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 数日後。

 フォルガム男爵家の三男、アンガス・カーベル卿が、アドリアーナの父に彼女への求婚の許しを得る為にシェラトン伯爵家へとやってきた。


 アドリアーナは彼を知らなかったし、例えば夜会で挨拶を交わしたりダンスを踊ったり、もしくは昼間の公園を一緒に散歩してからこういった打診は来るものだと思っていたので、とても驚いた。

 昨日彼女が待っていたのは、求婚の前段階のそういった所謂デートの誘いだったのだ。


 父と並んでソファに座りながら、彼女は失礼にならない程度にこっそりとアンガスを観察する。

 金の髪に、青い瞳、整った顔立ちに、学生時代はスポーツをやっていたという逞しい体躯。今は家の支援で立ち上げた商売をしていて、軌道に乗りそうなところなので自身の身を固めたい、という気持ちになり、アドリアーナに求婚したいのだという。


 こんな美味い話があるだろうか!?


 フォルガム男爵家とは関係のない商売だというのならば、アンガスに婿に入ってもらい、アドリアーナが領地経営を続ける傍ら彼の仕事を手伝うことも出来る。

 爵位を継ぐ兄がいるにもかかわらず彼女が婿を取りたいのは、これからも父と兄を助けて領地経営を続けていきたいからだ。

 もしもアンガスが爵位を得ることを目的に妻を探しているのならば、アドリアーナには声は掛けないだろう。


「シェラトン伯爵、この度は急な申し出にもかかわらずお時間をいただいてありがとうございます」

 アンガスは綺麗な姿勢で挨拶をし、自然にアドリアーナの方を見て微笑む。


 娘を溺愛している父伯爵は難しい顔をしていたが、アドリアーナが早く結婚したがっているのも知っているからだろう、アンガスに求婚の許可を与えた。

 保護者に許可を得たとて、実際に求婚に応えるかどうかはアドリアーナに任されている。今すぐにでもYESと言いたいところを、ぐっと耐えて彼女は慎ましく微笑んでみせた。


 やがて話が落ち着くと、流れでアドリアーナはアンガスに庭を案内することとなった。

 父としては、どこか粗を探して断わりたい気持ちがあったのだが、アンガス・カーベルはざっと調べさせたところ、まだ駆け出しであることを除けば非の打ちどころのない青年実業家だったのだ。

 ちらりとアドリアーナが後ろを確認すると、ベルタとエドガルドが少し離れたところから付いてくる。ベルタはいけ!そこだ!という目配せをしてくるものだから、喧しい。

「アドリアーナ嬢?」

「あ、はい」

 アンガスに声を掛けられて、彼女は慌てて笑顔を作った。

 背の高い彼は、アドリアーナに合わせてゆっくりと歩いてくれる。エスコートの所作も完璧で、彼女は感心した。

「見事な庭ですね、さすが伯爵邸です」

「いえ、そんなことは……ただ、庭師がとても熱心に取り組んでくれていて、領地に滅多に帰ることの叶わない父や兄の為に、領地特有の木や花も植えてあるんです。王都では育ちにくいものなのに、本当によくやってくれています」

 アドリアーナが誇らし気に言うと、アンガスは彼女の横顔を見て優しく微笑んだ。

「素晴らしいですね」

「そうでしょう!?アンガス様、ウールブという花はご存知ですか?伯爵領では幸福を運んでくるとされる花で、今はまだ蕾なのですが……」

「庭師と庭もですが、何よりアドリアーナ様が」

「え……」

 いつの間にか歩みが止まっていて、アンガスに正面から見つめられる。アドリアーナは彼を見上げて、呆けた。


「一度もお話したこともないのに、求婚に来たものですから、驚かせてしまったことでしょう」

「……ええ、それはまぁ……」

 アドリアーナは視線をあちこちに彷徨わせる。美丈夫を正面から見るのは非常に照れ臭かったのだ。

「アドリアーナ嬢はご存知なくても、俺は一方的にあなたを知っていたんです。伯爵領をここ数年恙無く治めている才女として」

「……それは、家令の助けがあるからこそです」

「先程もそうでしたが、自分の手柄にするのではなく庭師や家令を讃える奥ゆかしさも、本当に素晴らしい」

「い、いえ……」

 アンガスに手放しで褒められて、アドリアーナはそわそわと指を動かした。ドレスの裾に無意味に触れてみたりと忙しない。

 偉大な父、優秀な兄の元で育った彼女は自分が優秀だという自覚が薄く、褒められ慣れていないのだ。もじもじと恥じらうアドリアーナを微笑まし気に眺めて、アンガスはその場に跪く。


 それを見て、離れた場所で待機していたエドガルドはハッとした。ベルタはぐっと拳を握る。


「アドリアーナ嬢。性急に事を進めたのは、あなたを他の男に取られたくなかったからです。せっかちな男だと思われるかもしれませんが……あなたを俺の妻にしたい。結婚してください」


 さぁ、と風が吹き、春の花がはらはらと花弁を溢していく。

 美しい庭で、美しい青年に跪かれて求婚されている。






 そんな美味い話があるだろうか!!??


「ハッ!夢……!?」

 アドリアーナの執務室にて、一心不乱に書き損じ書類を小さく切ってメモ帳のに加工していた彼女は、突然天啓を受けたかのように叫んだ。

「……え、ここどこ?本当に夢だったの……?」

 両手に紙の束を持って、彼女は目を白黒させる。これはあまりにも現実的すぎる。裏紙でメモ帳作成。

「……夢ならお嬢さんは夢遊病ですね」

 エドガルドが胡乱な眼差しを壁際から送ってくる。仮にもアドリアーナは主家の令嬢なのだが、ちょっと視線が痛すぎた。

「えっと……アンガス様は実在してる?」

「そこからですかい」

 エドガルドは唇はひくつかせる。

 颯爽と登場したベルタが、主からメモ帳を奪い取り、テキパキとお茶を用意してカップをサーブした。

「濃いめに淹れておきました。目を覚まされますよう」

「うん!それで、私、アンガス様に何か失礼なこと言ってなかった?」

 ぐっ!と適度な温度で淹れられたハーブティを飲み干して、アドリアーナは決意に満ちた表情で腹心の侍女を見遣った。気分はさながら戦場の指揮官である。

 ベルタはきびきびとした動作で腰を折った。

「問題ありません、いつもの外面完璧なご様子で、急な申し出なので時間をください、という大正解をお伝えしておられました」

「無意識の私えらい!」

 アドリアーナは過去の己に喝采をあげた。


 正直、アドリアーナは今すぐ結婚したいのだ。


 けれど、勿論今日が初対面の彼に対してそんなことを言うのは尻が軽いと思われても仕方がない状態だ。

 最適解は、知り合う時間が欲しいと伝え、昼間のデートや夜会での逢瀬を重ねた後に満を持してYESと返事すること。


「でも、本当にこんな美味い話ある?何かの陰謀じゃないかしら……私と結婚するメリットなんてある?」

 両手で顔を覆って、アドリアーナはうんうん唸る。

 自己評価が低いのは、周囲が優秀すぎた弊害である。

「アンガス様の仕事の方でも、サポートを期待している、と仰ってましたが」

「領地経営の腕が買われている……!やはり仕事は裏切らない」

「……ですかねぇ」

 エドガルドが奇妙な顔をして相槌を打つと、ベルタはくるりと彼の方を向いた。

「なんです、エドガルド様。お嬢様に求婚者が現れて焦っているんですか?競合相手に名乗りをあげますか?今ならまだ間に合いますよ」

「私、モテ期到来!?」

 アドリアーナは頬に手を添えて乙女っぽいポーズをとってみるが、エドガルドはゆるく首を横に振った。

「ちょっと待って、オジサンにはそのノリついていけませんから……」

「まー!本当にノリの悪い男ね!そんなんじゃ、私、結婚しちゃうわよ!」

 アドリアーナが怒鳴ると、エドガルドはへらりと笑った。


「そりゃ目出度いことじゃないですか。お嬢さんの望みが叶う」


 彼がそう言った途端、アドリアーナは眉を寄せた。

「……エドの馬鹿」

 ぷいっ、と彼女は顔を反らし、以降黙々と書類を片付け始める。

 その突然の豹変ぶりに、エドガルドは狼狽えた。

「え、え?お嬢さん?え?」

「……エドガルド様……本当に唐変木ですね、鈍さもここまで極まれば害悪ですよ?」

「言い方悪いな!?」

 憐れむようなベルタの視線を受けて、エドガルドは吼える。

 その隙にさっと席を立ったアドリアーナは、書類を抱えて部屋を出て行こうとした。慌てて護衛として彼は随行しようとする。が、

「家令のとこに行くだけだから、付いて来ないで」

 ハッキリとエドガルドを拒絶すると、アドリアーナはさっさと部屋を出て行ったしまった。


 あとに残されたのは、呆然とするエドガルドと茶器を片付けるベルタだけだ。

「……」

「…………」

「べ、ベルタさん……?あれは一体……」

 エドガルドが恐る恐る聞くと、ベルタは手を止めて、本当に渋々といった様子で彼の方を向いた。

「お嬢様は、何度も何度もあなたに婿にならないか、と仰ってらしたと思いますが?」

「普通冗談だと思うだろ!?こんなオジサン相手に……」

 エドガルドが驚いて目を丸くしたが、ベルタは首を横に振った。

「お嬢様に独占欲剥きだして囲い込んでおいて、よく言いますね。普通、屋敷の中でまであんなにべったり護衛する必要がありますか?最初の夜会に、わざわざ従兄の娘のエスコートを買って出てまで出席する必要が?」

 すらすらと言われて、エドガルドは眉を顰める。

「身分的にも問題なく、年の差なんてそれこそ貴族社会ではたいした問題にはなりません」

「いや、だから俺みたいなオジサンじゃお嬢さんには釣り合わない……」

 言い募ろうとした彼に、素早くベルタは言葉を被せる。

「でしたら、ハッキリとアドリアーナ様のことを、そういう対象として見れない、とそう言えばいいではないですか」

 ベルタの舌鋒は誰に対しても容赦がない。


「気付いておられますか?エドガルド様。あなたは、お嬢様に婿に来い、と言われた時に毎回明確な拒絶の言葉を口になさっていないんですよ。その癖、オジサンだからと言い訳にもならない言葉を口にして……」

 表情を強張らせたエドガルドを、彼女は真っ直ぐに睨みつけた。

「あの方を幸せにする勇気のない唐変木は、きちんとお断りしてさっさと見切りつけられてください。そうでないと、お嬢様が前に進めません」

 びしっ、と言われてしまい、臆病なエドガルドは思わず苦笑してしまう。


「ベルタには迷いがないな」




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