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最初の勅令


「痛っ!」


 初春を実感させる様な心地良い熱を伴った太陽が、空の中心へたどり着こうとじわじわ移動している頃の事、難民キャンプの炊事場に幼くて可愛い悲鳴が突如響いた。

 親のいない子供たちや食事の作れない環境に置かれた人々のためにと、集まったボランティアたちが食事を用意するのだが、ちょうど昼食の仕込みを始めた早々に、その悲鳴が辺りに轟いたのだ。


 悲鳴を上げたのはエマニュエル。何人かのボランティア女性と一緒に、包丁でジャガイモの皮を剥いていたのだが、どうやら手元が狂ったのか親指を切ってしまった様だ。


 慣れない包丁を使っていた事もあるが、包丁を使いながら別の事を考えていた事も大きな原因でもある。

それが証拠に、心ここに在らずのまま包丁を握っていた自分を戒めているのか、痛みに歪んだ表情とは全く異質の表情……、まるで自分を恥じるかの様な怒りと情けなさの混じった羞恥の表情を見せていた。


 あらあらまあまあと、心配そうにエマニュエルを見詰めるご婦人方の脇から莉琉昇太郎が現れる。どうやらエマニュエルの内面的な問題に気付いているのか、優しげな苦笑を浮かべていた。


「傷は深くないけど、バイキン入らない様に気を付けないとね」


 ボランティアの輪からエマニュエルを連れ出し、彼女たちからちょっと離れた場所で、水筒に入った綺麗な水で一度傷口を流し布切れを巻いてやる。


 ……それにしてもと莉琉が声を出さずに内心で感嘆するのは、エマニュエルの荒れ放題に荒れた手だ。

 擦り傷や切り傷、あか切れなどで荒れた手は、エマニュエルが美容に無頓着と言う事を表すのではなく、自分の手が荒れようが傷もうが、他人の為に尽くしていると言う証拠である。

 王家の血統の者として、率先して民に寄り添い、共に苦難を乗り越えようとする姿は立派である。それがまだ八歳の幼女であるならば尚更、尊敬どころか敬愛に値する生き様である。


 だが莉琉昇太郎は、そんないじらしくて思いっきり抱きしめたくなる程に可愛い彼女が、表に出さない子供の部分を知っている。今この場にいない彼女の精神的支柱が、親の代わりや兄の代わりをこなして来た存在が、いつ死ぬかも分からない戦場に赴いている事が彼女に重くのしかかっている事を。


 藤森修哉がいない寂しさを悟られぬ様にと、つとめて普段通りの生活をしていたのであろうが、そこまで完璧に自分を装う事が出来なかったのである。

そこもまたいじらしく感じる莉琉ではあったが、さすがに八歳の幼な子が背負うにしては重過ぎると感じ、エマニュエルにしばしの息抜きを提案した。


「リル、ごめんなさい……ありがとう」


「エマちゃん頑張り過ぎだよ、少しは休まなきゃ」


 傷口に布を巻いた後もそのまま莉琉はエマニュエルの手を両手で握りしめ続け、手の温もりを伝える事で「あなたは良くても、あなたを心配する人たちがいるのよ」と、周囲に対する配慮を促す。つまりは、修哉のいない不安感は理解出来るが、その不安感を他者に伝播させてはいけないと諭していたのだ。

 ただ、そんな事は百も承知のエマニュエル。難民たちに自分の素性を明かした以上、リンドグレインの名に恥じぬ行いをと、自分に課して行動している事や、修哉がいない事に不安を抱いている自分に、リルも気付いて心配してくれている事も承知している。


 だが今回はそうではないのだと、自分の内面で吹き荒れる感情は今までのそれとは全く異質なものなのだと、真剣且つ深刻な表情で莉琉に詰め寄ったのだ。


「違う、違うのリル!」


「え、違うって……何がどうしたの?エマちゃん」


「あのね、あのね……私なんだかおかしいの。修哉の事考えると心臓がドキドキするの」



 (……きっ、キターッ!……)



 莉琉は頬を紅潮させつつ、爛々と輝やいた瞳でエマニュエルを見る。そしてはたと気付いた……、エマニュエルの変化に気付いたのだ。


 年相応で童顔だった彼女の顔がいつの間にか大人びており、幼女と言うよりもそれは既に、思春期に突入した少女の雰囲気を醸し出していたのである。つまりは、とうとう……修哉に対するエマニュエルの感情が、依存から愛情に昇華したと言う事の表れであった。



「今までは修哉が側にいてくれないと不安だったの、怖かったの。だけど今は修哉の事を考えると胸が苦しくて切なくなる、私おかしくなっちゃったのかな?」


「いや……それは、それは違うのよエマちゃん」と、詰め寄るエマニュエルに明確な回答を与えられない莉琉であったがそれも一瞬の事。エマニュエルの真っ直ぐな瞳を真正面で受け止めた莉琉昇太郎も、劇的に変わったのである。



 【女王エマニュエルの恋、これは絶対に実らせなければ!】



 意外にもエマニュエルを恋敵と認定して、藤森修哉争奪戦を派手に繰り広げるのかと思われた莉琉昇太郎は、エマニュエルの傷口に障らない様に再び彼女の両手を自分の両手で包み込み、

それは異性に対する恋愛感情である事、保護者と被保護者の関係では無く、やがて愛を育み子を宿しながら家族として生きて行く「核」となる感情である事を説明したのである。


「エマちゃん今八歳でしょ?あと十年も我慢すれば絶対素敵なレディになる!エマちゃんが修哉のお嫁さんになれる様に私思いっきり応援するから!」


 莉琉昇太郎は藤森修哉が最高の男であると判断している事に間違いは無い。だが悲しいかな、自分の中に異性ではなく同性である事の負い目があったのかも知れないし、エルフのシルフィアあたりに修哉を取られるくらいならと言う感情が働いたのかも知れない。

だがあくまでもそれらは推察のレベルであって本人の真意が何処にあったのかまでは測れないのだが、純然たる事実として莉琉昇太郎はエマニュエルをライバル視せず、嫉妬に狂うよりも彼女に対する母性が臨界点に達し、進んでエマニュエルの母になったのだ。

そして藤森修哉の傍らにはエマニュエル・ハンナエルケ・リンドグレインが立つ事が相応しい。外に出て闘い続ける男と還る場所を護る女のベストな組み合わせなのだと判断し、彼女の恋愛成就を応援すると宣言したのである。



 --明日をも知れない血まみれの暗殺者と、常に高貴なる者としての振る舞いを課された過酷な運命を背負う少女。共に平々凡々な人生を送る事が困難な者同士愛を育んで何が悪いか、むしろこの二人なら、燃え上がる様な熱い愛情で互いを補えるはず--



「私はシューヤの事が好き? 私が……シューヤのお嫁さんに!?……私……私……!」


 頭から湯気が噴き出す様な勢いで赤面するエマニュエル。莉琉はそんな彼女の髪を優しく撫でてとかしながら、エマちゃんなら大丈夫、ちょうど小麦粉もあるから修哉の好きな麺料理を教えるからと励ましている。



 先に述べたが、莉琉昇太郎が思うベストな組み合わせ。

男が外に出て闘い、還る場所を女が護ると表現したのだがそれをもって男女差別だと早合点する者などいないであろう。この世界でこの時代ならばまさにベストであるのだから。


 分かりやすく修哉や莉琉が以前いた日本で説明してみる。

 狩猟や採取を生活の基盤としていた縄文時代を経て、農耕つまり「土地占有」と言う概念が生まれた弥生時代から、所有権を争う大規模な戦闘……戦争が生まれた。

 この所有権を争う組織戦は形を変えて今も世界のあちこちで行われているのだが、機械が人の代わりに人を殺す近代戦と違って、古代の戦争とはもちろん肉体を駆使した文字通り肉弾戦の時代であった。すなわち、戦いに赴く戦士や兵士たちに求められるのは荒々しい力であり、容赦の無い殺人衝動であり、まさしく筋骨隆々な男たちの独壇場であった。


 もちろん、ゲームのように豊満な肉体美を露わにした半裸の女性がバッタバッタと連続技を駆使して敵を薙ぎ払う事などあり得ない世界であり、非力な女性は戦場に相応しく無い存在であったと言える。

戦国時代の様に、重さ数キロの槍をバッチンバッチンと敵に叩きつけ、それで勝負がつかなければ長刀を抜いて斬り合い続け、それでも勝負がつかなければ刃こぼれと衝撃で胴の伸びきった斬れない長刀を捨てて、取っ組み合いの果てに脇差しを抜いて敵の喉を搔き切る……。体力差がある女性にそれが出来る訳が無いのだ。


 体力的に優位で破壊衝動に躊躇しない男性が外に出て、忍耐力に長けて手先の器用な女性が家を守る。差別ではなく区別が出来ていたと言って良い。世界的に見ても、アマゾネス伝説や北欧神話のヴァルキリーの様に、女戦士が戦場に立つ事が現実的ではないからこそ神話になるのであり、男は闘い女は護ると言う形は人類がこの星に誕生してから必然的に出来上がって行ったのである。


 もちろん現代社会においてその概念は通用しない。何故なら、家の外に出た瞬間から常に死の影が付きまとう様な、死と隣り合わせの世界ではないからだ。

 生き残る為に血族や親族や隣人と結束して動物を狩る時代は終わり、自分たちや組織の田畑を守るために……又は奪う為に大規模戦闘を行う時代も終わり、貨幣経済の虜となった人類には男女の差などさほど問題では無くなった。

 生物的な役割分担は風化し、稼げる人間と稼げない人間の貧富の差と言うヒエラルキーがただ存在するだけの社会となり、親族や血族の絆も薄れた金だけが支配するこの時代では、戦争ですら体力差など問題にならなくなったのである。


 話は逸れるが、ならば何故、この国では未だに性差別が存在しているのか、女性の社会進出が欧米よりも遅れていると言われるのか。それはこの国のマスメディアのミスリードと、女性の権利向上運動を主導した人物の質の低さが大きく起因していた。


 昭和の終わりにテレビで始まった討論番組、内容が伴わなくても声がでかくてズケズケ言うキャラクターが持て囃されたあの歪な番組が爆発的にヒットしたその流れの中で、女性解放運動の旗手を自称する人物が登場した。

 ご多聞に漏れずテレビ画面で顔を真っ赤にしながらギャアギャアと吠え話題の人として注目されたのだが、その人物は知名度を別の方向に悪用して国会議員に出馬して当選。女性の権利の向上を踏み台にして反政府闘争を始めたのである。

あのギャアギャア大騒ぎして何でもかんでも差別に結び付ける「色モノ」が反政府運動の旗手になってしまえば、反政府運動を展開していたリベラル関係者たちにしても女性解放運動を展開していた者たちにとっても、このピエロをマスメディアが面白おかしく報じれば報じるほどに、運動自体の社会的イメージは悪くなるのは必然。

結果としてこの国の真のリベラルと、真の女性解放運動が、他国に比べて何十年遅れてしまったのかは、この時代を生きる者たち全てが各々に感じているはずなので割愛させていただくとするが、間違い無くそれは国民の責任では無いとも言えるし、国民の責任であるとも言えたのである。



 ……本質を見抜けずに、あんな人物を時代の寵児として喜んで受け入れてしまったのは誰の罪なのか。そして嬉々として外道を紹介し続けたマスメディアにNOを突き付けられなかったのは一体誰の責任なのか……



 そして、昭和の終わりから今の今まで、マスメディアが人々に伝え続けた女性像を思い出して欲しい。


 ディスコのお立ち台で下着も露わに踊り狂う女性がその性を高値販売し、高級車による送迎担当男性や高級グルメ提供担当男性などたくさんの男たちをはべらせる姿が痛快だと持ち上げ、通勤時間帯の駅のホームで、片手を腰に当てて栄養ドリンクを一気飲みする女性をやはり痛快豪快だと持ち上げ、

顔面を真っ黒に塗りたくる女子高生を今どきの流行だと持て囃し、女子高生たちにしか理解出来ない流行を今時のデフォルトだと発信したり、もはや日本語とも言えない彼女たちの暗号通信を新しいと紹介する。

 これだけ深刻に少女売春が社会に浸透しているのに、啓蒙活動もしなければ出会い系サイトの「男性は有料、女性は無料」に対して性差別だとツッコミもしない。また、子供たちも目にするであろうゴールデンタイムの番組で、女優やモデルの汚らしい恋愛遍歴や不倫や愛憎などを毎度毎度面白おかしく放送していれば、視聴者が女性に対する蔑んだ意識を持つのは当たり前ではないか。


 旬な若手女優が登場する車のコマーシャルで、隣を歩く男性に対して「半年経ってもあなたの名前が覚えられないの」と叫ぶ女性を、果たして今時の可愛いらしい女性像だと人々は思うのだろうか。単なる馬鹿ではないか。

それを面白いと判断してしまう作り手のマスメディアや受け手のその感性に、果たして女性の権利向上の意識はどれだけ育まれているのか。


 その場しのぎでカッコイイ事を言いながら、日々やってる事はえげつない。それが近代日本の主たる情報源マスメディアとはお寒い限りである。


 結局女性解放運動など遅々として進んでおらず、男女平等など霧散したまま、男尊女卑と女尊男卑が入り混じった歪な社会で儲け話だけが飛び交っている。

可愛い自分自身を維持して守る為には、愛でも家族でも自分に足りないものを充足してくれる伴侶でも無く、最早金の力しか無いのであるーー。



 だから莉琉昇太郎は、修哉とエマニュエルをベストのカップルだと判断した。この荒々しい世界で光輝く理想のカップルだと判断した。

 汚らしく荒々しい言葉を吐きながら「可愛い、可愛い」と騒ぐ自称女性と、髪のセットに三十分もかけて足首丸出しで寸足らずのズボンを履くモヤシ男の将来の最終目標が見えないカップルよりも、

この未だ近代化が進まない前時代的なエルゲンプレクト大陸を席巻する共産主義国家に対して、単身で闘いを挑んだ少年と人々の笑顔の為に立ち上がった亡国の皇女のカップリングが、莉琉昇太郎が自身の恋愛欲求を排除してでも実らせたい、理想的な最高の男女だと判断したのである。



 まだ「好き」と言う感情に対してどう向き合えば良いのかと、戸惑いを隠せないエマニュエルに対して、彼女の母役を自らに課した莉琉が性教育までするべきなのかどうか真剣に悩み始めた時、この流れは急に止まった。


 突如二人の前に、アレスターこと漆原謙一郎がふらりと現れたのである。


「……忙しいところスマンな」


 バツの悪そうな表情をしながら、アレスターは莉琉にではなくエマニュエルに用があるとばかりに、彼女の真正面に立った。


「アレスター、身体はもう大丈夫なの?」


「迷惑かけたなお嬢ちゃん、俺はもう大丈夫だ」


 ぽりぽりと頭をかきながら、話を切り出すタイミングを計るアレスター。どうやら何か言いづらい事がある様なのだが、莉琉にはそれが一体何なのかはすぐに理解出来た。

 ハードボイルドを装いながらも義理と人情に厚いコッテコテの日本人漆原は、修哉と死闘を繰り広げはしたものの最愛の人と漆原自身を助けて貰った事に恩義を感じ、リンドグレインの王国復興を手伝いたいと申し出に来たのだろうと考えたのである。


 確かに莉琉昇太郎が予想した通りであった。


 アレスターこと漆原謙一郎は、皇女エマニュエルに跪いて王国復興の手助けをする積もりでこの場に来ていたのだが、結局漆原の口からその言葉が出る事は無かった。

 それよりも何よりも……、恐るべきと言うか衝撃的と言うか、莉琉や漆原が度肝を抜かれる事が起きたのだ。


 エマニュエルも莉琉同様にアレスターの真意に気付き、漆原を歓迎するどころかいきなり説教を始めたのである。


「アレスター、ケンイチロウ・ウルシバラ……。あなたは多分、私たちに協力したいと申し出に来られたのでしょうが、気持ちだけ頂いてお断りいたします」


「お、おい……お嬢ちゃん」


「あなたは今、完全に勘違いしています。何故あなたとジャンパーをシューヤは殺さなかったのか、もう一度自分の胸に手を当てて考えてみなさい」


「殺さなかった理由だって? 」


「我々に協力して欲しいから、シューヤはあなたたちを殺さなかったと思うのであれば、シューヤを酷く侮辱している事になります」


「ぶ、侮辱って……俺がか?」


「あなたがジャンパーを想う気持ちにシューヤは応えたのであって、あなたを利用する為に生かした訳では決してありません! シューヤの気持ちを踏みにじるあなたに、協力して欲しいとは私も思いません!」


 エマニュエルは協力の申し出を喜んで受けるだろうと考えていた莉琉と漆原。だがしかしそんな想像は綺麗に裏切られて逆に鉄パイプで思い切り頭を殴られたかの様な衝撃に見舞われた。


 それは思いがけない展開に驚いた二人が恐る恐るエマニュエルの表情を伺った時だ。……そこには年相応のおませな女の子はいなかったのである。


 何とエマニュエルの表情に浮かんでいたのは即ち高貴、そして清楚。歳上に暴言を吐く様な高慢ではなく、その言葉は厳しくとも他者への強い思いやりに彩られた瞳で相対しており、慈愛に満ち満ちている。

 身体は小さくとも、その小さな両の肩に何千何万の人々の想いを乗せたまさしく……【女王陛下】がいたのである。

 莉琉昇太郎と漆原謙一郎がその姿を眩いほどに神々しく輝く姿だと感じ、自然と片膝をついて絶対服従の意志を示したいとの衝動に駆られるほど、劇的な瞬間であったのだ。


「アレスター、あなたがそんな小さな事を気にしてどうしますか。我々など気にせずに、あなたはあなたのやるべき事を成してください」


「お、俺が……やるべき事?」


「ジャンパーを見守ってあげなさい。彼女の治療と回復に専念する事こそが、シューヤがあなたを生かした意味だと思いませんか?」


「そ、それはそうだが……。エマニュエル、それで良いのか?」


 今の今まで漆原は、エマニュエルの事をお嬢ちゃんと呼んでいた、だが今はもう彼女の事をお嬢ちゃんとは呼んでいない。

それが彼女にとって失礼な呼び方なのだと感じたかどうかは本人のみが知るところなのだが、漆原は間違いなく変化し、彼女をエマニュエルと呼び始めた。


「ハイエルフのララ・レリアを紹介します。あの方ならば、病んだ心を癒す方法も分かりましょう。良いですねアレスター」


「あっ、はい。あのぉ……えっと」


「あなたのありったけの気持ちがあればジャンパーは大丈夫です、必ず治りますよ。話はそれからです」


 二人には気づかれていないが、はたからこのやりとりを見ていた莉琉昇太郎は泣き出しそうだった。

感極まるとはこう言う事なのだと。これが孤独では味わう事の出来ない、人の想いが交差する醍醐味なのだと。

その感慨深い光景に身震いし、エマニュエルを守り続ける事を再び誓うのであった。



 やがて後世の歴史書に【大転換】と呼ばれる時代が訪れ、人類はその存亡を賭けて最後の闘いに赴く事になるのだが、アレスターこと漆原謙一郎、そしてジャンパーこと土岐朱鷺子の二人が新生リンドグレインの千年王国を綴る歴史書に登場するのは大転換の後になる。


 女王エマニュエルには直属の密偵の存在が確認されており、それは一組の男女であったと様々な関係者が証言している。暗殺や破壊工作などには一切手を出さずに、情報収集のみを行っていたとの証言もあるが、名前も年齢も全くの不明で、結局それに言及出来た者はいない。


 しかし、歴史家たちのその後の研究において一つの仮説が発表された。

女王エマニュエルが退位した後に出版された様々な本の中に「エルゲンプレクト大陸漫遊記」と言うタイトルの旅行記があるのだが、この本の著者であるK・ウルシなる人物こそが、女王の密偵ではないかと言うのだ。


 エルゲンプレクト大陸を東西南北隅々をそれこそ縦横無尽に旅をして、その土地その土地の細かな風土から民族性から郷土料理までこと細かに記述されたこの大陸漫遊記は、読む者がその地を旅行しているかの様な錯覚を起こすほど詳細に記述されており、後世においては人気の旅読本となったのだが、

戦乱冷めやらぬ動乱期に書かれていることを鑑み、著者であるウルシは女王エマニュエルの勅命により、諸国漫遊を隠れ蓑に諜報活動を行っていたと言う仮説に、歴史家たちは行き着いたのである。


 ユニット「桜花」の主力でありながらも頑なに殺しを否定し続け、そしてジャンパーを命を賭けて愛しぬいたアレスターが、仮に諜報活動が主体とは言いながらも、病から回復した最愛の人を連れて諸国漫遊の旅に出たとなると、まるで新婚旅行のようで何ともロマンティックである。

 そしてその感動を二人占めにせず世に広めようとペンを握ったのなら、この世界に飛ばされた二人は新天地で幸せな人生を送ったとも言える。


 とりあえず今日は、漆原に対して初めて女王エマニュエルが命じた記念すべき日となった。


 ……リジャの街に突入した藤森修哉が、修羅となって血の嵐を巻き起こす、数時間前の出来事である。




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