6. 鳶色の瞳の幼女
■ 3.6.1
俺達の眼の前には、まるで広い大海原に一箇所ぽっかりと空いた穴のように見える巨大な渦がゆっくりと回っている。
ゆっくりと回っているように見えるのは、その渦が余りに巨大であるのと、そして俺達が渦からかなり距離を取っているからであって、実際のところ渦の近くに行けば轟々と流れる海水の音を聞くことが出来るし、水の流れと供に吹きすさぶ強烈な風でドラゴンと言えども空中で安定した姿勢をとり続けるのは難しいだろう。
その渦は、海水が不自然に流れている事が明らかに分かる場所を渦の端とするならば、直径が優に1kmを超えている。
渦の中心に行くに従って海面は漏斗状に窪んでいき、中心付近では白波を立て飛沫を上げて轟々と中心に向けて海水が流れ落ちていっている。
渦の中に引き込まれていっている海水の量は凄まじいものだと思うのだが、それが一体どこに消えていっているのか、或いは海底で渦の外向きの激流を形成しているのか、海上から観察するだけでは当然全く分からない。
いずれにしてもこの渦の中心、遙か海面下にノーミードが囚われているのは間違いが無さそうだ。
「いつ見ても、腹立たしいわねえ。よくもまあこれだけ無茶苦茶やってくれたもんだわねえ。」
ふと気付くと、ウンディーネが左側から俺の首筋に両腕を絡みつけ、肩の上に顎を乗せて苛立たしげに眉根を寄せて前方の巨大な渦を睨み付けていた。
透き通る水色の髪がふわりと風にそよぎ、俺の頬をくすぐる。
右肩に居た筈のアズミが、嬉しそうに回りを飛び回っている。
「消してしまわなかったのですか?」
腹立たしいというならば、消してしまえば良い。
彼女ならそれが出来る筈だ。
「油断してたところを上手く裏を突かれちゃってねえ。色んな条件が揃わないと消せない様な仕組みになってるのよねえ。」
少し心配になってきた。
事前にウンディーネと話しをしたときに特に何かが必要だと言われていないので、俺は今日何も用意してきていないぞ。
「んふ。そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よお。ドラゴンに魔導士に僧侶に、これだけいれば充分よお。」
そう言いながらウンディーネは整った顔に蠱惑的な笑みを浮かべる。
そして一瞬でその笑みを消す。ウンディーネの纏う雰囲気が一変した。
「さて。そろそろ始めましょうか。可愛い妹をいつまでもあんなところに閉じ込めておくのは忍びないわ。軍師さん、お願いね。」
「ウンディーネ、海中に囚われた土の大精霊ノーミードを救出します。手を貸して下さい。」
「分かったわ。」
ウンディーネが凄みのある笑いを浮かべる。
ノーミードを含めた残る3大精霊を捕らえている結界や障壁に、ウンディーネが自らの意志で直接手を下すことは出来ないのだそうだ。
そういう類の障壁や結界らしい。
そこのところ俺に説明を求められても困る。俺にも分からない。無能者なのだ。
ところが人間など、この世界に生きる者から請われ頼まれて、それに手を貸す形を取るのは構わないらしい。
だからノーミード救出にあたりまず最初に救出に手を貸してくれるよう、俺からウンディーネに願い請わねばならないのだった。
何か概念的な制約が掛かっているのだろうと俺は理解した。
そして当然、その俺の願いは大精霊ウンディーネに聞き入れられる。
ウンディーネの存在感が俺のすぐ脇で弾けるように膨れあがる。
俺に魔力を感じ取る事は出来ないが、多分彼女が仕事を始める前に膨大な魔力を集めているのだろう。無能者の俺にさえ威圧感を与えるほどに。
「魔道士達。できるだけ低温にした氷の槍を、私が良いと云うまでありったけあの渦に叩き込んで。」
先ほどまでのどこか媚びるようなゆったりとした口調から一変して、思わず平伏したくなるような声が響く。声の響き方も、辺り一面に轟くようなものに変わっている。
大精霊の本領発揮と言うところか。
「ありったけと言われてものう。どれ程必要なんじゃろうか?」
「ありったけよ。力の限り、極低温で、作れる限りの氷の槍を叩き込むのよ。」
ルヴォレアヌの困惑したような声の質問に、ウンディーネがぴしゃりと返した。
「力の限り、極低温で、作れる限り。了解じゃ。」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、空中に数十本もの氷の槍が忽然と姿を現した。
ミヤさんが時々ぶっ放すものに較べて、全ての槍がふた回りも大きい。
極低温によって煙るように霧を纏う槍の数が、倍、三倍と増えていく。
その数、ざっと見た限りでも優に100を超えている。
3人のダークメイジ達の全力なのだろうが、空中に幾重にも重なった夥しい数の尖った氷の塊が霧を纏いながら浮遊するその眺めは、壮観の一言に尽きる。
氷の槍が下層のものから次々と、まるで何かに弾かれたかのように真下の海面に向けて打ち出された。
それはまるで尽きることのないロケット砲の砲弾のように、白い霧の尾を引き、雨あられなどと言う表現が生易しすぎる勢いとタイミングで次々と渦巻く海面に吸い込まれ、白い水の飛沫を上げる。
槍が撃ち出された空間には再び次の槍が現れ、そしてまた撃ち出される。
数百、いや千を越える氷槍が渦の中に消えていった。それでもまだ尽きること無く次々と撃ち込まれていく。
「その調子よ。そのまま続けて頂戴。」
見ればルヴォレアヌの額に汗が浮いている。
その両手は、ダムレスの背中の鱗を力の限り握っているようで、血の気の引いた指先は真っ白に強張っている。
それでもまだ彼女たちは、ウンディーネの求めに応じて次から次へと氷槍を作り出しては、その全てを海中に向けて叩き込む。
「もう少し。頑張って。」
ウンディーネが何をしているのか俺には全く分からない。
「ありがとう。もう良いわ。ご苦労様。」
次から次に空中に現れていた氷槍が消える。
同時に俺の前に座ったルヴォレアヌが、がくりと肩を落とす。
「大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ、だ、大丈夫、じゃ。さすが、大精霊、様。なかなか厳しい要求じゃて。年寄りの身には、堪えるのう。」
肩で息をするルヴォレアヌがこちらを振り向いて弱々しく苦笑いを見せる。
汗で濡れた額に艶やかな金髪が貼り付いている。
「さすが『破門の魔女』達ね。お陰様で早く片付きそうよ。」
「破門の魔女?」
「ふふ。若気の至りじゃ。余り追求するで無いわ。詮索好きな男はモテぬぞ?」
うるさいよ。放っといてくれ。心配して損したわ。
「なにが『若気の至り』かしらね。充分若いでしょ。」
「ふふ。この世の始まりから存在する大精霊様に較べれば、皆ヒヨッコの様なもんじゃて。」
「まあいいわ。そろそろ上がってくるわよ。」
ウンディーネが海面に眼を向ける。
海面の渦は、明らかに先ほどまでよりも勢いを弱めており、渦の中央部の凹みもかなり浅くなってきていた。
その渦のど真ん中をかき分けるようにして、直径50mほどの大きさの球体が浮かび上がってくる。
それはまるで巨大で透明なガラス球の中に水を満たしたものの様に見えた。
渦の流れをかき分け、徐々にその全体が明らかになる。
球は海面を離れ、高度300mほどに滞空している俺達の眼の前まで空中を浮き上がってきた。
それは何と表現すれば良いのだろう。
水に満たされた球の内部には、プリズムの様に刻々と色を変える様々な模様が踊る様に蠢いていた。
その模様は球体内部を満たしており、そして球の真ん中には光で霞む様にして黒い人影が見える。
「次、僧侶達。この球を絶対魔法防御で完全に覆って。光も、魔力も、何も通さない様に。」
レッドドラゴンの背に乗った二人のダークプリーストが無言で頷く。
水球を覆う様に薄らと膜の様なものが張り始め、急速にその色を濃くしていく。
薄膜は殻の様に実体化し、さらに色を濃くしていき、最後には銀色の鏡面の球体となった。
「そのまま維持して。10分ほどで魔力供給不足で魔法障壁が消滅するわ。念のため20分経ってから、絶対魔法防御を解除。絶対魔法防御解除と同時にドラゴンはブレスで結界魔法陣を攻撃。間髪入れずに攻撃すること。いい? 絶対魔法防御を解除したら、障壁はまた周辺の環境魔力を集めてすぐに作動し始めるわ。そうなったらブレスは通りませんからね?」
「了~解。」
「分かったわ。」
「了解。」
3頭のドラゴンがウンディーネの指示に答える。
竜族語なのだが、当然ウンディーネは理解している様だった。
「そうそう。言い忘れたけれど。当たり前だけど、ブレスをノーミードに当ててはダメよ? ドラゴンブレス程度でどうにかなるタマじゃ無いけれど、後で絶対怒るわよ?」
ドラゴン達は空中で首をこくこくと縦に動かす。
なんとなくドラゴン達がビビっている様に見える。
言い忘れるかよ、そんな事。
て言うか、ドラゴンブレス「程度」じゃどうにもならないのか。さすが大精霊。
そして20分。
「準備はいい? じゃ、消すわよ? はい、消して。」
俺達の前方に浮いている銀色の球がすっと色あせる様にして消えていく。
同時に球の中に溜まっていたらしい海水が一気に流れ落ちる。
中央の人影を囲む様に渦巻いていた虹色の模様は色あせ動きを止めており、空中に浮く灰色の染みの様にしか見えなかった。
間髪入れず3頭のドラゴンがブレスを吹いた。
3本のビーム状のブレスは、灰色の染みの空間の真ん中に囚われている人影を包む様に交差する。
ブレスが当たったところの灰色の染みが、一瞬虹色に光り、そしてそのまま光量を増してストロボフラッシュの様に鋭く輝いては消えていく。
「もう充分よ。ブレス終了!」
「成る程のう。絶対魔法防御で魔力供給を絶って魔法障壁と搾取結界を停止させ、絶対魔法防御を解除した一瞬の隙にドラゴンブレスを叩き込んで大過剰の魔力で陣を焼き切ったわけじゃ。役者が揃うておらねば出来ぬ事とて、しかし見事じゃの。」
俺の前に座るルヴォレアヌが、眼の前で展開される一大スペクタクルの意味を解説してくれた。
もちろん俺には何がどう「成る程」なのかさっぱり分からないが、今眼の前で起こった事は、通常では考えられないほど大胆且つ大仕掛けのものであったことだけはよく分かった。
ブレスが途切れた空間の中で、既にもう光を失ってしまった魔法陣の灰色の染みの中からこぼれ落ちる様に落下する人影。
海面が不自然に盛り上がり、その人物が落下するのを受け止めた。
その人影を表面に乗せたまま、その盛り上がった海面の一部が千切れて俺達の方に近付いてくるのが見えた。
少し波打ち、今ひとつ不定形ながらも、円に近いお盆の様な形状の海水と、その上に乗る人影。
近付いてくるに連れ、この海水の座布団に横たわる人物の輪郭がはっきりする。
ノーミードと言うからには、性別が女性である事は理解していた。
果たして、その海水で作られた盆の上に浮く姿はどう見ても、5歳程度の幼女にしか見えなかった。
その幼女を乗せた海水の盆が俺のすぐ眼の前までやってきて止まった。
「軍師殿。受け止めてあげてねえ。私の大事な妹だからあ。」
ウンディーネがそう言うと、俺の眼の前に不思議パワーで浮いていた水の盆が突然バシャリと形を失って水になって流れ落ちた。
慌てて手を差し伸べて、ドラゴンの背の上に落下する小さな身体を受け止める。
哀れルヴォレアヌは頭から水を被る羽目に。
この小さな身体の存在を落とさず受け止めることが出来て良かった、と一息付いたのも束の間、俺は極めて深刻且つ重大な問題に気付いてしまった。
なんで大精霊はどいつもこいつも素っ裸で登場しやがる?
今の俺は、まるで気を失って抵抗も出来ない裸の幼女を抱いた危ないオッサンにしか見えないだろが!
人の迷惑というものを考えてくれませんかねえ!?
周りを見回す。
無事ノーミードを救出したのだから、当然誰もがそのノーミードに注目している。
つまり、俺に抱かれる裸の幼女と、そして俺だ。
「えーっとウンディーネさん? この子の服とか持ってないですかねえ?」
ヤバい。ヤバすぎる。
「そんな鬱陶しいもの、私達大精霊が着るわけないでしょう?」
そんな台詞を吐く絶世の美女であるウンディーネも、一糸まとわぬ姿のまま俺の左肩に掴まってふわふわと漂っている。
「イヤそうじゃ無くてデスね。こんな裸の幼女を・・・」
「・・・ちゃん・・・」
「抱いたままで・・・ん?」
何か声が聞こえた様な気がして、腕の中の幼女に視線を向ける。
こちらを見上げる鳶色の瞳と眼が合った。
や、やあ。お元気か・・・な?
自分の顔が引きつるのが分かる。
ヤバい。この誤解をどうやって解けば良い?
背中をイヤな汗が流れる。
「お兄ちゃん!」
そう言って鳶色の髪と瞳を持った幼女は、俺の首に両腕を回して抱きついてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は!?
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
見た目幼女ですが、世界の始まりの時から存在してるので明らかにオーバー20です。そうです。いわゆる合法ロリっちゅーヤツですわ。ぬふふ。
いや、R18な事は書きませんよ? 警告嫌だし。




