船出の時*3
それからというものの、非常に忙しなかった。
……というのも、澪もナビスも道を歩けばすぐ『絶対に戻ってきてくださいね!』『ナビス様!私も微力ながら、ミオ様を取り戻すために祈らせていただきます!』『ミオナビ最高!』と声を掛けられていたからである。やることが多いのに、声を掛けられ続けるせいで、とてつもなく忙しい日々となってしまった!
だが、これだけ多くの人が澪とナビスのことを気にかけてくれているのだ。その気遣いは祈りとなって、2つの世界を結ぶ扉になってくれることだろう。
「愛されてるねえ、私達」
「ええ。私だけでなく、ミオ様もまた、これだけ多くの人に愛されているのです。ご自覚なさってくださいね!」
「うい」
澪としては、今までずっとナビス人気だけだと思っていたものが実は『ミオナビ人気』でもあったことに気付いてしまったので、声を掛けられるたびに非常に気まずい。だがまあ、これも必要なこと、必要なこと……と、澪は頑張って割り切ることにしている。
そう!全ては、澪がナビスと一緒にいるために必要なことなのだ!
「……ということで、すみません!私、帰るんですけど、多分、戻ってきます!」
さて。
澪とナビスが一緒に居るためにやらねばならないことの1つとして、親御さんへのご挨拶、というものがある。
澪はカリニオス王と先王の前で頭を下げつつ、『こういうことにしてごめんなさい!』と謝った。……何せ、今回のコニナ村での澪の引退宣言とその後のナビスの呼びかけは、国王の許可なく行ったものなので。
「いやいや、構わない!頭をあげてくれ、勇者ミオ」
だが、澪の心配は全く不要のものであったようだ。カリニオス王も先王も、にこにこしているばかりで、まったく怒る様子が無い!
「実は、君が元の世界へ帰らねばならないことは知っていたのだ。ナビスと話していたから」
「えっ」
そうなの!?と澪がナビスを見れば、ナビスは『はい』と恥ずかしげに頷いた。
「ミオ様とお別れするのが嫌で……お父様に、相談させていただいていました。それで、『思っていることをミオ様と共有してみてはどうか』と、お父様に背中を押していただけたのです」
「いや、すまない。君達の間に私が口を出すのもおかしなことかと思ったのだが……どうも、君達はお互いを思いやって、すれ違っているように見えたものだからな」
カリニオス王もなんだか恥ずかしげにそう言って、ふと、笑う。
「ナビス。やはり、ミオ君と君の考えていることは、概ね同じだったようだね」
「……はい、お父様!」
ナビスも王に笑顔で答える。澪は、『ああ、やっぱりナビスは多くの人に背中を押してもらえるし、押してもらった先に私が居られるのは幸せなことだなあ』と思う。
「ミオ様も同じように思って下さっていると、もっと強く信じていられたなら、あんなに苦しむことも無かったのに。振り返ってみると、なんて遠回りをしていたんでしょう、私ったら」
「でもま、こういうのも必要なことだったんだと思うよ。私も、ナビスがこんなに私のこと、好きでいてくれるなんて思ってなかったんだもん。それに……もしかしたら、私自身がこんなにナビスとこの世界を好きになってるって、気づいてなかったかも」
「えっ」
ナビスがきょとんとするので、澪は苦笑する。振り返って見ると馬鹿らしいが、それでもあの時の澪にとっては、ごく当たり前の理屈だったのだ。
「諦めなきゃいけないものだ、って思ってたら、好きかどうかなんて気づけない方がいいわけだし。そうすれば、苦しまなくって済むこと、あるじゃん」
多分、澪は今までこうやって生きてきた、のだと思う。
折り合いをつけて生きていくこととは、諦めながら生きていくこととほぼ同義だ。多くの人の中で、多くの人を取り持ちながら生きていくなら、尚更諦めなければならないことは多い。
澪は実際、多くのものを諦めて生きてきた。それを後悔しているわけではないし、諦めた結果手に入れられたものをすっかり大好きになっている以上、選択をやり直したいなんて欠片たりとも思わない。
だが……諦めてしまったことで消えてしまったものもあったのかもね、なんて、澪は今更思うのだ。実際に消えかけていた、澪とナビスの絆を握り直した今となっては。
「でも今は気づいちゃったからね!もうナビスの手、絶対に離してあげないから!覚悟しといて!」
「わあ……!嬉しいです、ミオ様!私だって、絶対に、絶対に離しませんよ!」
離れることがあっても、離されることなんて絶対にさせない。澪は自分の中にこんなに強い思いが生まれることを初めて知ったし、その相手がナビスであったことを嬉しく思う。
「ふふ……よかった。私から見ても、君達はよい友同士だ。娘のことでなくとも、君達にはずっと、友達同士で居てもらいたい。見ていて気分が明るくなるからな」
カリニオス王はそう言って笑う。親でも王でもなく、1人の人間として言ってくれている言葉のようで、澪はこの人のこういうところを好ましく思う。
「だから、本当ならミオ君には一瞬たりとも元の世界に帰ってほしくないような気もするのだが」
「えっ、それは困りますって!」
だが同時にカリニオス王のこんな言葉には困らされてしまう!流石に帰る!もう帰るって決めた!決めたのでそんな顔をされても困るのである!
「ああ、うん、勿論分かっているとも。君にも君を心配するご両親が居るのだろうしな。……娘を心配する親の気持ちは、私にも痛いほど分かる」
カリニオス王も、分かってくれてはいるらしい。この人も、1人の人間でありつつ、同時に王で親なので、色々と複雑なのだろう。……同時に澪も、複雑な気持ちだ。澪の両親はどうしているだろうか。1年間、澪が行方不明となったら……。
まあ、それは今は考えなくていいだろう。全ては、その時に考えればいい。
「それに、魔物の素がミオ君の世界から来ているらしい、というところも、気にはなる。どのみち、調査は必要だった」
「そう、ですね……いやー、何なんだろうなー、あの黒い靄ぁ」
どちらかと言うと、今考えるべきはこっちだろう。
そう。澪は澪の為に澪の世界に帰るが……同時に、こちらの世界と行き来するゲートを作ってもらうのであれば、その分の働きはこの世界に返したい。
この世界に来ている、『黒い靄』。アレの正体を突き止めれば、この世界への恩返しはできるだろう。
「そういうわけで、『救世の女勇者』ミオよ。私からの命を受け、君の世界での調査を行ってほしい。そして、定期的に報告に戻ってくるように」
「……はい!えへへ、定期的に戻ってきちゃいますからね?」
「ああ、勿論だ。むしろ定期的に『向こうへ』戻る、ということでもいいぞ」
「あははは、それは困っちゃうなあー」
ナビスはカリニオス王と笑い合う。……カリニオス王の言葉も、半分くらいは冗談ではないのだろうなあ、という気がする……。
まあ、考えるべきことは色々とあるが、全ては後でいい。今は、ポルタナ礼拝式……最後の礼拝式に向けて、準備を進めなければ。
「何はともあれ、これからもナビスをよろしく頼むぞ、勇者ミオ」
「余にとっては、君もナビスと一緒に可愛い孫のようなものだ。必ず帰ってきなさい。そして、どうかこれからも、ナビスとこの世界をよろしく」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!」
カリニオス王にも、先王にも認められて、澪は笑顔で挨拶した。
それと同時に、『やるぞー!』と気合が入る。……そして気合があれば、何だってできるだろう。今、澪はそんな気分なのだ!
さて。
王への挨拶も終えたら、澪とナビスはポルタナへ戻り、全国ツアー最終日の準備を進めていった。
最終日のクライマックスは、澪の帰還である。それに向けた台本をある程度組み立てておかなければならない。
……実は、コニナ村礼拝式の前に、ちゃんと最終日の台本まで作ってあったのだ。だが、実際にコニナ村礼拝式を通してみたところ、観客の反応が、その、澪の想定よりも大分、熱かった。
なので、観客の熱量を踏まえてもう一度、台本を作り直しているところなのである。まあ、こうした微調整も台本作りの内なので仕方がないのだ。リアリティは細部に宿るものであるからして……。
また、台本と同時に、小道具の準備も進めていく。
小道具は主に、ナビスの衣装や会場の飾りつけの手配である。
こちらはブラウニー達と協力しながら進めているのだが、その分、非常に良いものが用意できそうだ。
当日のナビスの姿を楽しみにしつつ、澪はにこにこと楽しく作業を進めることができた。……そんな澪の後ろを、やっぱりうきうきにこにこのブラウニー達がくっついて歩くものだから、周辺にいた人達からは、『あらかわいい』『わあかわいい』と非常に好評であった。まあ、つまり、ブラウニーが。ブラウニーが可愛いのである!澪はそう思うことにしている!
一方、ナビスはナビスで、澪の世界とこの世界を繋ぐ扉をどのようにして作るか、ひたすら研究していた。
これにはマルガリートとパディエーラが協力してくれている。
2人ともコニナ村礼拝式の情報は既に仕入れていて、その上で『聞いていませんわよ!ミオ!ちょっと!ミオ!』『ミオぉ、駄目よぉ、ああいうことやるんだったら、事前に私とマルちゃんには言っておいてくれないと……マルちゃん、泣きそうだったのよぉ?』というやり取りをすることになった。
そうか、マルちゃんは泣きそうだったのか……と澪はなんともほっこりした。自分との別れを惜しんで泣いてくれる人が居るというのは、非常に申し訳無い半面、ちょっぴり嬉しいのである。
そして、そんなマルちゃんとパディがナビスと一緒にああでもない、こうでもない、とアイデアを出しているのを見ていると、やっぱりじわじわ嬉しくなる。
……こちらは、『私の為に何かしてくれている』という嬉しさではない。ただ、『皆で揃って1つの目標に向けて頑張っている』という感覚が、嬉しいのだと思う。
かつて、吹奏楽部に所属していた澪は、音楽を楽しむ以上にこの感覚を楽しんでいたように思う。
コンクールという1つの目標に向けて、各々が自分の楽器を用いて皆に協力する。そうして1つの曲が生まれる。
あの感覚が楽しかったのは、間違いない。それ以上に、皆で一緒に進んでいくことの難しさに、澪は嫌気が差してしまったようなところがありはするが……それでもやっぱり、澪はこういうことが好きなのだ。
「……やっぱ、退部したの、惜しかったかなあ」
澪はそんなことをちらりと思いながら、ナビス達に出してやるお茶の準備を始める。聖女と元聖女達は3人揃って、随分と根を詰めているようなので、そろそろ休憩させてやらなくては。
こういうサポートも、澪の好きな仕事の内なのである。
……そうして。
「いやー、いよいよだねえ、ナビス」
「ええ……いよいよ、ですね」
いよいよ、全国ツアー最終日の当日の朝になってしまった。
だが、澪もナビスも、緊張はしていない。
「不思議なものでさあ、私、失敗する気がしないんだよね」
「あら、私もですよ、ミオ様」
準備はした。完璧だ。失敗しようも無いほどに綿密に準備してあるのだから緊張しない。……ということもあるが。
「信じてるから!ね!」
「ええ!私も信じています。そして信じていれば……私達、何だって、できるのですよね」
そう。信じているから。
そして、信じていれば、それが力になるこの世界だから。
……礼拝式は上手くいくし、澪は元の世界に戻って、その内またこっちに帰ってこられる。黒い靄の正体も分かるし、この世界の聖女問題だってすぐ解決する。
全てはそう、信じているから。信じていて、多くの人が、目標を同じくしてくれて……。だから、絶対に成功するのだ。
「あーあ!いい天気!」
「ええ、本当に……」
教会前から見下ろす海も、広がる空も、青く、深く、美しい。強い夏の朝日に煌めく水面は、まるで澪とナビスを祝福しているかのよう。
「じゃあ……全国ツアー最終日に向けて!出発進行ー!」
「ふふ、出発『信仰』ですか?」
「んっ!?あ、確かにそれでもいいかも!へへへ……」
澪とナビスは笑い合いながら、教会の前の坂を下りていく。ポルタナの村は、朝だというのに既に観客が大勢集まっているようだった。
……さあ、いよいよ、最後の礼拝式の始まりである。




