2. 城下町での襲撃
■ 4.2.1
物語の中でよく主人公がヒロインの手を引いて敵の追撃から逃げる場面というのが出てくる。
主人公は大概、身体能力が高く、戦闘能力も高い。
そんな主人公に、いかにもヒロイン然とした身体能力が低い女の子が引き回されて、そもそもヒロインまともに走れないだろとか、脚が絡まって転けてしまって引きずり回されて逆に酷いことになるんじゃ無いのとか、そうやって逃げるくらいなら主人公その場で戦った方が確実なんじゃねとか、そんな冷めた感想を持ちながら、そういうシーンを読んでいたものだった。
主人公に引きずり回されることで逆にボロボロになるヒロインとか笑えねえ、と。
主人公とヒロインの立場はともかく、そういう状況が我が身に降りかかったとき、俺は自分の想像が思ったよりも正しかったことを理解した。
この身をもって。
もちろん俺はヒロインでは無いし、俺を守っているのもそんなヒーローでも無い。
今俺を守っているのは、エプロンとブラウスの一部が白い以外は全身ほぼ黒ずくめの魔王城メイド服に身を包んだミヤさん。
ただし彼女の身体能力が相当高く、戦闘能力も相当にあることはこれまでの経験から薄々気付いていた。
そして守られる俺は、可愛い女の子でも無ければ、ヒロインでも無いが、この世界の連中に較べれば絶望的に身体能力が低いことだけは自覚している。
「こちらです。」
ミヤさんは俺の手を引いて、すぐ近くにあった狭い路地に駆け込む。
とんでもなく早いダッシュに引きずられ、足が付いていかない。
転びそうになるが、そこをさらに強引に手を引かれて、転ぶことも出来ない。
路地を逃げ惑い、幾つもの角を曲がる度に壁に叩き付けられ、建物の角にぶつかり、脚を絡ませながらミヤさんに引きずり回される。
路地の壁に叩き付けられるように身を寄せ、息を潜めようとするが、息が上がってしまっていて思うように音を殺せない。
破裂音がして、頭上から無数の火炎弾が降り注ぐ。
ミヤさんが右手の刀を振り、その余りの勢いから発生した真空刃か、或いは剣圧が白い衝撃波のように飛んで火炎弾を幾つも弾き飛ばす。
俺の右側から幾つもの水弾が打ち上げられ、火炎弾にぶつかって打ち消し合う。
左側から小型の竜巻のような風が湧き起こり、火炎弾をまとめて吹き飛ばす。
見れば、城を出るときには姿を隠していたアズミとアイが、それぞれ右肩と左肩に乗っていた。
この二人も居てくれるなら安心だ、と思った瞬間、再びミヤさんにグイと手を引かれ走り出す。
後ろから追いかけてくる幾つもの足音。
「突破します。」
そう言ったミヤさんの向こうには、路地の曲がり角に剣を構えた幾つもの人影。
前後で挟まれたか。
明らかに俺の命を狙った襲撃だと、そう認識した瞬間、足が竦む様な強烈な恐怖に囚われる。
現代日本に住んでいて、こんな風にして命を狙われて襲撃者から追い回されるような場面がそうそうあるわけもない。
映画の中で観る位しか無い。
路地の左右から同時に剣を持った襲撃者が襲いかかってくる。
硬い金属を力任せに打ち合わせたような鋭い音が耳に突き刺さるように響き、左の男の剣が宙を舞い、右の男の剣が真っ二つに折れ、そして両方の男の上半身が下半身と別れて地面に落ちて血と内臓をぶちまける。
正面から短槍を突き出してくる男。
槍の穂先が切り飛ばされて路地の壁に突き刺さり、槍ごと袈裟掛けに切られた男の半身から血が噴水のように吹き上がる。
ミヤさんは男の半身を蹴り飛ばし、その後ろに控える別の男達に血飛沫ごと叩き付けた。
一人は剣で障害物を払いのけようとし、もう一人は避けようとした。
宙を飛んでくる仲間の上半身を払いのけようとした剣が、腕ごと切り飛ばされて血を撒き散らしながら宙に舞う。
腕をなくして刀を受け止めることが出来なくなった男が、頭から胸まで真っ二つに断ち割られてぶっ倒れる。
飛んで来た身体を避け、剣を振るおうとした男の首がずれ、その上に乗った頭がぐらりと傾いた。
そして石畳に落ちて重く湿った音を立てた。
さらにミヤさんに腕を引かれて、引きずられるように駆け出す。
脚が絡まって今にも転びそうな俺の身体を、繋いだ手だけで絶妙にコントロールし、前につんのめりつつも無理矢理走らされる体勢に保っているミヤさんの技術が凄い。
手を引かれて、細い路地の角を曲がるとそこは三方を壁に囲まれた行き止まりだった。
ここ何年もこれほど長時間走り回ったことなどなく、息が上がるどころか立っているのもやっとで、壁に背中を付けて全身で息をしている俺にミヤさんが言った。
「ここでお待ちください。全て始末して参ります。」
鋭さと冷たさの増したアイスブルーの瞳が、なぜだか優しく力強く見えた。
クルリと振り向いたミヤさんの背が、一瞬で遠ざかる。
曲がり角に出たミヤさんに、炎が襲いかかるが、ミヤさんの回りに白い半透明の球が発生してその全てを弾く。
両手に黒い刀を構えたミヤさんが、一瞬の残像を残して曲がり角から消えた。
『・・・さいよ! ねえ! 今どこに居るの!? 何の音なの!? 襲われてるんでしょう!? 何とか言いなさいよ!!』
ふと気付くと、腕輪からルヴォレアヌが叫ぶように喋っているのが聞こえた。
上がっている息を少し整え、腕輪を口元に持って来て話す。
それでも呼吸することが精一杯で、言葉が途切れる。
「済みま、せん。襲撃を、受けて、います。今、ミヤさんが、襲撃者を始末しに、行っています。」
『ああ、やっと・・・って、今どこに居るのよ! 怪我は!? 大丈夫なの!?』
今どこに居るのかと訊かれても、元々土地勘のまるで無い城下で細い路地を引きずり回されたお陰で、ここがどこなのかさっぱり分からない。
「済みません。ここがどこか、さっぱり、分かりません。怪我は・・・無いですね。今の、ところ。」
軽く全身を見回して答える。
あちこちに血が付いてはいるが、服はどこも切れていないし、痛いと感じるところも無い。
という事は全てミヤさんに切り伏せられた敵の返り血だろう。
膝が笑い腰が抜けてへたり込みそうな程に恐怖を感じているのは間違いなく確かなのだが、自分でも驚くほどに冷静な声と口調が口を突いて出てくる。
軍師には全言語会話能力と供に、常に冷静沈着でいられるようなスキルでも付いてくるのだろうか。
『だから鍛冶屋から動くなって言ったのに! あなた魔力持ってないから、追跡も出来ないのよ!』
そう言われてもなあ。
動かなければ、多分今頃死体になってたんじゃ無いだろうか。
俺を引きずり回して逃げたミヤさんのその辺りの判断が間違っていたとは思えなかった。
「申し訳、ありません。まあ、今現在、一応安全は、確保出来ています。」
『辺りに見えるものは何? 見える特徴的なものを言って!』
周りにあるのは、三方壁だ。後は頭上に空が見えるだけ。
正面はミヤさんが消えた曲がり角だが、そっちも壁と空しか見えない。
耳元で風が轟と鳴る。右肩から水しぶきが音を立てて吹き上がる。
見上げると、水球を横から叩き付けられたボルトがクルクルと回転しながら横に吹っ飛んでいくのと、幾つものファイアーボールが竜巻のような風で上空に吹き飛ばされるのが見えた。
「回りは全部壁で、何も見えません。屋根の上にいる敵から、攻撃を受けています。上空からなら、分かるかも知れません。」
『分かったわよ! ちょっと待ってなさい!』
ルヴォレアヌの声が終わるか終わらないか、曲がり角の向こうの屋根の上に、黒ずくめの人影が幾つか現れた。
二人がボウガンらしきものを構え、二人が手のひらをこちらに向けて魔法の展開に入る。
機械音がして、ボウガンから何本ものボルトが放たれたのが見えた。
同時に魔導士の手のひらから例の白い光が発生する。
突然、視界が歪んだ。
いや、正確には、俺から数m離れた空間に、突然水の壁が発生した。
白い光は水の壁で曲げられ、脇の壁にぶち当たって爆発した。
水の壁を突き抜けてきたボルトは、これまた空中に突然発生した黒い石の板に弾かれて地面に転がった。
「んもう、薄情ねえ。危ないときくらい、私達を呼びなさいよお。」
「お兄ちゃん、無理しちゃ、めっ、だよ?」
俺の両脇に、水色の髪の美女と、鳶色の髪の幼女が突然現れる。
「有難うございます。しかしこの様な戦いにあなた方を巻き込むわけにも行きません。」
大精霊達は、この世に存在するそれぞれの元素の守護者であり、引いてはこの世の守護者でもある。
守護者が、この世に生きる者を直接的に傷つけてはならないため、例え彼女たちを害した人族であろうと、この世に生きる者を直接攻撃するわけには行かないのだった。
彼女たちに出来るのは、あくまで俺達に加護を与えること。そこまでだ。
「そんなあ。遠慮しなくていいのよお。あなたを害する者を直接滅することは出来なくても、あなたを守ることはできるのよお。」
成る程。確かに、守るだけであれば直接的な攻撃にはならない。その理屈は分かる。
この世の四元素を全て支配する大精霊。彼女たちの守りを突破できる魔法など存在しないだろう。
「では、お言葉に甘えて、お願いします。」
「うふ。すなおで宜しい。」
ウンディーネがそう言った次の瞬間、数m向こうに展開されていた水の壁が大きく広がり、半球状になって俺を包む。
俺の周りはぐるり水の簾に囲まれたようになった。
その内側を数十の黒い岩の板がぐるぐると回る。
襲撃者が撃ち込んでくる炎系の魔法は水の簾が打ち消し、ボルトは岩の板が弾き返し、雷や光の魔法は水の簾によって逸らされた。
水の簾によって歪む景色の中で、正面の建物の屋根の上に黒いメイド服が突然現れたのが見えた。
屋根の上にいた4人の襲撃者達は、ミヤさんの刀によって瞬く間に切り伏せられた
屋根の上の襲撃者を切り伏せたミヤさんが、屋根から路上に向けて飛び降りる。
高さ10mはあるだろう。普通の人間であれば、運が良くても骨折、運が悪ければ命を落とす高さだ。
その高さから、少し膝を曲げただけで軽々と着地したミヤさんが、両腕を一振りすると黒い刀身の刀はどこかに消え、そして足早にこちらに駆け寄ってくる。
「軍師様。お怪我はありませんか。大精霊様、軍師様をお守り戴き感謝申し上げます。」
ミヤさんが俺の前に立ったところで、水の簾と、黒い岩の防御板が消滅した。
「感謝なんて。私達は私達のしたい様にしただけよう。」
「いえ。私の力が至らず、向かいの屋根の襲撃者の接近を許してしまいました。申し訳ありません。」
「仕方ないわよう。あなたの力は制限されていて、今は殆ど力を出せないのでしょう? 守りは私達に任せて、存分に暴れていらっしゃいな。ね?」
ウンディーネが相変わらず甘ったるい声で喋る。
が、なにか聞き捨てなら無い事を言ったぞ。
ミヤさんの力が制限されている? これだけやれているのに、「力を殆ど出せていない」と言ったか?
もともとただのメイドではないとは思っていたが、ミヤさん、何者だ?
「んふ。ダーメーよお。女には幾つもの秘密があるものよお。その方がミステリアスで魅力的でしょう? 暴いてしまっては楽しく無いわあ。」
ウンディーネの発言に驚きじっとミヤさんを見つめる俺の右肩に、ウンディーネが甘くしなだれかかり、耳元で囁いた。
言い方はともかく、つまり追求するな、という事か。
「分かりました。ミヤさんが色々な方面で相当な実力を持っているのは理解しました。これ以上は追求しないことにします。いつか話す気になったときに教えて下さい。」
「有難うございます。お気遣い痛み入ります。」
そう言ってミヤさんが深々と頭を下げた。
「あらあ。物わかりの良い、いい男じゃなあい? 惚れ直しちゃうわあ。」
そう言って、右肩のウンディーネが完全に密着してくる。
既に慣れてしまったのでここまで気にしていなかったのだが、もちろん相変わらず全裸だ。
流石にこれだけ密着されると、出っ張ったり引っ込んだりスベスベしたりしているところがモロに身体に当たってきて、例え彼女の裸を見慣れていてもかなり気になる。
そんな事よりも。
俺の台詞に対してミヤさんが素直に礼を言ったという事は、つまりそういう事なのだろう。
彼女が一体何者なのか、なぜこれほどの身体能力と戦闘力を持っているのか、そしてなぜ今は魔王城のメイドをやっているのか。
気にはなるが、俺は待つと言ったのだ。待つべきだろう。
そうやって、心の中に整理を付けていると、突然空から路地に黒いローブの人影が舞い降りた。
また襲撃者の集団かと一瞬身構えたが、ミヤさんが反応していないことから、そうでは無いと気付いた。
「やっと見つけたわ! 話しかけてるんだから答えなさいよね! 襲撃は片付いたみたいね。」
狭い路地に降り立った6人の魔女達がこちらに歩いてくる。
「よくこの場所が分かりましたね。」
結局俺は彼女たちに、自分がどこに居るのか一切まともに情報を伝えることが出来なかった。
通信機には位置情報機能などは付いていない。こんな裏通りの奥まった突き当たりの場所が良く見つけられたものだ。
「そりゃ、大精霊2柱と一緒に居るような奴がこの世にそれ程沢山居るとは思えないからね。」
成る程。
俺は魔力を一切持たないのでそういう事は全く分からないのだが、どうやら彼女たちはそっちの方面では相当な存在感を放っているらしい。
逆に、戦場で目立ってしまうのではないかと少し心配になる。
「大丈夫よお。気配はちゃんと隠せるわよお。」
ちらりとウンディーネの方に向けた俺の視線の意味を正確に理解した彼女が言った。
今は、こちらを探し回っているルヴォレアヌ達が居ることを知っていたのでわざと気配をだだ漏れにしていた、というところなのか。
「愚問かとも思いますが、襲撃者の正体は分かっていますか?」
話題を変え、ごく真面目な話に戻ってミヤさんに尋ねる。
分かりきっていることでも、一応は確認しておかないとな。
「ご想像の通りです。神聖アラカサン帝国の『第三の手』の者です。」
「第三の手、ですか?」
「皇帝の第三の手という意味です。皇帝直属の忍び部隊とご理解下さい。」
皇帝直々に刺客を差し向けてくるとは、俺もどうやら有名人になってしまったようだ。
或いは、魔王城下で隠密活動をしていたところに丁度俺が外出したので、現場判断で襲ってきたのかも知れなかった。
「そりゃ『殲滅の軍師』だものねえ。見かけたら、後々のことを考えてちょっと始末しておこうか、という気にもなるわよねえ。」
ルヴォレアヌがニヤニヤ笑いながら言う。
ちょっと片手間に始末されても困ってしまうのだが、それよりも大きな問題がある。
「ルヴォレアヌさん、その妙な二つ名はやめてください。」
取り返しの付かないことになる前に、この14歳病な名前を抹殺しておかねばならない。
「私じゃないわよ。でももう遅いわね。魔王軍の中じゃもう皆その名前で呼んでるし、間諜が持ち帰って、帝国軍の中でもその名前で有名になっちゃってるみたいよ?」
ルヴォレアヌが、どこその公爵夫人が飼っている猫のように嗤う。
なんてこった。
とうとう敵からもこの名前で呼ばれてしまうのか。
ちょっと格好い・・・もとい、余りの恥ずかしさに悶死してしまいそうだ。
「で、どうなさいますか? 襲撃もあったことですし、今日は城にお戻りになりますか?」
リムリアさんも似たような笑いを浮かべて尋ねてくる。
「折角ですから、お付き合いさせて戴けますか?」
再び襲撃があろうと、他に何事が起ころうとも、この面子であれば切り抜けられるだろう。
またとない機会だ。もう少し城下を見て回るとしようか。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
謎の女です。ふ~じこちゃ~んみたいに裏切ったりはしないはずですが。




