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SKY WORLD  作者: 青瓢箪
最終章
228/232

真実

 ~二十六年前~


 ◇ ゼルダ セパ カレッジにて◇



「もう、よすわ。彼」


 大学の構内、中庭でベンチに座ってサンドイッチをかじっていたキルケゴールとヘアトンの肩の間に背後から来たクラリスが顔を出した。

 豊かに波打った黒髪は、ハート形の輪郭を縁取り、ややきつい顔立ちをやわらかく見せている。彼女がつけている整髪料の香りがほのかに漂う。


「彼って、かい?」


 燃えるような紅毛を後ろに撫でつけたヘアトンは、琥珀色の瞳でクラリスを見つめた。


「ブラックよ。あんなにカタい男だと思わなかった。テス教徒ってみんなああなの? 息が詰まるわ。キエスタ人の男よりはマシだと思うけど」


 クラリスはつりあがった硬質な目の形と対極に、下唇のラインが割れた肉感的な口の形をしている。

 北の国の美貌の人だった。

 多くの両性をもつゼルダ人が男性的な服を着るのに対し、彼女は毎日女性向けのファッションをしていた。今も、ノースリーブの白地のワンピースを着ている。

 挑発的だと非難する声に、「だってこの方が私が惹き立つから」とクラリスはものともせず返した。


「ブラックは、ギール派だ。彼の家はテス教徒のなかでも厳しい家だ。仕方ないよ」


 ブラックと同じグレートルイス人であるヘアトンは苦笑いした。

 彼は、グレートルイスの東オルガンからここゼルダのセパ大学に来た留学生である。

 血筋は過去のグレートルイス王家だ。

 王家の特徴であるそばかすの多い白い肌と、燃えるような紅い髪は大学内で目立った。

 先程から、クラリスも加わったため、学生たちの視線が更に三人に刺さる。


 ブラックとヘアトン、キルケゴールとクラリスは同じ年齢である。


「キスもまともに出来ないんだから。その代り、ラブレターだけはいやってほどくれるわね。あと、花も」


 クラリスは形の良い鼻をしかめる。


「私、ユリの花粉がだめだったみたい。部屋に飾ってあったのを、全部捨てたわ」

「ブラックはロマンチストだ。彼の部屋に一度行ったが、ロマンス小説が置いてあったぞ」


 ヘアトンの隣にいたキルケゴールが、そのときのことを思い出して言った。

 本来は淡い金髪に深い青の瞳の彼だが、髪は茶色に染め、瞳も茶色へと変えている。

 あのとき、本棚の奥に隠してあった小説を見つけて引っ張り出したキルケゴールに、ブラックは憤慨してキルケゴールを部屋から追い出した。


「わたしに夢をみてるみたい。小説のヒロイン像でも押し付けてるのかしら。……私のこと、処女だと思ってるんだから」


 ふふ、と笑うクラリスに、キルケゴール、ヘアトンは顔を見合わせる。

 ヘアトンが笑い出し、クラリスの顔をひきよせて軽く口づけた。


「あの三人の夜が彼にばれたら、俺たちは殺されそうだな。キル」


 ヘアトンの言葉に隣のキルケゴールは苦笑する。

 あのときは、かなり酔っていた。

 若さと酔いにまかせた行動だったとはいっても、ブラックのクラリスに対する気持ちを知らないわけではなかったので、後ろめたくはある。


「君ほどの美女は、グレートルイスではいない。ブラックが舞い上がるのはしょうがないさ」

「あんなに多民族国家なのに。混血美女がたくさんいるでしょう?」

「いや、そうでもない。……私の妹ぐらいかな。君と張り合えそうなのは」

「妹さん? 見せなさい」


 ヘアトンの肩に抱きついてねだるクラリスに、ヘアトンは笑って胸ポケットからパスケースを取り出した。


「妹は稀にみる美女だよ。性格だって可愛い。僕のことが大好きだ。名前はヴィクトリア」


 開いたパスケースの中では、制服を着た紅い髪の美少女が微笑んでいた。

 ヘアトンと同様、燃えるような髪は額のカチューシャで押さえつけ、横にお下げにして垂らしてあった。

 幸せの絶頂で微笑んでいる天使の笑顔。夢の中に出てくるような可憐な少女だったが、口もとに妖艶さが見え隠れしていた。

 横からのぞきこんでいたキルケゴールはその美しさと愛らしさに息をのみ込んだ。


「いつか、君が東オルガンにくることがあったら、会わせてやる。ただし、手は出すな」


 キルケゴールの反応を眺めていたヘアトンは面白そうに言った。

 キルケゴールはその言葉に素直に小さく頷いた。




 *****


 ~二十年前~


 ◇  グレートルイス首都キッド セントラル駅にて  ◇



 早朝の駅は列車を待つ人々の群れでひしめいていた。

 下りてくる乗客たち、その中でもカーキ色の軍服を着た帰還兵に、歓声をあげて人々は迎える。

 兵士に抱きつく女性たちがここそこで見られる。

 彼、彼女たちは幸運な夫婦、もしくは恋人だったのだろう。


 自分を迎える者など何もないキャンデロロ=コースターは、幸せな男女の波間をくぐりながら、家路について考えていた。

 バスで何時間も揺られて帰るか、高くつくが東海岸行の列車に乗り換えるか。

 いい加減、座りっぱなしのケツがいてえ。

 それとも、せっかく首都のキッドまで来たんだ。

 一日、安宿に泊まって観光でもして帰るか。


 苦み走った顔で思案しながら歩いていたキャンデロロは、視界に入った一人の人物に思わず立ち止まった。

 時計の下で、同じくカーキ色のグレートルイスの軍服を着て立っている背の高い男。

 髪は茶色で肌は明るい。瞳は髪とおなじく茶色だった。

 だが、その瞳が実は目が覚めるような青い色だということを以前彼に見せてもらったことがあるキャンデロロは知っていた。


 ベンジャミン。


 ヨランダの若い頃の思い出がよみがえり、懐かしさのあまりキャンデロロは声を出しそうになった。

 だが、すんででこらえた。


 ついこの間まで、彼らとは敵同士だった。彼の同郷人を何人も殺した。

 戦争が終わってひと月も経っていない。

 ヨランダで別れたあの時の自分とベンジャミンの関係ではない。

 キャンデロロは口をつぐんだまま、目の前のベンジャミンを見つめた。

 筋肉がついたようだ。

 ヨランダでの記憶にあるひょろひょろとなまっちろい背の高さだけが取り柄の優男だったベンジャミンとは、かなり変わっている。

 まあ、軍でしごかれたんだろうな、と彼を眺めていたキャンデロロの方にベンジャミンが顔を向け、目が合った。

 期待を込めて彼の目を見返したキャンデロロから、ベンジャミンはつい、と目をそらした。

 キャンデロロは違和感を感じた。

 まさに、その様子は見知らぬ通りすがりの者に向けた反応そのものだったからだ。


 ベンジャミンじゃない。


 一転して、キャンデロロは目の前の人物に抱く気持ちが親愛の情から恐怖へと変わった。


 あの国には、同じ奴が何人もいやがる。

 目の前の男は、ベンジャミンと同じ顔を持つ別人か。

 気付けば、自分と同じグレートルイスの軍服を着ている。


 脱走兵か。


「よお」


 キャンデロロは近づいて男に声をかけた。


「久しぶりだな。お前も生き延びやがったか。俺だ、キャンデロロだ」


 ベンジャミンそっくりの男は、キャンデロロの顔を見返した。


「第二十四小隊で一緒だっただろ」

「……すまないが」


 小声で男は答えた。


「君のことは覚えていない」

「ひでえなあ、おい」

「あのときのことは忘れたくて仕方がない。君のことも記憶から締め出してしまったのかもしれない」


 男は背中を向けて立ち去ろうとした。


「間違えた。十七小隊だった」


 キャンデロロが投げた言葉に、男が振り返った。

 見合った瞬間に、男は理解したようだった。

 そのまま、駆けだした。

 キャンデロロは追いかける。

 構内を人を押しのけて駆け抜け、男は駅の外に走り出た。キャンデロロも少し遅れて、外に飛び出る。

 線路の中に立ち入った彼を、キャンデロロは追いついて捕まえ、引き倒した。


「見逃してくれ」


 ベンジャミンの顔をした男が、敷石を背に転がって懇願した。


「少しの間でいい。待ってくれ。それが終われば、いくらでも通報して構わない。頼む」


 キャンデロロは肩で息をしながら膝で彼の胸を押さえ、片手で彼の肩をつかんだ。


「悪いな。戦争が終わったってのに、こんなことするのも俺の本意じゃねえが。……国民の義務ってのがある」


 二人の駅員がキャンデロロたちに気付いてこっちに向かって走ってくるのを、キャンデロロは手を振って合図した。



 *****





 ◇グレートルイス 首都キッド 大統領官邸にて◇




「なぜ、君のような人がこの国であのような輩に捕まったのかは謎だが」


 後ろに手を回され椅子に縛り付けられたままのキルケゴールを、目の前に立つスーツを着た男は見下ろした。


「面白いものだな。……少々手荒な扱いになってしまって申し訳ない」

「いえ。あの国よりもマシです。尋問は親切心にあふれてて」


 答えるキルケゴールの髪は脂染みており、彼の頬はひどく腫れ上がっていた。


「そうか。君の国を手本にするよう、尋問した者には助言しておこう。まだまだ甘いと」


 四角い無機質な室内。

 中央に置かれた二つの背もたれつきの椅子。

 部屋の照明は、点滅しており不快だった。

 主がいないもう一つの椅子を逆に向け、立っていた男がまたぐように後ろ向きに座り、背もたれ上に腕を置き顎をのせた。

 キルケゴールと同じ顔の高さで話しかける。


「私のことは知っているだろうね」


 キルケゴールは頷く。

 今、暗殺されたグレートルイス大統領の代行として任務を遂行しているフィンチ氏一派の一人だ。


「君と取引をしようかと思っている。君にはプラスにこそなれ、マイナスにはならない話だ。いいかね?」


 彼は黒い目と黒髪を持つブラック家の長男だ。中肉中背の優しげな男だった。落ち着いた声は教師のそれを思わせる。

 彼の弟を知っていた。カレッジ時代、次男の彼とは交友があった。……仲が良かったとはいえないが。

 次男の彼とは全然違う、とキルケゴールは思った。

 狡猾な行為を苦痛に思わない人種だろう。テス教徒にしては珍しい。


「ベンジャミン=ホワイト。私と真逆の姓だな……君は、彼のふりをしてこの国にやってきた。何をしに来たのかは分からないが、君が入国したのと同様にベンジャミン=ホワイトとしてゼルダに送り帰そう。私の条件をのめば」


 言ってブラックは、胸ポケットから煙草を一本取り出すとキルケゴールの口もとへ差し出した。

 キルケゴールは口をあけてそれをくわえる。ブラックはライターで火を点けると、キルケゴールが吸うのを観察する。一息吸い終わるのを見計らい、彼はキルケゴールの口から煙草を取り上げた。


「やさしい味だ」

「君の国の煙草の味はひどい」


 キルケゴールの感想にブラックはすぐに返す。


「君の国に亡命したヘアトン=フォン=ターナー氏だが。彼の人生はあの国で終えさせてやってほしい」

「……仮にも過去のターナー家一族の末裔ですよ」

「だから厄介だ。君の国へ逃げたのは我々としては好都合。……まあ、我々とはいろいろある。先の大統領の件、わが国の宗教問題も含めて。王族は東オルガンでひっそりととどまっていてほしいというのが、国民の大部分が願っているところだ」

「あなたたちが、大統領を?」

「……どうかな。神の多大なるお導きと偶然によって、彼は天に召された。そう思うことにしている」


 ブラックは、手に持っていた煙草をキルケゴールの口に戻した。


「歴代の王たちがテス教徒を迫害した歴史はあまりにも有名だ。過去のことだと水に流せるものではない。……現在のカチューシャ教司教が、もとはテス教徒であったことは君は知っているかな」


 キルケゴールの目が見開かれ、口の煙草が落ちそうになったのをブラックは支える。


「あなたは……」

「はじめまして、だな。顔を見合わせることはなかったはずだったが。……私は君と同じ死神と共に司教から任命された審判ジャッジメントだ。死神が判断を誤ることのないよう、決断して最後のサインを出すのは我々の役目だった」

「ヘアトンは……、死神から逃げたのではなく、あなたがたから逃げたのか」

「もちろん、そのぶんの業はうける。私はもうすぐこの世界から身をひこう。弟に後は任せる。……君も知っているだろうが、弟は私よりもこの世界にふさわしい男でね」


 カチューシャ司教がテス教徒であるフィンチ氏とつながっていたのなら。

 最初から、先の大統領暗殺、ヘアトン失墜は予定通りであったかもしれないということか。


 ドアのノック音がして、ブラックは立ち上がった。

 ドアの向こうに立っていた男と、いくつかの言葉を交わした後、ブラックは戻ってきた。

 自分を憐れむような表情で見下ろす彼にキルケゴールは鳥肌が立つ。


「君は……ゼルダを離れない方が良かった。ヘアトン氏がゼルダにいる今は、ゼルダの死神の管轄に入る。それなのに、審判ジャッジメントの君が消えてしまったのだから、死神の自己判断にゆだねられるしかない」

「やめてくれ!」

「グレートルイスの死神は私がとうに始末した。彼を殺したのは、ゼルダの死神だ」


 絶望が四角い部屋の中を覆った。



 *****



 ◇グレートルイス 首都キッド カフェにて◇




「報奨金だ」


 目の前の男がつきだした封筒に、キャンデロロは手を伸ばさず見下ろした。


「報奨金? そんなの出るのか?」

「……今回だけ、特例だ。意味は分かるな。コースター2等兵」


 あくまで上からの立場で言いわたす男の態度に反感を持ちながら、キャンデロロは封筒を受け取った。


「あいつは国に帰るんだろ」

「君は、あの男のことを知らない。そういう意味で言ったんだ。わからないのか」

「……イエッサー」


 キャンデロロは小さく応えた。


「君は国民の義務を果たした。気にせずともいい。早く、故郷に帰って両親に顔を見せてやれ」

「……イエッサー」


 早口でそう言い捨てて去る男の姿をキャンデロロは見送る。

 キャンデロロも続いてカフェから出、とたんに身体をとりかこむ夜の空気の生ぬるさに息を吐いた。

 夏の終わりの空気の重たさは、故郷ヨランダの海辺の空気に少し似ていた。

 安宿はとったがまだそこに帰りたくはなかった。

 か細い、糸を引っ張ったような高い声が足元から聞こえ、キャンデロロは見下ろした。

 カフェと隣のビルとの隙間から、汚れた痩せた子猫が鳴いている。

 捨てられたのか、親猫とはぐれたのか。


「どうした。一人なのか」


 キャンデロロは子猫のもとにしゃがみこみ、喉を撫でてやった。

 子猫は愛撫に浸る余裕もないのか、身を震わせるようにして泣き続ける。


「あ、やめとくれよ。ヘタに懐かせないでおくれ」


 カフェから出てきた店員、ビヤ樽体型の中年女性がキャンデロロに気付いて言った。


「あした、役所が引き取りに来てくれる。ライオンの餌になる子なんだから」


 女性はこちらに背を向けて店の立て看板を店内に下げだす。


「殺処分か」

「仕方ないだろう。あんたがじゃあ、引き取りなよ」


 女性はもうこちらを見ずに店内に入った。


「参るよ。食いもんがあるからってこの界隈にいくらでも住みついちまって。どんどん、子供産んで増えちまって。去勢手術する殊勝な飼い主がいればいいんだけどね」


 キャンデロロが子猫を抱き上げようと手を伸ばすと、子猫は身を翻させて路地奥へとかけていった。

 その小さな後ろ姿がゴミ箱の裏に消えていくのをキャンデロロは見送る。

 通報したゼルダ人の後ろ姿を思い出した。


「……くそっ」


 舌打ちしてキャンデロロは、ビルの壁を蹴った。

 馬鹿げている。戦後にゼルダ人を一人殺して、何の意味があるというのか。


 頬に冷たい雨粒の感触を感じて、キャンデロロは上を見上げた。

 闇の中に浮かぶ姿の見えない黒雲が更に大きな雨粒を地上めがけて降下し始めていた。



 *****


 ◇グレートルイス 大統領官邸にて◇


「……これで、君との取引材料はなくなってしまったわけだが」


 ブラックは気の毒そうな表情で告げた。


「君に新しく条件を出そう。我々に協力してほしい。我が国の軍への情報提供者となるならば、我々は君を保護し、無事にベンジャミン=ホワイトとしてこの国を送りだそう」

「……しばらく考えさせてくれませんか」


 キルケゴールはうつろな目でつぶやいた。


「あなたの条件を飲んだとしても、その後国へ帰った私は消されるかもしれない。あなたを拒否すれば、同じ結果が待っている。ならば、その前に……つかの間の自由を与えてくださいませんでしょうか。一度、この国でどうしても訪れたい場所があった。少年のころからの夢です。異国人の私が、図々しいお願いをするのもどうだろうと思いますが。誰かをつけてくれても構わない。逃げはしません」

「……君は、私の弟と交友があったようだから」


 ブラックはそう言うと、迷っているようだった。


「その場所は何処なんだね」

「南西部の密林。……我が国の冒険家が足を踏み入れた未開の地」

「そいつは危険だ。あそこにはまだカニバリズムを持つ民族がいくつかいるぞ」

「構いません。それで命を落としたとしても」


 キルケゴールは続けた。


「一生繋がれて飼われる犬になるよりいっそ……もし彼の地に行くことが叶うならば、私はこの国の隷属者となります。もともと、祖国に義理はない。ヘアトンはこの国を愛していた。なくなった彼のために私はあなたの国に仕えてもいい」

「……期間は三ヶ月だ。人を二人つける」


 ブラックは持っていた煙草を自分の口へとくわえた。


「君とはいいパートナーで今後ありたい。君を信じよう。君が持っていた密約書は君に返そう。彼の最後の形見だろうからね。……ヘアトン氏の名誉のためにも君は密約書をどうとはしないだろうから」


 ブラックはキルケゴールを見下ろして憐憫さえ感じられる声音で言った。


「彼の分も君は生きるべきだ」




 *****




 ~十八年前~


 ◇グレートルイス 首都キッド 大通りにて◇



 通りを歩いていたキャンデロロ=コースターは、街路樹の下にいる二人連れに足を留めた。

 大きい方は、年の頃十五、六歳の少年。傍の小さい女の子は五歳ぐらいだろう。

 キエスタ人であることは間違いないが、少女の顔立ちは純粋なキエスタ人のそれではなかった。

 戦争の落とし子か。

 ぼんやりとした青緑色の瞳で往来の人波を見つめる少女の顔を見やり、ついで少年に目を移す。


「ミスター。靴磨きはいかがデスか」


 少年と目が合った。

 彼の目は緑色をしていた。キエスタ人にしては珍しい。

 優しげな垂れ目は、どこか不安そうでもあった。


「おう。いっちょ、頼む」


 キャンデロロは、どかっと少年の前の足台に右足をのせた。


「ミスター。いい靴デスね」

「あたりめえよ。親父から譲りうけた靴だぜ。……親父も俺も二、三回しか履いてねえ」


 答えてキャンデロロは、少年の隣で油缶の上に座っている少女に目をやった。

 ゴミ箱から拾ってきたようなだぼだぼの服をきて、薄汚れた肌をしているが、可愛らしい顔をしていた。これから先、この国の男たちの餌食にならなければいいが。


「よお、べっぴんさん。通りに何か面白いもんでも見えるかい?」


 キャンデロロが声をかけたが、少女は反応を示さず前を向いたままだった。


「……スミマセン。妹は少し変わっているんです。耳が聞こえないわけでも、アタマが悪いわけでもありません」


 靴を磨きながら、少年が謝罪した。


「ミスターは、何故キッドにいらしたんです? 」

「俺は、ここのもんじゃないって分かるのかい、兄さん」


 少年は苦笑する。


「……ミスターのようなスーツを着てる旦那さんは、ここには他にいません」

「たしかにな。これは兄貴にもらったもんだ。何十年前かに流行った型だな」


 自らの服を見下ろし、キャンデロロは笑った。


「俺はな、坊さんになりに来たんだよ。今から、テス教会本部へ行くところだ。一張羅を着てきたんだがな」

「テス教徒の方ですか、ミスター」


 少年は眩しそうにキャンデロロを見上げた。


「学校にテス教徒の先生がいました。トテモ、いい先生でした」

「おう、兄弟たちは先生やってるのが多い。生憎、俺は先生じゃねえ。漁師だ。ヨランダから来たんだ」


 キャンデロロは少年の着ている服を見つめた。彼の服もゴミ捨て場から拾ってきたような、所々穴が空いているシャツとズボンだった。


「刺身は食ったことあるか、兄さん」

「さしみ? デスか?」

「魚を生で捌いて食う料理だ」

「生で、焼かずにデスか? お腹をこわしませんか?」

「バッキャーロ。この国来たならいっぺん食ってみな。美味すぎて、泣けてくるぜ」

「……食べてみたいです。私は東部出身ですから。何でも食べます」

「兄さん、東部の生まれか」


 キャンデロロは少し黙った。

 戦時中、配属されたのは主に東部だった。

 あそこでゼルダ人を何人か殺した。上官の命令で泣いて懇願するキエスタ人の家族を振り切り、庭の果実の木を切り倒したこともあった。


「あそこじゃ、なんでも食うって聞くな。兄さんの一番の好物はなんでえ?」

「豚の生き血です。クセになりますよ。ミスターも、一度いかがデスか?」

「バッキャーロ、そっちの方が腹壊すぜ」


 笑ってキャンデロロは、靴を磨き終えた少年と見つめ合った。


「兄さん、この靴履いてみな」


 キャンデロロは言って靴を脱いだ。


「……ミスター」

「いいから、履いてみなって」


 困惑顔で少年は言われたとおりに、擦り切れたサンダルを脱ぎ、キャンデロロの靴を履いた。


「どうでえ。靴だけはあんま流行り廃りは関係ねえ。いい品はいい品ってだけだ」


 言いながらキャンデロロは少年のサンダルを履いた。


「困りマス、ミスター」


 あわてて立ち上がった少年の背丈は自分と同じ位だった。


「……兄さん、ちょいとこっち来な」


 キャンデロロは、背後にある建物の間の細い路地を指した。

 少年は複雑な表情をした。


「スミマセン。ミスター、そういうのはお断りしています」

「バッキャーロ、そういうんじゃねえ」


 はは、と笑ってキャンデロロは少年を手招きした。


「兄さんと俺の服を交換しようってんだ。ヘンな想像すんじゃねえ」

「何故ですか、ミスター」


 大きな声を出した少年に少女が反応してキャンデロロの顔を見上げた。


「言っただろ。俺は坊さんになりに来たんだ。いい服なんて必要ねえ。もらってくれよ兄さん」


 路地へと歩き出すキャンデロロに、ためらっていた少年は少女の手をつなぎ、ついてきた。

 服を脱ぎながらキャンデロロは聞いた。


「この国にいつ来たんだ、兄さん」

「三ヶ月前デス」

「何しに来たんだ」

「先生になりたいと思って来ました。この国の学校へ行きたいです」

「そうか。でも、兄さんみたいな奴に、この国はまだまだ冷てえぜ。いいとこ、嬢ちゃんを食いもんにしようってやつしか近づいて来ねえ」


 服を交換し終わったキャンデロロは、スーツ姿の少年を観察した。


「どうでえ、似合うなあ、おい。俺より似合うじゃねえか。流行遅れだけどな。ふん……」


 居心地悪そうな様子の少年をキャンデロロは頷いて見つめていたが、拳をつくるとふいに彼の顔にめがけてふった。


「ミスター! 何をするんですか!」


 驚いて声をあげた少年は、左手でキャンデロロの拳を受け止めていた。


「はは、垂れてる割にはいい目してやがる」


 拳を下げながらキャンデロロは笑った。


「いいか、兄さん。今度やられると思ったらためらうんじゃねえ。やられるまえにやれ。一瞬でもためらったら、このザマだ」


 キャンデロロは顔に斜めに走る額から頬への傷を指した。


「この国の奴らになめられんじゃねえ。そのためにも、見かけは大事だ。それなりにいい服着て、威張ってろ。弱味を見せんじゃねえ。俺の言ってること、分かるな?」


 少年はこくりと頷いた。


「よし。兄さんは賢そうなツラしてやがる。これから必死でどうしたらいいか考えな。自分と妹を守るためにな」


 キャンデロロはスクエアバッグから、包みを取り出した。


「どう使おうか迷ってた金だ。教会に寄附するつもりだったが、兄さんに預ける」


 少年に渡すと、彼はその重さに驚いた顔をした。


「クソみてえなことをして、手に入れた金だ。兄さんの為になるならありがてえ。自由に使いな」

「……なんと言ったらいいか。ありがとうございます、ミスター」


 信じられない出来事に、少年はふわふわとした視線で礼を言った。


「ほら、その目だ。どうも兄さんのタレ目は力が抜けるぜ」


 キャンデロロは苦笑する。


「サングラスでもかけな。そうした方がいい」


 少年は素直に頷いた。


「兄さんの名前は」

「ポポです」

「ポポー? そりゃまた力が抜ける名前だな」


 キャンデロロは目を丸くした。


「改名したほうがいいぜ、そりゃ。……そうだな、シャチにしな」

「シャチ?」

「サメの甥っ子みてえなもんだ。ああ、兄さんは海を知らねえか。……漁場をあさる、獰猛なヤツだ。恐れ知らずで誰も手が出せねえ」


 キャンデロロはポポの傍らの少女を見下ろした。


「妹を守ってやんな。いいな。……じゃあな、嬢ちゃん」


 少女の形の良い頭に手を置くと少女は、は、と青緑の瞳を見開いた。手をつないでいる兄の顔を見上げ、キエスタ語で何か告げた。


「……ミスター」


 ポポも目を見開き、妹からキャンデロロに目を移した。


「この先、キエスタに行かないようにと妹が言っています。私の国の者にミスターが殺されると。お願いです。私の国へ行かないでください」


 驚いてキャンデロロは少女を見た。

 少女はキャンデロロを見上げながら首を横に振った。


「ミスター、妹の勘は当たる。信じてください」

「……心配してくれてんのかい、ありがとよ、嬢ちゃん」


 キャンデロロは、しゃがみ込み少女の顔の高さに自身の顔を合わせた。


「だがよ、そりゃ因果応報ってやつだ。どうしようもねえ。諦めるぜ。あの国で死ねるなら、文句はねえ」


 微笑んでキャンデロロは少女に言うと、立ち上がりその場を後にした。――

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