運命の分岐点
「ぐぶっ……ごぶごぶっ……! 」
リジャの南に広がる平原は兵士たちの悲鳴もやがておさまり、一人少女の呻き声を残して静まり返る。
地面に激突し、大きく跳ね上がった馬に襲われたのか、リュドミラ・フリステンコは横たわる馬の下敷きとなり身動きが取れないでいる。
馬の横腹で下半身を押し潰されたのか、馬の背中側から彼女の上半身が見えるのだが、もがいて脱出しようともせずに、口からゴボゴボと血の泡を吹き出しぐったりと天を仰ぐ様は、もはや座して死を待つほか無いと言ったところだ。
副官のグリゴリー少尉の姿はリュドミラの傍らには無く、ピクリとも動かない彼の右手だけが馬の下から見える事から、どうやら直撃を食らって即死した様である。
横目で彼の右手を確認したリュドミラだが、グリゴリー少尉に向かって弔いの言葉をかけてやる事は無かった。もはや彼女自身の瞳孔が動かなくなるほどに、虫の息であったのだ。
……ばば様……ばば様……
馬の下敷きになった衝撃で内臓破裂を起こし、更に折れた肋骨が肺に刺さっているのか、鼻と口から血を吹き出し続ける彼女は既に朦朧としており、育ての親である魔導師イエミエソネヴァの名前を繰り返し呟いている。
……ばば様に始めて会ったのは八年前、生まれ故郷チェルノルースカヤの街。戦乱で家族を失った私を救ってくれた……
リュドミラ・フリステンコは大陸南部、国境に近い街チェルノースカヤで生まれ育った。
南部の隣国フルブロンゾとは国境紛争を度々繰り返しており、不運にも彼女の一族郎党は街に侵入した麩軍兵士に全て殺されてしまったのだ。
そしてその後、廃墟となった街を独り彷徨い、屍肉をあさって飢えを凌いでいた幼いリュドミラと魔導師イエミエソネヴァとの出会いが無ければ、彼女はそのまま獣の様な生涯を送っていたであろう。
反撃が功を奏し、麩軍が国境付近まで撤退した後の事。生存者を探すため街に現れた国境警備軍に帯同したのが、大陸最恐の魔導師と呼ばれたイエミエソネヴァであり、彼女との出会いが今のリュドミラを作ったのである。
……動物の死骸をあさっていた私を見つけたばば様は、綺麗なオーラが出てる、底知れぬ魔力を秘めた神の子だと言って私を抱きしめてくれた……
……肌の浅黒い南方人の私を、白い目で見る事無く愛してくれたのは、後にも先にもばば様一人だけ……
地面に横たわったリュドミラの目尻から涙がポロポロと溢れ始める。
最後の瞬間が近付く中で、彼女の脳裏では過去の記憶が走馬灯の様に流れているのだろうが、その場面の一つ一つに現れるイエミエソネヴァとの日々が、最恐の魔導師として畏れられる老婆がまるで祖母の様に、自分だけに見せる優しい姿がたまらなく心に刺さる。
短い人生で終わってしまう彼女の、耐え難い未練となって涙を流させているのだ。
「……最近……更に膝が悪くなったって……新しい杖を買ってあげ……なきゃ……」
乾ききった肌、乾ききった大地に吸い込まれる涙。
血染めの魔女と畏れられたリュドミラ・フリステンコは血と涙にまみれたまま、
「……死にたく……ないよう」
と一言呟いて、そのまま心臓が止まった。その最後の瞬間を見下ろしているフラット・ライナー藤森修哉に気付かないまま。
全ては終わった。
紅蓮の焔に焼かれたリジャの街から何人助かったのか、何人助け出したのかはさすがに現時点では分からない。ただ、リジャ746村まで足を運べば、救援物資にありつけた人々は必ずいるはずだから、消えそうだった命をどれだけ助けられたのかは分かるはず……。
修哉はゆっくりと踵を返してその場を後にするのだが、何故か足取りは重く背中は丸い。そして真一文字に結んだ口は独り言さえ漏らそうとせず、険しい眼差しはリジャの街を望む事は無く、目の前の地面をひたすら追っていた。
……修哉は考えたくないのだ。
どれだけの人を助けるために、どれだけの人を殺したのか。そして『死の勝利』、誰も逃れる事の出来ない平等な死を前に、果たして自分ならどれだけの負債を抱えて死ななければならないのか、今だけは考えたくなかったのである。
「エマニュエル、君が大人になったら……素敵な女王様になるんだろうな」
自分の行く末に怯えたくないのか、彼の心に咲いた清らかな一輪の花を引き出しから出して想いに耽る。寒々しい暗殺者の道を征く若者に、愛する者を護ると言う道を示した、幼くも可憐で生き生きとした花だ。
だが他人の血に染まりきった自らの手では、その花でさえも触る事が出来ない事を思い出し、腐りそうになって沈む自分を戒めていた。
修哉が発現させた新たな能力、ディメンション・リビルド「コネクト」。死中に活を求めた結果程度にしか認識していないのだが、修哉は大事な事を失念している。
【発現させた異次元空間を自由に行き来出来る能力とはつまり、自分がこの世界にやって来た能力と同義ではないか】
リィリィルゥルゥのハイエルフで始まりの女王と呼ばれるララ・レリアからは、修哉が何かしらの要因を経て「自分で」飛んで来たのだと説明を受けている。
もちろん以前いた世界では、そんな能力を発揮した事も無いし出来るとも思っておらず、圧倒的な外的要因が起因していると言えるし、この世界に飛ばされた時にべったりと赤黒い血が腹から溢れ、瀕死の状態だった以外に記憶らしい記憶も無い。
その時の能力スペックまで、今まさに自力でのし上がったのだと彼自身気付いていなかったのである。
そしてララ・レリアはこうも言っていた。
ーー「ディメンション・リビルドはいずれ尽きる」と、だから聖剣スフィダンテをその手にかざせと。
今後彼の能力がどこまで飛躍するのかはまだ未知数である、もしかしたらこれが頂点であり、最後の大花火を打ち上げたに過ぎないのかも知れない。
だが修哉本人が、現時点でそこまで気を回す事は無かった。日が暮れてから日が昇るまでの時間、眠気も忘れて奔走を重ね続けて疲労の限界まで達してしまった今、睡魔と真正面で闘い始めたのだから。
ただ、修哉も冷たくなったリュドミラも知らないところで、昨晩からの推移をじっと見つめていた者がいる。
廃墟となったリジャの街の西側、背の低い土壁から顔を出して修哉を伺っているのは合計四つの瞳。
リュドミラと同じシーニィメーチの、ギンツブルク特務少尉とマーシャ・チェバロワ特務少尉、つまりシーニィメーチの責任者であるアレクセイ・クルプスカヤ特務少佐隷下、直属の部下である。
チェバロワ特務少尉はたった今目の前で起きた現実を、ギンツブルグ特務少尉の能力を経由して、然るべき人物に報告していたのだ。
(……戦闘らしい戦闘すら行われずに決したか。凄まじいな彼は……)
「はい、一瞬の出来事で何が起きたのかすら分かりませんでした」
(……フラット・ライナーの能力については天井知らずだと承知しておけば良い。ただそれだけの事だよ……)
「お言葉ですが同志少佐、彼の牙の矛先が我々に向かうとも限りません。何かしらの対応策は構築した方がよろしいかと」
(……ふふ、それは考えない方が良いよ。彼と張り合って力の拮抗を目指してもそれは無理だ。それに、我々は良い交渉カードを得たじゃないか……)
「交渉カード……ですか?」
(……敵軍兵士に対して投降や降伏勧告もせずに有無を言わさず皆殺しにした、彼は殺し過ぎたんだよ。リンドグレインが再び旗を上げたとして、その旗の元にリジャの虐殺者がいたとしたら、女王だって対外的にイメージが悪いだろ……)
思わず顔を見合わせるチェバロワとギンツブルグ。
この事件でまず問題とするべきは、軍によるリジャ住民に対しての虐殺行為であり、フラット・ライナーはその報復を行なったと言うのが流れのはず。だがこの上官は事の本質を端折ってフラット・ライナーが行なった虐殺行為だけをクローズアップし、それを交渉材料にしようと言うのだ。
(……共産主義体制を終わらせる、かと言って王制回帰も前時代的だからね。こう言うところで手足をもいでおかないと、歴史は繰り返される……)
小春日和で朗らかな春の一日が始まったはずなのに、急に東の山々から残雪に冷やされた吹き下ろしの風がチェバロワたちの間を吹き抜ける。
決してチェバロワやギンツブルグの心象を表現した訳ではないのだが、二人はこの上官が実は一番恐ろしい存在なのではと、肝を冷やしたのは間違い無かった。
◆第一部終章 運命の分岐点
終わり 第一部完




