治療
「かてえ字だなあ。おまえ、ガキのころからこんな字書いてんのかよ。やだねえ、かわいくねえ。昔から、字は体を表すっていうけど、ほんとだな」
シアンはキースが十年ほど前に記したグレートルイス語のノートを眺めてそう言うと、ウーに返した。
「キースの字は、読みやすいと思う。ほかの誰よりも。でも、いちばんきれいなのはシアンの字だと思う」
ウーは受け取りながらそう応えた。
「そうかい、字は体を表すっていうからねえ」
シアンはにこり、と気分よく笑った。確かにシアンの字は流れるように美しく、芸術的でさえある。
「字は、読めてこそだろうが」
キースはウーが指さしたノートの一部分によみがなをつけてやる。
「まあ、そのノートを丸暗記すりゃ、グレートルイスの日常生活はなんとかできそうだな。しかしよく残していたね、お前。そんなもんを」
「普通だろう。残さなきゃ、何のために作るんだ。お前が捨てすぎなんだ」
シアンは肩をすくめる。
彼は、ドミトリー時代、進級するたびに過去の教材やノートを下級生に渡したり、燃やすなりして一掃していたくちだ。彼曰く、物がありすぎると、整理が嫌いなのでイライラするそうだ。
そして、試験の前にはキースのノートをあわてて漁るという行為を繰り返していた。
「で、病院ではどうだったんだ」
と、キースはシアンに聞いた。
今日の昼間、シアンがウーをキースが探した病院に連れて行った。
「ああ、それがなあ。ドクターが不思議がっていて。どうも下垂体機能不全とか? なんとか症候群にはあてはまらないみたいんだな。それだと低身長な場合が多いとか言って。栄養失調ってほどでもなかったんじゃないか、って話になってさあ……で、ドクターとオレが立てた仮説がこうだ」
にやにや、とシアンが笑みを浮かべた。
そのドクターが割とシアンの好みだったのか。彼と意気投合したようだ。
「女性ホルモンの感受性をなくさせる、なんらかの物質を摂取していたんじゃないかって。どうも、薬かなにかで無理に止めていたような感じがするんだってさ。ジャングルなんか、未知の物質だらけだろ? そこで、日常的に摂取していた食料かなにかにそういう成分が含まれていたんじゃないかってな。……で、ウーに聞いたら」
「そうかもしれないと思った。ほかの一族から拾ってきた子供も、私と同じように下女になったから。女王には成長しなかったんだ」
ウーが答える。
「で、女王になる場合ってのは、その成分の感受性が無い者がなるってことだろう、て話で、とりあえず落ち着いたんだが。そこのドクターが俳優のあれに似てんだよ。ほら、グレートルイスのさあ……」
「理由はどうでもいいんだが。結果はどうなんだ。改善するのか?」
「ああ、そうだよな、悪い悪い。だから、ジャングルからこっちへ来た今、一気に第二次性徴がはじまる可能性があるんだってさ。今回、薬もらったけどさ、様子みつつ量をへらしていくかもしれないって。もう、現にその兆候があらわれ始めてるっていうか。なあ、ウー」
「胸が痛い。服にあたったり、触られると」
ウーがキースに訴える。
「と、いうわけだ。考慮してやれよ。……たしかに、なんか体つきが変わってきたなあと思ってたんだよな。まあ、こっちきてカロリー高いもん食べてるからだろうとか、お前との関係が刺激になってんのかなあとか、思ってたんだけどよ。あ、いい刺激になるらしいから、ホルモンのこと考えると推奨されるらしいぞ。それから、これも聞いてみたんだけどよ。女腹、男腹、ってのか? 同じ性別の子供ばっかり生まれる可能性があるのかってな。グレートルイスとかで、子供の性別産み分けるときに体内環境を酸性かアルカリ性にするかで調節する方法があるんだそうだ。で、ドクターが言うには、生まれつきの体質で体液のPHが酸性強めの女性も中にはいるだろう、てな。ウーの一族は、たまたまそういう体質が多いってことなんじゃないか? ……というわけで、いい勉強になったねえ。この国じゃ、なかなかそういうこと学ぶ機会ってのがないからねえ。まだまだ聞きたかったけど、時間なかったから、オレの店で聞く約束してきたんだわ」
もう予約をとらせたのか、とキースは感心する。
「だから、今は栄養のあるもんたっぷり食べて早寝早起きしろってことだ。そういことだからシリアルばっか食べさせないで、ウーの睡眠時間確保しろよ」
キースはうなずく。
「キャロルに煮込み料理を教えてもらった。明日から、つくる」
言ったウーが大きくあくびした。
ひどく、くたびれて眠そうにみえる。
「今日、めずらしく暖かかったからさあ、病院から帰って店のみんなと一緒に、オビ川でスケートしたんだよ。子供らに交じって。あんなでかい川が凍るのは、ゼルダぐらいだからグレートルイスでの話のタネになるだろ」
「楽しかった」
シアンの説明に、思い出したのかウーが目を輝かせた。
「疲れたけどな。やっぱ、ウー、運動神経いいわ。おまえとちがって」
からかうようにシアンが言う。
「わかった、じゃあ、早く帰るか」
キースがウーを促した。ウーはソファーから立ち上がり、外套を羽織る。
今日は、歓楽街は月に一度の休業日で、だからキースはウーをシアンのもとに夜まで預けたのであるが、この世情ではいつ安全かもわからない。
夜間外出禁止令を出そうとかいう動きもあるらしい。
そうなると、歓楽街の営業は昼間にするしかないのであるが、シアンは、だれが真昼間に仕事休んで来るかよ、とぶつぶつ言っていた。
たっぷりとしたグレーの毛皮に身を包み、丈の長いブーツをはいたウーは、ひとまわり大きく見えた。
なんとか、ゼルダの寒さに体調を崩すことなくここまで来れてよかったと思う。
車に乗り込むと、ウーは窓に向かって息を吐いた。窓は白く曇るが、一瞬でもとに戻る。
キースが運転する車は、ぎこちなく動き出した。最近では、なんとか運転するのに慣れてきた。
「スケートした後、子供たちと雪投げもした。空気は冷たかったけど、汗をかいた」
よほど楽しかったのか、笑顔でウーは話し出した。
「お前もいたらよかったのに。そう言ったら、シアンがお前はスケートが嫌いだろうって」
嫌いではなく苦手なのだ。
昔から、自分にはバランス感覚がない。
わりと体力はあり、足も遅いほどではなかったが、そういうバランス感覚を使う競技はからきしダメだった。
「今度はお前と滑りたい。いつか」
ウーはキースを見た。
「グレートルイスでは、スケートはできないのか?」
「いや、そんなことはない。リンク場はあるはずだ」
「じゃあ、お前がグレートルイスに来た時に行こう」
それまで練習すればなんとかなるのだろうか、とキースは考える。
再び、ウーが窓ガラスに息を吐きかけた。
「……シアンとキャロルに聞いた」
ウーがぽつりとつぶやいた。
「何を」
キースは前を向いたまま聞く。
「この国の男は子供をつくってはいけないんだな。……お前が、ニャム族で言っていた意味がやっとわかった」
そのまま、ウーは押し黙る。
キースは信号で止まった。
「もし、子供が産めるなら……そんなこと今まで考えたことなかった。自分が産むなんて。……ニャム族ならみんなで育てるけど、ここは、自分で育てなければならない」
「だいたい、子供の父親と二人で育てるのが普通だろう」
キースは信号から目を離さずに応える。
「誰を父親にすればいいんだ」
ウーが自分の方を見ているのをキースは感じ取る。
「グレートルイスの誰かだろう。それは、自分で決めたらいい」
キースは信号が変わるのを見て発進した。
「そうか」
ウーはまた、窓に向かって息を吐き、白い表面が徐々に透き通っていくのを見つめた。




