽかん、とアドリアーナは口を開くと、それを閉じさせてベルタはしたり顔で頷いた。
「それぐらい見当がつきますよ。エドガルド様が怒るのは、いつもお嬢様絡みのことですもの」
「……へ、へぇ……?」
そんな状況ではない、と分かっているのに、アドリアーナの頬にじわじわと朱が登る。
その間にも、アンガスと友人達、そしてエドガルドを囲んで人だかりは大騒ぎに発展していた。ペルメル侯爵は互いの意見を聞こうとするが、エドガルドは口を噤んだままだ。
「なんで何も言わないの、エド……!」
「下手に発言すれば、お嬢様に不名誉な噂が流れると思っているのでは?」
ベルタに言われて、なるほど、と頷いた。
ハラハラとしつつ蚊帳の外に置かれてしまったアドリアーナは、なんとか介入出来ないかと状況を窺う。真実を知っているのは元からこの場にいた者だけ、だがアドリアーナが無策にエドガルドを庇えば、アドリアーナの命令で彼が暴力を振るっただけ、という流れに行きかねない。
そんなことは絶対にさせない、と彼女は唇を強く噛んだ。
アドリアーナは、これでも生粋の貴族令嬢だ。自分の使いどころは心得ている。
彼女はまた、ドレスの隠しの中で拳を握った。
「……ベルタ、私今からとんでもないことをするわ。あなたは離れていた方がいいと思う」
ベルタは今後も侍女としての立場がある。アドリアーナ付きの侍女からは解任されていた方がまだマシだろう。
そう考えての発言だったが、ベルタはにんまりと笑ってぴったりと身を寄せてきた。
「ベルタ!」
「そんな面白そうなこと、砂被り席で見たいに決まってます」
腹心の侍女の、趣味の悪い発言にアドリアーナは肩を竦めて笑った。それからそろそろと輪の中に入り、どんどん中心に向かう。
ベルタの誘導は見事で、彼女はあっという間にエドガルドやアンガスのいる渦中にまで来れた。
「OK。素敵なショーを見せてあげるわ」
アドリアーナは腕を振り上げ、目の前で驚いた顔をする相手の頬を思いっきり殴った。




