さよならの代わりに*4
「……そういう、ふうに、って」
澪は、ぽかん、としながらも、急速にナビスの言葉を理解しつつあった。
そう。『そういう風に祈ればそういう風にできてしまう』。それがこの世界のルールだ。
「あああああああ!?そ、そっかぁ!?そうだあ!私達がまた会えるように、って祈れば、そういう風にできる可能性が、高い!」
つまり、澪とナビスがそう祈っていれば、本当に実現できる可能性が高いのだ。
『死んだ後でまた会えますように』だって、『生きている間にまた会えますように』だって、叶えられるかもしれないのだ!
「そっか!そうだよね!なんだー!よかったぁ!私達また会えるじゃん!」
澪がナビスの手を取って飛び跳ねると、ナビスも澪の手を握って、ぴょこぴょこ一緒に跳ねてくれる。
不思議なものだ。先ほどまで寂しく聞こえていた噴水の音が、今や楽しげな囁きのように聞こえてくる。そして眩い月光は、ステージの上のライトのようにすら思えるのだから!
「はい!ということで、ミオ様……!」
「うん!」
澪は、『また会えるように信じ続けましょうね』とか、そういう言葉を期待して、或いは自分から言いかけて……。
「全国ツアー最後の礼拝式で、ミオ様の世界とこの世界をミオ様が行き来できるような仕組みづくりを行いましょう!」
「えっ」
……ナビスの発言に、慄くこととなったのであった。
「……えっ、あの、それ、大規模すぎない……?」
「そ、そうでしょうか……?」
ちょっと待てちょっと待て、と澪は努めて冷静になろうとしつつ、頭の中で整理していく。だが。
「しかし、ミオ様を望む信者の方は多いと思うのです」
そう、ナビスから聞いてしまい、澪はまた別の問題にも気づいてしまう。
「あっ……?信者……!?」
「はい!あの、ミオ様!そもそもです!そもそもですよ!?信者の皆さんは……ミオ様が元の世界へお戻りになることを、望む、でしょうか……!?」
そう。
ここに来て、最後の聖女問題が起こるところであった。
「……やっば」
「はい。やっばいのです。やっばいのですよ、ミオ様!恐らく私、信仰の裏切りを犯すことになるかと!」
そう!ナビスが下手に澪を元の世界に帰すと、それで信仰の裏切りが発生しかねないのである!
何故なら!澪も認めたくないような認めざるを得ないような複雑な気持ちだが……恐らくナビスだけでなく澪も、この世界で信仰ないしは人気を、得てしまっているからである!
「えええええええ!?あああああああ!そうだったあああああああ!あっぶな!あっぶな!うわああああああ!」
「そうなのです!危なかった!とても危ないところでした!皆さん、ミオ様のことが大好きだというのに!私ったら、自分ばっかり悲しいような気になって!信者の皆さんは絶対に、ミオ様に帰ってほしくないであろうということを失念していました!こんなにも皆に愛されているミオ様を!まるで、私のものみたいに思って!」
「うわああああ!あんまり言われると恥ずかしいよおナビスぅう!」
澪はその場でゴロンゴロンしたい気持ちだったが、ナビスもナビスで混乱と興奮の渦中にあるらしいのでそれどころではない。もしゴロンゴロンするとしたら2人一緒にゴロンゴロンせねばなるまい!
「……私、信者の皆さんのことを忘れるなんて、聖女失格です……」
「い、いや、でもそれどころじゃなかったじゃん……?アイドルグループのメンバー脱退って、ファンのこと考える以前に、残されたメンバーが悲しいもんだと思うし、それはファンの皆も分かってくれるってぇ……大丈夫だよぉ、ナビスは最高の聖女様だよぉ……」
一気にテンションが急落してしまったナビスを励ましていれば、澪の『ゴロンゴロンしたい気持ち』も落ち着いてくる。それと同時にナビスも次第に落ち着いてきてくれたので、丁度いい。多分、熱湯に冷水を注いで丁度いいかんじの温度になったような、そんなかんじの2人なのであった。
「ま、まあ、そういう訳で、確かに信者への説明なしに私が帰る訳にはいかなかったよね……。うん……反対意見が絶対に出る、よなあ、うん……」
さて。
澪もナビスも落ち着いたところで、いよいよ澪が元の世界へ穏便に帰る方法を考えなければならない。
まあ、つまり……信者をがっかりさせないようにする必要があり、そのためにも、澪が世界を行き来できるのがよさそう、ではあるのだが……。
「ええ……。でも、ミオ様。逆に考えれば、それだけ多くの人がきっと、ミオ様がこちらの世界に居られるようにする、という案に賛同してくれるのではないかと」
「そうなんだよなあー!一番の懸念事項であるはずの信仰心の不足は、なんか心配要らない気がしてきたんだよなあー!」
……なんとなく、もう、澪は認めざるを得ない。
多分、澪とナビスは、世界公認のユニットになってしまっている。2人セットでいることを望むファンが、それなりに多そうなのである。
つまり……。
「……わーん、ミオナビ教の爆誕だあい!」
「み、みおなびきょう……?ああ、ミオ様と私の宗教、ということですか?素敵ですね!」
澪はヤケクソになってしまうしかない。
こうなったらもう、世界中に澪とナビスの仲良しぶりをアピールしてやるしかないのだ!
……ということで。
「じゃ、こういう風に一芝居打ってやりましょう、ってことで」
「はい。このように……うう、上手くやれるでしょうか」
「まあそれはマルちゃんとかパディにも助けてもらおう。あの2人なら忌憚ない意見が貰えそうだし」
2人は、『一芝居』の内容を打ち合わせ終えて、ふいー、と息を吐く。
……そう。『一芝居』だ。澪とナビスは、これから全国ツアー最終日に向けて、信者達相手に少々小細工を仕掛けていくことになる。そして彼らに、『澪が元の世界と行き来できるゲートを作るべき!』と思って貰わなければならないのだ!
「なんだか、信者の皆さんを騙すようで申し訳ないですね……」
「まあ……そうなんだけどさ」
ということで、まあ、台本らしいものをメモし終えたナビスは、しゅん、としてしまっている。『上手くやれるでしょうか』という心配と人を騙す罪悪感でしょんぼりしてしまっているらしい。
「でも、騙すのも聖女の仕事だと思うよ。むしろこれからの聖女の仕事って、より偶像としてのしごとになるんじゃないかな」
一方の澪は、罪悪感は然程、無い。何故なら、アイドルというものはそういうものだと、澪は割り切ってしまっているので。
「騙す、っていうか、夢を見せる。そうやって導く。……それが、これからのナビスの役割なんじゃない?」
「そう……なのでしょうか?」
ナビスが首を傾げているのを見て、澪は早速、澪が思っている例のアレの問題について、出すことにした。
「ほら、だって、アイドルはさー……トイレ行っちゃダメ、とか、そういうの、無い?」
「と、といれ……!?」
案の定、ナビスは慄いた。慄きつつ、『一体何のお話ですか!?』と混乱している。まあ……ナビスには、『アイドルはうんこしない問題』は難しいのかもしれない。
「うん。アイドルは排泄しているのなんか想像したくない、って人、居ると思わない?そういう人に、『アイドルはトイレに行きません!』って夢見せてあげるのは、まあ、大事だと思う」
「え、ええええ……」
「或いはさ、ほら、食べ方が汚かったら幻滅させちゃうかな、とか、寝癖ついたまま人前に出られないよな、とか、そういうのの延長線上にある話なんじゃないかな、これは」
ナビスは相変わらずの困惑ぶりなのだが、ひとまず、理屈は分かってくれたらしい。ということで、澪はもう少し踏み込んだ話もしてみる。
「もうちょっと綺麗な話するなら、もし私とナビスの仲が悪かったとしても」
「えっ、あっ、あのっ、ミオ様っ、それは」
「いや、例えだから。例え。ね?」
……ナビスにはたとえ話であっても、『澪とナビスの仲が悪い』という状況がちょっとしんどいらしい。こういうところも可愛いなあ!と思ってしまうので、澪ももう駄目かもしれない……。
「……まあ、もし私とナビスの仲が悪かったとしてもさ。舞台の上に立ったら、そういうの隠さなきゃダメじゃん?仲が悪くて息が合わないとか絶対に許されない。最高の演目、最高の演技を見せなきゃいけない」
「ええ……それは、理解できます」
「ましてや私とナビスはもう、『ニコイチ』で売れてるようなもんだから、絶交するようなことがあったとしても、信者の皆には仲がいいところを見せなきゃいけない。それは真実じゃないかもしれないけれど、信者が望んでいることではあると思う」
つまり、そういう覚悟を持って、アイドルはアイドルで居なければならないのだ。
ありのままの自分を見せるという手段も権利もあるだろうが、それはそれとして、美しいフィクションを提供することだって、アイドルの仕事の1つなのだろう。
「まあ……それをやりすぎると、聖女側が苦しくなっちゃうからさ、ほどほどに、ってところなんだろうけど。でも、苦しくないんだったら……それで皆が幸せになるんだったら、キラキラの綺麗な嘘、吐いてみせたっていいと思う。どうかな」
「……そうですね。誠実さとは、必ずしも真実のみに拠るものでは、ないのですね」
「うん。真実ではないものを作り上げていって、それで人を楽しませたり、癒したりする。それも一つのアイドルの在り方なんじゃないかと思うよ」
誠実さ、と言ってしまうのもまた違うのかもしれないが、それでも、これは1つの誠実さだと、澪は思っている。
自分の職務、自分が作り上げる芸術、そしてそれらによって人を楽しませることへの誇りと覚悟。……それらはきっと、誠実なものだ。
だから、アイドルって、聖女なのだ。澪は、そう思う。
「ということで……まあ、今回は、私がこっちと向こうを行き来する、とか、ナビスが信仰の裏切りを回避する、とか、そういう実利目的ではあるけれど……」
「ええ。信者の皆様を、騙す。美しい嘘を以てして、人々を導く。そういうことですね?」
「うん。そういうこと」
さて。そうして2人は諸々と覚悟も終えて、顔を見合わせて頷き合い……そこで、ナビスは、ふと表情を緩めた。
「……お父様が耳にしたら、『まるで政治だ』と仰るような気がします」
「ああー……成程ね。うん、確かにそんな気がする。そっかー、アイドルは政治かあ……」
まあそういうこともあるよね、と澪は思う。特にこの世界では、聖女の影響力が強い。つまり『アイドルの影響力が強い』と言っても過言ではない。よって、まあ、アイドルが、政治……。概ね合っているのがすごいところである。
「それにしても、不思議」
ナビスは少し手を伸ばして、噴水の水に触った。ぱしゃぱしゃ、と跳ねる水に月光が明るく反射して、きらきらとなんとも美しい。……この美しさを楽しめるのだから、澪の心にもゆとりが生じてきたのだろう。
「礼拝式の構成をこうやってミオ様と考えていたら、さっきまで胸が潰れてしまいそうなほど悲しかったことなんて、全て忘れてしまえそうなんだもの」
そしてきっと、ナビスもそうなのだ。ナビスがにこにこしているのを見て、澪はじわじわ目いっぱい嬉しくなってくる。
「私、今、とってもわくわくしています。ミオ様とお別れしないために頑張れるのって、とっても嬉しいことですし……楽しいんです」
ましてや、ナビスが『楽しい』と思ってくれているなんて!さっきまで泣いていたナビスが、こうして物事を楽しんでくれることを、澪は心から嬉しく思うし……。
「その、ミオ様も、楽しい、ですか……?」
「……うん。なんか、めっちゃ楽しい」
……同時に澪もまた、楽しいのだ。
そう。悲しいさよならを実現しようと頑張る代わりに、楽しいただいまを実現するために頑張るのだから、楽しくないわけがない!
「やっぱ、自分がやりたいことやるのが一番だね!やりたくないことやろうとしたって楽しくないし……あ、あと、元々私さー、こういう、企画立てたりなんだりするの、好きなんだと思う。それが楽しいことなんだ、って、思い出せたかんじ。今、すっごく、わくわくしてる!」
そして、楽しいことを思い出して、楽しいことに向かって走り出した2人は、最強なのだ。
「ね、ナビス。今回のツアー最終日も、最高の礼拝式にしようね!」
「はい!この世界と、ミオ様と、それから、私の為に!……我儘でしょうか?」
「いいの!我儘でもいいの!ナビスは目いっぱい我儘言ってー!」
それからしばらく、庭園には澪とナビスの笑い声がきゃらきゃらと響いていた。
……それを遠くで聞いていたカリニオス王や先王、衛兵やメイド達は皆揃って、『なんだかよく分からないけれどよかったねえ』とにこにこしていたとか、なんとか。




