船出の時*2
それからしばらく、ポルタナの舟歌を歌うどころではなくなった。
観客は大いにどよめき、『ありえない!』『居なくならないで!』『えっ!?行ったら行ったきり、ミオ様戻ってこないの!?やだー!』といったように声があちこちから上がる。
……それらを見ながら、澪は、『ちょっとこれは想定以上だったなあ!』と慄いていた。
澪は、流石にもうちょっと大人しく観客が言うことを聞いてくれると思っていたのだ。まあ、つまり、自分の人気はあっても精々がそんなところだろう、と。
ところがどっこい、そうでもなかったらしい。
観客達は嘆き、悲しみ、時には泣き出してしまっている!……そして!
『ナビス様がかわいそう!』『ナビス様を置いていく気か!』『ミオ様はナビス様と一緒じゃなきゃやだー!』と。そんな声も聞こえてくるのである。
まあ、つまり……。
「……ナビスぅ」
「はい、ミオ様……」
2人、どちらからともなく、きゅ、と手を繋いで、顔を見合わせる。
どうやら私達、思ってた以上に『ニコイチ』らしいねえ、と。
さあ、ここからが本番だ。
ここまでは爆弾で土地を無理矢理耕したようなもの。ボコボコフカフカになった土地に花や木を植えていかねば、ただの荒れ地だけが残ってしまう。
収拾を付けるべく、澪が続けて話そうとしたその途端、さっ、とナビスが澪の手からマイク杖を奪っていく。
そして。
「皆さん!」
ナビスの声がマイク杖を通して、わん、と大きく会場に響く。その声が響き渡るや否や、観客は水を打ったように静まり返る。
ナビスの声がかくも凛々しく響いたことはあっただろうか。
ナビスがこんなにも覚悟を滲ませて、皆の前に立ったことはあっただろうか。
……観客達は、そこに救いを求めてナビスを見上げる。
そう。まだ彼らは、ナビスを信仰している。信じているのだ。
「皆さん……私は、ミオ様を、お送りしなければなりません」
ナビスは静かに話し始める。だが、その表情には憂いなど、もう一欠片だって見当たらない。だって、ナビスは今ナビスを見上げる無数の視線に応えなければならないのだから。
「彼女は救世の勇者。私は、この世界に最後まで残る聖女として、この世界を……ミオ様と共に、救わねば、なりません」
観客達が皆、悲しそうな顔をする。それこそ、さっきまでのナビスのように。だが、ナビスはそんな彼らを奮い立たせんとばかり、また、声を上げるのだ。
「ですが!私はミオ様とお別れしたくありません!」
ナビスの言葉は、まるで、自由の女神が旗を振るうが如く観客を導いていく。凛々しく、勇ましく。そう。ナビスこそが勇者であるかのように。
「……今、詳細を詰めています。どのような祈りを用いて、かの世界への扉を開くのか、未だ検討中です。そして……」
真摯に、ナビスは皆を見て、そして、最後に澪を見た。澪はナビスの視線に応えて、うん、と頷く。ナビスも澪を確認して頷くと、威勢よく、宣言するのだ。
「私はまだ、希望を捨ててはいません!必ずや、ミオ様がこちらの世界へ戻ってこられるように……かの世界とこの世界を行き来できるように、してみせます!」
ナビスの姿は、まるで暗闇の中に輝く月のように、人々の目に焼き付いたことだろう。
人々もまた、そこに希望を見出すことができたのだから。
深い絶望に沈んだ人々には、微かな希望ですら眩い光となる。
人々は、わっ、と一気に歓声を上げた。
そう。まだ、絶望している場合ではない。そこに希望が残っている。絶望したからこそ見える、微かながらはっきりとした希望が。
「これはきっと、私の、聖女としての最後の大きな仕事になります!……だって私!ミオ様とお別れしたくありません!絶対に!絶対に!世界にだって、私達を引き離させやしません!ですから皆さん、どうか、力をお貸しください!」
そうして観客の意識は、ただ1つ……『世界を行き来できるようにすることで、ミオ様とナビス様が離れ離れにならないようにする!ついでに世界も救われる!』というところに集中する。
「どうか、皆の願いを、1つに!世界の安寧は手に入れますし、ミオ様だって諦めません!」
ナビスも割ととんでもないことを言っているのだが、観客は最早『いいぞー!』『ナビス様はつよーい!』『ミオ様とお別れしたくなーい!』と歓声を上げるばかりである。実によく訓練された信者達である!
「だから皆さん、どうか信じて!信じて……全国ツアー最終日、ポルタナ礼拝式にて、どうか私に力をお貸しください!」
ナビスの声に、わーっ、と観客が応えた。
……この歓声の1つ1つが、祈りだ。自分ではない者、澪とナビスの幸せを祈ってくれる彼らの声だ。
澪はそれを聞いて、ふと、涙が出そうになる。
小芝居だって、分かってやっているはずなのに。元々こうなる予定で、筋書き通りだったはずなのに。
……なのに、こんなにも自分を惜しんでもらえるということが、嬉しい。皆の祈りは温かくて、優しくて……気を抜いたら本当に、泣いてしまいそうだった。
そして。
「それでは最後の歌を……皆の祈りを込めて!ポルタナの、舟歌です!」
えっ!?ここで入るのぉ!?と澪は慄いたが、それでもナビスの合図を受けた澪の手は、ばん、とドラゴン革の太鼓でしっかりビートを刻み始めていた。練習の成果である。
それに続けてナビスが歌い始めれば、観客も皆、歌い始める。
……そうしてコニナ村には、天にも轟くほどの音量で、ポルタナの舟歌が響き渡ることになったのである。それこそ、かつてない音量、かつてない勢い、かつてない情熱と執念で。
そうして、熱気に満ちた礼拝式が終わって、澪とナビスはその晩の宿へと戻る。
後片付けをしていたら、結構な時間になってしまった。尚、それでもナビスは未だに会場に居る。澪は一足先に戻って、ナビスが湯浴みできるように宿の部屋でお湯を湧かしておこうとしているところだ。準備が終わったら会場に戻ってナビスを拾って帰ってこなければ。
……と、思っていたところ。
「おい!」
唐突に横から声を掛けられてびっくりしてみれば、なんと、横からシベちん。……どうやら、澪かナビスかの帰りをずっと、宿の前で待っていたらしい。
「あっシベちん。こっち来ててくれたんだ。ありがとー」
「何暢気なこと言ってやがる!てめえ、あれはどういうことだ!」
そしてシベッドの剣幕は、凄まじかった。それこそ、初めてシベッドと話した時のことを思い出すような、そんな剣幕である。
「あれ、ってどれ……?」
「魔物の出所を探るために、その、よく分からねえ所に行くって話だよ!」
成程。どうやらシベッドには『異世界』は『よく分からねえ所』として認識されたらしい。まあ、大体合ってる。
「いや、どういうことも何も、そのまんまだけど……」
澪としても、これは一体どうしたものか困ってシベッドを見上げることしかできない。そしてシベッドも、澪を困らせている自覚はあるらしく、気まずげに視線を落として、意味も無く靴で地面を擦ったり体重を掛ける脚を入れ替えたりしている。まあ、要は気まずいのだろうと思われた。
「……お前1人でやらなきゃならねえことなのかよ」
挙句、ようやく出たと思ったらそんな言葉が出てきたものだから、澪はいよいよ驚くしかない。
「いや、まあ、移動する人数は少ない方がよくない?大人数で行くとなったら、ナビスの負担もとんでもないことになるしさあ」
「お前はそれでいいのかよ!おい!ミオ!何でもかんでもお前1人に押し付けてるようなもんじゃねえのかよ!」
……そう。シベちんはいい奴だ。とても、いい奴なのである。
なので澪としては、騙しているようで心が痛むのである!
「うん。私はこれでいい」
痛む心はそっと横に置いておいて、澪は勇者としての顔に切り替える。そう。澪は救世の勇者。この世界を救うために頑張る勇者なのである。
「だって、信じてるもん」
そして、一番のナビスの信者である。……それが、『勇者ミオ』であり、『帆波澪』だ。
「ナビスのことも、皆のことも。……勿論、シベちんのことだってね。私を向こうに行きっぱなしになんて、させないでしょ?」
澪は信じている。強く強く、信じている。それはシベッドにも伝わったのだろう。彼は先程の剣幕はどこへやら、なんだか迷子のような顔で、寂しげに澪を見ていた。
「私、この世界が好き。ここに住んでる人達も、大好き。だからこの世界を良くするために……向こうの世界でできること、探さなきゃ」
澪の言葉は本心である。
……多分、澪の世界の何かが、この世界の魔物の発生と関係しているのだ。だから、それをどうにかしたい気持ちは、本物だ。それをやれるのは自分だけだろうとも思うし……だからこそ、この世界に澪は呼ばれたのかもしれない、なんて、思う。
「だから、絶対に帰ってくるよ!ナビスのこと、1人になんてさせないから!」
澪は笑って宣言する。これも、本心だ。
澪は絶対に『帰って』くる。ナビスの元へ、必ず!
そうしてしばらく、澪もシベッドも黙っていた。澪は喋っても良かったのだが、シベッドが何か言葉を探しているようだったので、それを待っていた。
「……出発すんの、いつだ」
「え?」
「いつだって聞いてんだよ!」
そうしてシベッドがようやく聞いてきたのはそんなことである。澪は『それライブ中に言ったよね』と首を傾げたが、もしかすると、優しいシベちんは澪出発の発表を受けて、ショックのあまりその後に説明された詳細を全部聞き逃しているのかもしれない。実に不器用なことである。
「いや、えーと、まあ、全国ツアー最終日。ポルタナ礼拝式で、だけど……」
それ今聞いてどうすんの、とも思ったがちゃんと答えてやれば、シベッドは……。
「……ナイフ、はあるか。櫛は……出来悪いけどもうやったか。後は……」
「え?あの、シベちん、何の話?」
何やら妙なことをぶつぶつと呟き始めた。……そして。
「指と腕と首、どれがいい」
「何何何!?マジで何の話ぃ!?」
なんか不穏なこと言ってる!もしや切り落とされる!?と、澪は慄いた。シベちんはどうしてしまったというのだろうか。いや、もともとちょっと情緒不安定なところはあったけれども!
……と、澪が隠せもしないドン引きを存分に表出していれば、シベちんも自分の言葉足らずを理解したらしい。そう。シベちんは不器用で情緒不安定君ではあるが、優しいいい奴なのである。
「櫛の時よりは、上手くなったから……何か、作って、やる」
そして彼のまたしてもヘタクソで言葉足らずな説明を聞いて、脳内で補足して、澪はようやく、ピンときた。
「あっ、なんか鯨の歯で作ってくれんの!?」
「ん」
どうやらシベちんは鯨の歯の細工物をまた作ってくれるらしい。澪とナビスが王都に行く時には櫛を作ってくれたシベちんであったので、まあ、多分……彼が思う『自分がしてやれること』がそれなんだろうなあ、と思われる。
「あー……あっ、じゃあ1個お願い!」
そして澪は思いついたアイデアを、出てきたそのままにシベッドへ伝えることにした。
「なんでもいいからさ!ナビスとお揃いのやつ、作って!」
それから、数分後。さっさと行ってしまったシベッドを見送った後、澪は『やっば、お風呂の準備してない!』と大慌てでお湯を沸かして準備をしていたのだが、丁度そこにナビスが帰ってきた。
「あのう、ミオ様。さっきとてもやる気に満ち溢れたシベッドがずんずん歩いていくのを見ましたが、もしや何かお話されていましたか?」
どうやら、ナビスは自力で会場を抜け出してこられたようだし、その途中で例の状態のシベッドを見かけたらしい。『やる気に満ち溢れたシベちんがずんずん歩いていく』様子は澪にも容易に想像が付く。
「あ、うん。した。えーとね、私とナビスと、お揃いの何か、作ってくれるって!」
「まあ!……ふふふ。シベッドは良い人です」
「ね。シベちん、ほんといい奴だよ。さて、じゃあナビスはお風呂ね」
「はい、ミオ様。どうもありがとうございます」
澪とナビスは顔を見合わせて笑いつつ、お風呂!お風呂!とお風呂に向けて動き出すのだった。




